「エとセとラ」

(みらいいろ・回想録)


(三)

「月、綺麗だね。」

スタジオからの帰り道、隣でカナデが空を見上げながら言った。

僕も見上げる。

月が明るく、僕らを照らしていた。

今日は満月かな?

僕らは何となく、いつもの公園に寄った。

「何だか、昼間とは全然違うね。」

そう言いながら、カナデはいつものベンチに腰掛けた。

しんと静まりかえった公園。

辺りに漂うのは、夜の闇だけ。

僕は隣に座るカナデを見た。

カナデは空を見ていた。

その視線の先には月があった。

「月を見てるとさ、何だか許されてる気になるんだ。」

ぽつりとカナデが呟いた。

「歩いてるからさ、星が揺れるんだよね。」

その言葉は、誰に言うでもなく、独り言のように聞こえた。

不意にカナデが立ち上がる。

カナデは、少し離れたところにあるブランコに座ると、ゆっくりと漕ぎ出した。

夜の闇と同じ色をしたカナデの黒髪が、小さく揺れていた。
「エとセとラ」

(みらいいろ・回想録)


(二)

駅前からは自転車を押して、歩いて僕のアパートへと来た。

部屋に入ると、二人して床に座る。

しばらくは、バンドでの曲の事について話し合った。

それぞれ一曲ずつという事で、この間スタジオで曲を持ち寄った。

相変わらず、みんなセンスが良い。

フジとヒロは、もう何曲か候補もあったらしい。

僕は結局、一曲だけしか出来なかった。

カナデも一曲だけだった。

その代わりに、カナデは詞を見せてくれた。

カナデの詞には、誰もが一目置いていた。

作曲もさる事ながら、作詞のセンスも良い。

加えてあの歌唱力だ。

ギターの才能だって凄い。

先天的な音楽の才能だと思う。

あれだけ音楽の才能があったヨウが羨むのも、凄く分かる。

カナデ本人は気付いてないけど。

カナデは自分に自信が無い。

僕には何も無い、空っぽだよ。

そんな言葉を何度も聞いた。

社交的ではない性格のせいなのかな。

カナデは周りと関わるのを怖がっている。

裏切られるのを怖がっている。

傷付く事を怖がっている。

無理もない事だけどね。

カナデは傷だらけだった。

今こうやって笑っていられるのが、奇跡的な程だ。

僕は、思わずカナデの左腕を掴んだ。

これは、僕の癖みたいなものだった。

カナデの左腕は黒い肘までのアームウォーマーに覆われ、その下には何本もの切り傷があった。

精神的には安定したけど、カナデの左腕には、未だに自傷行為の痕が残っていた。

僕は高校生の時に、少しだけ自傷行為をしていた。

何もかもが嫌になって、生きづらくなって、どうしようもなくなった。

この世界と折り合いをつけられなくなった自分の事が、嫌で仕様がなかった。

高校を卒業して、本格的にバンド活動を始めてから、僕は自傷行為をやらなくなった。

漸く、居場所が出来たんだ。

その頃から、カナデは不安定になっていった。

夏でも長袖のパーカーを羽織り、やたらと白い肌をするようになった。

血の気の無い顔に、徐々に痩せていく体。

だんだんと、外にも出なくなった。

カナデの家に行くと、カーテンを締め切った部屋で、ベッドの上で膝を抱えて座っていた。

床には、血の付いたカッターナイフ。

カナデが顔を上げた。

目が合う。

感情の無い目をしていた。

あのカナデの顔は、今でも覚えてる。

感情を失った人って、あんな目をしてるんじゃないかな。

時間はかかったけど、カナデは漸く笑えるようになった。

何て言うか、生きててくれて、本当に良かったよ。

「大丈夫だよ。」

腕を掴む僕に、カナデは笑った。
「エとセとラ」

(みらいいろ・回想録)


(一)

「リュウ、もっと速く。」

後ろでカナデの楽しそうな声が聞こえてくる。

駅に向かう僕は、荷台にカナデを乗せながら、自転車を漕いでいた。

カナデは、男にしては細身で軽い。

病弱なせいもあるんだろうけど。

対する僕は、割と体力には自信があった。

だから、二人乗りでもそんなに大変ではなかった。

だけど、今は上り坂の真ん中。

いくら僕でも、男二人分の重さを乗せた自転車を漕ぐのは、やっぱりきつかった。

「もう、下りてよ。」

「体力作りになるよ。」

頬を膨らませる僕に、カナデは笑いながらそう言った。

カナデの笑顔を見てると、何だか気が抜けてしまう。

溜息を吐くと、僕はペダルを漕ぐ足に力を込めた。

「疲れた。」

駅前に来ると、僕は隅っこに座って休んだ。

「お疲れ。」

カナデが、近くの自販機で買ってきたペットボトルを差し出した。

お礼を言って、僕は受け取った。

「ここってさ、いつも路上ライブやってる場所だよね。」

僕はカナデに言った。

「あ、そうだね。」

思い出したように、カナデは呟いた。

「こんな眺めなんだね。」

僕は道行く人の波を眺めた。

夜になり、灯り出す街頭に合わせて、カナデが歌い出す。

流れていた人波は、徐々に足を止めていく。

駅前で、雑踏に混ざって響く、カナデの歌声。

僕はその風景を思い浮かべた。

「何だか、良い眺めだね。」

そう呟く僕に、カナデは笑い返してきた。