第24回 別府アルゲリッチ音楽祭 ② ~ アルゲリッチ&クレーメル デュオ・リサイタル | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

2024. 5. 19 (日) 16 : 00 ~  iichikoグランシアタ (大分市) にて

 

<第24回別府アルゲリッチ音楽祭>

《 デュオの世界~一期一会 》

 

        

 

(アンコール)

ペルト:天にいますわれらの父よ
ピアソラ:ジャンヌとポール

 

ヴァイオリン:ギドン・クレーメル

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ

 

 

   

 

昨年のこの音楽祭では日程の関係で1回しか彼女を聴けなかったが、今年は2回も聴けて幸せキラキラ

クレーメル、マイスキーとのトリオを聴いた2日後のこの公演はクレーメルとのデュオリサイタル。 

演目は前もって発表されていたものの、当日になり一部変更が。クレーメルが演奏する予定だったバッハの「シャコンヌ」がなくなってシルヴェストロフとロボダの作品を演奏することに。

正直クレーメルの「シャコンヌ」をめっちゃ楽しみにしてただけにとても残念あせる

 

 

 

私はこのふたりのデュオを2年前の6月にサントリーホールで2度聴いたのだが、今回変更になったクレーメルの楽曲も含め、前半はその際に演奏された作品。なのでその時のことを思い出しながら聴いた。作品についてはその時のブログから引用して載せます。

 

1曲目はシルヴェストロフ作曲の独奏ヴァイオリンのための「セレナード」

ヴァレンティン・シルヴェストロフ(Valentin Vasylyovych Silvestrov)はウクライナ出身の作曲家。キーウ生まれでキーウ音楽院で学び、1974年にソ連作曲家同盟から除名されると西側と結びつくようになる。2017年に初来日したときの貴重なインタビューがコチラに載っています。

 

ヴァレンティン・シルヴェストロフ (1937~)

(画像はこちらのサイトからお借りしました ©油谷岩夫)

 

現在のロシアのウクライナ侵攻によりシルヴェストロフはベルリンへ避難した。キーウにとどまっていたのを娘と孫娘の強い要望でベルリンに退避したそう。キーウからリヴィウへ、そしてポーランドを経由して3日かけてベルリンへ移動したそうだが、その移動中に大勢の難民や車の列が延々と何キロも続くのを目にしてウクライナの惨状を感じた彼は、ベルリンでピアノ作品を2曲作曲、いずれもエレジーと題されたものが含まれている。1つめはベルリンに到着した翌日の3月9日に書かれた《3つの作品》。2つ目は3月16日作曲の《パストラーレとエレジー》でウクライナの状況をベルリンで見聞きするうちに次第に落胆を深めつつ書かれたもの。このエレジーはシャコンヌであり”悲しみの反応”とシルヴェストロフは表現しているそう。(詳しくはコチラの記事)今のウクライナの状況を彼はどう感じているだろうか・・・

 

本作品は寂寥感の漂うシンプルな主題が反復して静かに歌われる。重音の他は特殊技巧を一切用いることなく、ただ旋律とリズム、そっと寄り添う和声、しみじみとしたテンポとヴァイオリン独特の音色によって胸に染み入る音楽が紡がれる。

下の動画では本作品が始まるのは35秒あたりからですが、それまでシルヴェストロフ本人が出てきてます(たぶん録音に立ち会ったときだと思います)。

 

  

シルヴェストロフ:セレナード (4分6秒)/ Myroslava Kotorovych (Vn)

 

2年前と同様、シンプルな旋律なのになんでこんなに心に染み入るのだろうと思う。

クレーメルの音色がなんともいえない。”美しい”とも”素晴らしい”というのも安易すぎる気がする。彼の内に秘めたものを音で語りかけてくる気がした。

この曲は2012年の来日時にもアンコールで弾いたそう。

 

 

2曲目はロボダの独奏ヴァイオリンのための「レクイエム」~果てしない苦難にあるウクライナに捧げる

イーゴリ・ロボダ (Igor Loboda:1956~)はジョージアのトビリシ出身のヴァイオリニスト、作曲家。

 

イーゴリ・ロボダ:1956~

(画像はこちらのサイトよりお借りしました)

 

この作品は2014年のウクライナ紛争(ロシアがクリミア半島を無理矢理併合した)の犠牲者に捧げられた曲。クレーメルは2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻を予想したかのように同年1月のウィーンでのリサイタルで本作を演奏、侵攻後の3月にもウィーンで演奏したそうだ。you tubeで検索するとリサ・バティアシュヴィリが演奏している「レクイエム」がヒットするが、この作品とは違うみたい。ただ、最後に左手で弦をポン、ポンと5回ほどはじくあたりは一緒。

2年前のサントリーホールでの公演では最後にポロン、ポロンと弦を静かはじきながら終わっていく時に無粋な拍手が起こって幻滅したが今回は皆さんちゃんと終わるまで静かだった。

 

1曲目も2曲目もクレーメルならではの演奏だったと思う。ただ美しく鳴らせばいいというものでもない、クレーメルが楽器を通じて私たちに語り掛ける、疑問を投げかけているかのように思えた。

 

 

前半最後はアルゲリッチ&クレーメルでヴァインベルクのヴァイオリン・ソナタ第5番

長くなりますが、ヴァインベルクについても書きたい。

 

メモ ミェチスワフ・ヴァインベルク(Mieczysław Wajnberg)は、ポーランド出身でソ連・ロシアで活動した作曲家で、その生涯はまさに波乱万丈なのです。

 

ミェチスワフ・ヴァインベルク (1919.12.8-1996.2.26)

(画像はinterludeよりお借りしました)

 

彼は1919年にワルシャワのユダヤ人の家庭に生まれた。祖父や曾祖父は1903年のキシナウ (モルドバの首都)で起こったポグロム (ユダヤ人に対する大虐殺)で殺されている。

ワルシャワに逃れた父はイディッシュ劇場で指揮者やヴァイオリン奏者をしながら生計を立てていた。

ミェチスワフは12歳でワルシャワ音楽院でピアノを学んだが、1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発すると、ミェチスワフと妹はワルシャワを脱出しようとする。しかし、ミェチスワフは、靴が足に合わず別の靴を取りに家に戻った妹と途中ではぐれてしまう。彼は単身でベラルーシに逃れ次いでウズベキスタンで難民生活を送ったのち、彼の才能を認めていたショスタコーヴィチの助力によりモスクワへ移り、ふたりは親交を深めた。若きヴァインベルクはショスタコーヴィチに多大な影響を受け、「生まれ変わったようだった」と後に語った。

 

ショスタコーヴィチ(左)とヴァインベルク(右)

(画像はinterludeよりお借りしました)

 

しかし、モスクワでも反ユダヤ主義の標的となり過酷な日々を過ごしながらも作曲を続けていた彼は、ある日両親と妹が強制収容所に送られそこで亡くなっていたことを知る。

 

ヴァインベルクの義父で俳優だったソロモン・ミエホリスはスターリンの戦後の反ユダヤ主義運動の一環として1948年に殺され、ヴァインベルクのいくつかの作品は同年のジダーノフ批判で禁止となる。彼は映画やサーカス音楽の作曲で生計を立てていたが1953年2月に逮捕されてしまう。ショスタコーヴィチは彼を救済するために奔走するが、翌月にスターリンが死去したことで処刑をまぬがれ九死に一生を得た。後に公式に名誉回復がなされた。

 

その後はモスクワに住んで作曲を続けた。晩年にはクローン病に罹患し寝たきりの状態となったが作曲を続けた。

彼については、wikipediaの他、interlude (コチラコチラ)が興味深かったです。

『My moral duty is to write abouto the horrors that befell mankind in our century.』

(私の道徳的な義務は我々の世紀に人類を襲った恐怖について書くことです。)

 

ヴァインベルクはピアノとヴァイオリンのためのソナタを6曲書いている。初期4曲は1943~47年に集中して書かれているが第5番は1953年、第6番は1982年と離れた時期に書かれている。特に第5番は屈指の傑作とされ、ショスタコーヴィチの影響やユダヤの旋律的要素がみられる。

 

私は2年前におふたりを通じてヴァインベルク、そしてこの作品を知ったわけだが、この曲が大好きだ。シルヴェストロフやロボダもそうだが、作曲者の人生や作曲の背景などを知って聴くと曲を聴くことによって音楽だけではなくその背景にあるもの、演奏家や作曲家が私たち聴衆に投げかけたいことなど色々考えさせられる。

 

波乱万丈の人生を歩んできたおふたり、年齢を重ねてきたおふたりならではのこの作品、何度聞いてもほんとに素晴らしすぎる。 

今回全曲を通して聴いていて、ヴァイオリンが(人生の道を)右へ左へと迷う、ひいては道を誤りそうになるのをピアノが常に見守り、寄り添い、時に叱ってヴァイオリンの道を正してあげたり、最後は共に手を携えて歩んでいく・・的なストーリーに思えてしまった(超妄想ですw)。

第4楽章での激情を露にするピアノソロがこの作品のピーク、天の審判の声のようだった。

おふたりとも互いになんの気遣いも要らない、すごく弾きやすいに違いない。

ほんまに極上の時間だった・・

 

 

 

後半はアルゲリッチのソロから。

ソロだからきっとなかなかステージに現れないんだろうな~と想像してたら意外にもすぐく出ていらしたw お辞儀をして椅子に座るとサッと弾き始めた。

「あれっ?シューマンはてなマーク

ラヴェルの「水の戯れ」の予定が、シューマンの「幻想小曲集」より第7曲の「夢のもつれ」を軽やかに高速でw弾き始めたので、あ~曲を間違えたのだな・・と思ってたら、この曲のあとにそのまま「水の戯れ」を弾き始めた。

2曲弾いてくださるなんてありがたい!笑い泣き

 

彼女の「水の戯れ」、CDや映像では何度も聴いたことがあるが、を生で聴いたのは初めてキラキラ

淡々とやや早めのテンポで弾いてらしたが、音色が本当に絶品・・えーん

水の戯れの途中でふっと斜め上を見上げる仕草あり(彼女はよくそういう仕草をするんですが)、どんなことを考えながら弾いてらっしゃるのかな、と思いながら聴いた。

私の横でこの公演中終始眠りこけていた娘、ななたろ美もこのアルゲリッチの独奏のときだけはじい~っと見入っていた。

 

当日の演奏の様子 ©脇屋伸光

(画像は音楽祭HPのコンサートレポートよりお借りしました)

 

大分に来られる前に広島公演があり、その際に”被爆ピアノ”を弾いたときの映像があります。

そのときシューマンの「子供の情景」から第1曲の「見知らぬ国と人々について」から続けてこの「水の戯れ」を弾いておられます。8分ほどの動画ですがこれもぜひ観てほしいです。

 

 

 

この動画の最後の方でかてぃんさんがこのピアノの前で話してますが、彼女の演奏は”魔法”みたいだと。ほんとそうだなと思う。

この古いピアノも彼女が弾くと音色がほんとにキラキラと輝くよう。そして彼女も弾いてる間は没入してピアノと一体となっているかのよう(失礼だろと思うくらいほんのすぐ近くで取り巻きたちが録画しているので、本来なら彼女の性格からしてもとても嫌がりそうですけどね)。

ピアノが息を吹き返し、とても喜んでいるかのように思えてしまう。

そういう空間を作れるのは彼女ならではだと思う。

 

 

最後はおふたりでシューベルトのヴァイオリン・ソナタ「グラン・デュオ」

ヴァインベルクのときとはまた違って、穏やかな旋律に癒される~。

とにかくクレーメルの朴訥とした音色がほんと大好き。人が歌ってるかのよう。

そしてそれに寄り添いピアノがとてもいいえーん

 

アファナシエフのピアノでのクレーメルの演奏があったので載せておきます。

クレーメルの弾き方もピアノの表現の仕方もこの日の演奏とはまた全然違ってて面白い。

そしておふたりとも若いにやり

 

シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ イ長調「グラン・デュオ」(25分44秒)

/ ギドン・クレーメル (Vn), ヴァレリー・アファナシエフ (Pf) 

 

 

アンコールは2曲。1曲目がアルヴォ・ペルトー!!笑い泣き

ペルトはエストニア出身。以前このブログ内でも書いたことがある。

 

 

この日の曲は昨年リリースされたペルトのニューアルバムの中に収録されている。

本来はピアノ伴奏のソプラノの歌唱曲だが、この日は歌の部分をヴァイオリンが弾いていた。

めちゃめちゃよかった泣 この選曲もウクライナなどの状況を想ってのものだろうか。

 

アンコール2曲目はピアソラ。ペルトとはまた全然雰囲気が違ってまさにタンゴ!

1曲目はバルト三国つながり(クレーメルはラトビア出身)、2曲目はアルゲリッチの母国アルゼンチン出身のピアソラということなのだろうが粋な計らいでしたぶちゅー

 

 

当日の演奏の様子 ©脇屋伸光

(画像はいずれも音楽祭HPのコンサートレポートよりお借りしました)

 

大分の地元のテレビ局のニュース内で公演の様子が放映されました。下差し

アルゲリッチのソロのシューマンの「夢のもつれ」、続いてふたりの「グラン・デュオ」が少しですけど流れています。

 

 

 

私の今年のアルゲリッチ詣ではこれで終了・・・とても名残惜しかった。

アルゲリッチはよく鼻をグスグスしてたり風邪気味だとか体調いまひとつなのかな、と思う年も多いのだが、今年は例年に比べるとすこぶるお元気そうで演奏の調子もとてもよかったように思う。

 

できることならまたおふたりのデュオ、そしてマイスキーとのトリオを聴きたい。

お三人のご健康とご多幸を心から祈っています。

そして来年もどうかお元気なお顔が拝見できますように。