藤田真央 ピアノ・リサイタル:ショパン;ポロネーズ第1~7番、リスト;ピアノ・ソナタ ロ短調 | Wunderbar ! なまいにち

Wunderbar ! なまいにち

まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

2022. 10. 18 (木) 19 : 00 ~  福岡シンフォニーホールにて

 

ショパン:ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 Op.26-1

     ポロネーズ 第2番 変ホ短調 Op.26-2

     ポロネーズ 第3番 イ長調 Op.40-1 「軍隊」

     ポロネーズ 第4番 ハ短調 Op.40-2

     ポロネーズ 第5番 嬰へ短調 Op.44

     ポロネーズ 第6番 変イ長調 Op.53「英雄」

     ポロネーズ 第7番 変イ長調 Op.61「幻想」

 

リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178

 

(アンコール)

チャイコフスキー:ピアノのための18の小品 Op72より 第17曲「遠い昔」

 

ピアノ:藤田真央

 

  

 

いつものごとく長いですあせる

 

真央くん2年ぶりにアクロス登場飛び出すハート

私が真央くんを聴くのは4回目、ソロリサイタルは3回目。

 

 

 

 

 

いまや世界で活躍する真央さん。巨匠指揮者からひっぱりだこ、色んな音楽祭にも呼ばれ、カーネギーホールやウィグモアホールなど名ホールでのリサイタルも大成功・・とすごい存在になっている真央さんなので、当分福岡までは来られないんだろうな~と思ってたところの福岡公演、しかもリサイタル! 決死の覚悟でチケットをゲットしました(←大げさw)。

 

今回のツアーのプログラムは前半がショパンのポロネーズ全曲、後半がリストのロ短調ソナタ、聞いただけで体力要りそうな・・あせる

 

 

前半はフレデリック・ショパン (1810-49) ポロネーズ第1番から第7番の7曲。私はポロネーズ全曲を生で聴くのは初めて。

 

ショパンの生涯については以前長たらしく書いたことがあります下差し

 

 

これを機会にポロネーズについて備忘録として書いておく。

*参考:wikipedia, 大井駿氏のontomo magからの記事など

 

”ポロネーズ”とはフランス語で「ポーランド風」という意味で、マズルカと同様ポーランド起源のダンスあるいはそのための曲(舞曲)のことを表す。

元々はポーランドの民族舞踊だったが、一つの様式となってヨーロッパで流行した。

典型的なポロネーズはゆったりした4分の3拍子で、第1拍が16分音符で細分されているのが特徴。ダンスは3泊目の最後に挨拶をして締めくくられるため、3泊目のはじめの拍(弱拍)で終結する(女性終止)が特徴。

 

一般的なポロネーズのリズム。最後は弱拍で終止する(女性終止)

 

農民たちのマズルカに対して、ポロネーズは貴族や士族階級の行進から始まったといわれ、16世紀後半にポーランド王国の宮廷で行われたそう。

 

ポロネーズを踊る人々

(画像はpoland.plよりお借りしました)

 

ショパン (1810-49) が作曲したポロネーズは7曲ではなく、実は16曲ハッある。

ショパンは1817年の第11番ト短調から1846年の第7番「幻想」まで16曲のポロネーズを書いたが、生前に出版されたのはパリ時代の第1番から第7番までの7曲。ポーランドにいた頃に作曲された残りの9曲は第8番から第16番とされ、没後に出版された遺作とされる。以下出版された順に。ショパンのポロネーズのリズムについての記事も面白いです。

 

第1番 嬰ハ短調 Op.26-1は1836年 (26歳)に作曲、翌年(ポロネーズとして)はじめて公表(出版)した作品。1836年といえばショパンがマリア・ヴォジンスカに求婚(翌年ヴォジンスカ家から婚約破棄された)、そしてジョルジュ・サンドと出会った年です。

第2番 変ホ短調 Op.26-2 も第1番と同時期に作られた。

第3番 イ長調 Op.40-1 「軍隊」は1838年(28歳)に作曲。

第4番 ハ短調 Op.40-2 は1839年 (29歳)に作曲。

 第3番と第4番はジョルジュ・サンドと逃避行したマヨルカ島で作曲、ポーランド時代の学生時代からのショパンの生涯における無二の友人だったユリアン・フォンタナに献呈された。

第3番が明朗快活な曲調であるのとは対照的に、第4番は低音のオクターブ奏法による重々しく陰鬱な雰囲気。アルトゥール・ルービンシュタインは第3番はポーランドの”栄光”を、第4番はポーランドの”没落”を象徴していると語っている。ショパンはポーランドが独立した暁には第3番を演奏しようと考えていたとも言われている。

第5番 嬰へ短調 Op.44 は1841年(31歳)に作曲。

 この時期ショパンはサンドの別荘のあるノアンで過ごしていた時期。完成前に友人に『より新しい形式のポロネーズ』と紹介していたそうで、中間部にマズルカを取り入れている。シャルル・ド・ボーヴォ侯爵夫人に献呈。

第6番 変イ長調 Op.53「英雄」は1842年(32歳)ノアンで作曲。

 聴きどころでもある左手のオクターブの連打はショパン自身は『早すぎてはいけない。気高い感情を秘めたこの曲の、偉大で荘重な性格が台無しになってしまう』と戒めているそうだ。

 

第6番の直筆譜(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

第7番 変イ長調 Op.61「幻想」は1846年(36歳)に出版、A.ヴェイレ夫人に献呈された。この翌年にショパンはサンドと破局を迎え、心身ともに疲弊していき1849年10月17日に39歳でその生涯を閉じた。

 ショパンは当初この曲のタイトルを「幻想」としており、ポロネーズとしてではなく幻想曲として作曲していた。実際ポロネーズ的リズムは散見されるが5つの主題による自由な形式をとっている。フランツ・リストはこの作品を『この痛ましい幻影は芸術の域を超えている』と評した。

 

以下はポーランド時代に作曲され、ショパンの死後刊行された「遺作」とされるポロネーズ。

第8番 ニ短調 Op.71-1 は1825年(15歳)作。

第9番 変ロ長調 Op.71-2 は1828年(18歳)作。

第10番 へ短調 Op.71-3 は1829年(19歳)作。 これら3作品は前述した友人のユリアン・フォンタナにより1855年に出版された。

第11番 ト短調 は1817年(7歳 (8歳) )のときの作。1927年に遺作として出版された。

第12番 変ロ長調 も同じく1817年の作品。1937年に楽譜が発見され遺作として出版。

第13番 変イ長調 は1821年4月(11歳)に作曲。最初の師であるヴォイチェフ・ジヴヌィに献呈された。ショパンの自筆譜が現存する最古の作品。

第14番 嬰ト短調 は1822年4月(12歳)に作曲されたとされる。死後の1864年に出版。ルドヴィカ・デュポン夫人に献呈。

第15番 変ロ短調 1826年(16歳)に作曲、1879年に出版された。

 1826年6月にショパンと友人のヴィルヘルム・コルベルクがワルシャワ大劇場にロッシーニのオペラ「泥棒かささぎ」を観に行ったが、第1幕第1場のアリア「さあこの腕の中に」に影響を受けてその主題が中間部にあらわれる。また当時妹エミリアの容態が悪化していたため家族でバート・ライネルツの鉱泉に出かけており、その出発に先立ってこの曲をコルベルクに送ったことより”別れのポロネーズ”と呼ばれている⇒中間部の冒頭に「さようなら」と書かれ、そのあとに「ロッシーニの《泥棒かささぎ》によるアリア」と続けられている。

第16番 変ト長調 は1829年(19歳)作。1870年に出版。ポーランドを出国する前に書いた最後のポロネーズとされる。

 

 

前置きが長くなっってしまったが、実際の真央さんの演奏について。

いつものようにハンカチを手に飄々とした様子で登場した真央さん、会釈して椅子に座るなり弾き始めた。

7曲のポロネーズをほぼ切れ間なく(時折2度か3度ふっと曲間に手を鍵盤の下までおろすときはあったものの)そのまま弾いた。

 

第1番の冒頭のタタ~、タタ~、タタ~という和音が予想外に強打してなかったのでのっけからお?と思った。

考えたらポロネーズ7曲を生で聴くのは初めてで(実演を聴いたことがあるのは英雄ポロネーズくらい)、今まで聴き込んでいたポリーニやルービンシュタインなど名だたる巨匠の演奏が頭に刷り込まれていてw それによる先入観が多分にあったと思う。最初のうちはどうしてもそれらの演奏と比較してしまって、ここが違う、あそこが異なるな、ということばかり頭に浮かんできてしまった。

 

どの曲も繰り返し三昧なのだがw、真央さんで聴くと”いかにも繰り返してますよ~”感がない。繰り返すたびにまた違う旋律かのように聴こえるのはそのたびにテンポや強弱、ペダリングなど少しずつ変えていらっしゃるからなのだろうか。 あと曲内だけでなく、(今回7曲通しで弾くということで)1番から7番までの曲の流れも意識しておられたのだと思う。だからなのか、1番や2番は全体でみるとやや抑え気味のように思えた。

余談だけど1番や2番ってなんでふうっと終わるんだろう。ジャン!と終わらずこれからも続くかのように終わるので聴くたんびにあ、もう終わり?となっちゃうにやり

 

真央さんは2番をふうっと終わらせたあと3番の前にほんのちょっとだけ間をおいて「軍隊」を弾き始めた。端整ながらもとても力強い第3番。中間部好きだなぁ。 

うってかわって左手のおどろおどろしげな旋律が印象的な第4番。途中美しくキラキラした曲調になるのにすぐに左手の魔の手(妄想入ってますw)がしのびこんでくる。4番とかポロネーズのリズムはほんのちょっとしか出てこないもんね。 第3と4番は前述したように同日に作られているのに曲の雰囲気は結構違う。ルービンシュタインがポーランドの「栄光」と「没落」と表現したのがよくわかる。

そして私が7曲の中では一番大好きな第5番!ラブこれを聴くのが楽しみだった。右手→左手のオクタープの雪崩のようなスケールや最も好きなところ、32分音符と8分音符のポロネーズのリズムがユニゾンで繰り返されるところが若干な不協和音的な両手の互いの響き(こう感じるのは自分だけかもですが)がたまらんねんぶちゅー 中間部のマズルカはただただ美しくて聴き惚れた。

 

第5番が力強く終わったあと、続けて第6番「英雄」。これだけは反田さんのアンコールなど複数のピアニストで聴いたことがある。真央さんの第6番はどちらかというと華美には知らずどちらかというとやっぱり端整。ただし左手オクターブの連打(これがまた超速い!)のあたりからは力強さをぐいぐいと表出してきた。

 

ほんのちょっとだけの間をおいての第7番「幻想」。前曲が華々しく終わったあとだけに (わかってはいても)あまりの曲調の変わり様に不意をつかれる。 時々ポロネーズのリズムが顔を出しては元気出して立ち上がろう(←マイ妄想w)とするんだけど、また脆くも儚い揺蕩うような雰囲気が覆ってしまう。そうして奏でられる piu lento 第4主題からのコラール風の部分がとてもとても美しかった。 

そして!この曲内のハイライトではなかったかとも思える長~~いトリルビックリマークビックリマークハッハッと息をのむくらい凄みがあった。私の隣の高齢の女性はこのとき口に手を当てて「すご~い」と声を出したくらい。(ってかね、声出すなっつうねんむかっ うるせーばばあ おばあちゃまと心の中で叫びましたよw)この曲がショパンの晩年に書かれたことを考えると真央さんのこのトリルはまるで命が燃え尽きる前に生の炎が最後の力を振り絞ってボッメラメラと短く燃え上がっているかのようだった。

 

この7曲を通して聴くことでショパンの人生の歩みを感じられた方が多々おられたようだが、ほんとにそうだなと思った。個別に聴くよりも一つの壮大な絵巻物を見ているかのようだった。1時間ほどの演奏があっという間だった。

 

しかしショパンってあれですね、幸福感に浸っていると悪魔か死神がひたひたと近寄ってくるような曲想の転換がほとんどの曲(ポロネーズ以外にも)にあり(形式的なものというのはわかるがそれにしても聴いてる自分が不穏な気持ちになるくらい)、これは後半のリストのロ短調ソナタにも通じるものがある。先日九響の公演でマーラーの交響曲4番を聴いたがそれにも通じるような。ショパンの健康や時代背景(医療がまだまだ未発達)なども関係しているのかもしれないが、生と死、あるいは幸福と絶望が裏と表なのをつくづく感じてしまった。

 

 

アシュケナージの演奏の全曲のスコア版があったので載せておきます。

 

ショパン:ポロネーズ第1番~第7番(57分11秒)

/ ウラディミール・アシュケナージ (Pf)

 

 

 

 

後半はフランツ・リスト (1811-86)ピアノ・ソナタ ロ短調

 

リストの生涯についても以前書いたことがあります。下差し

 

 

生年をみたらわかるように、ショパンが1810年、リストが1811年生まれなので1歳違い。

この作品は1852~53年 (42-43歳)にかけて作曲された。この時期のリストはピアニストを引退してヴァイマールの宮廷楽長に就任して5年ほど経った時期で最も充実していた時期にあたる。標題はついていないが、ゲーテの「ファウスト」と結びつける解釈もある。

 

リストの同曲の自筆譜の11ページ目

(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

私は2016年にアリス=紗良・オットの演奏を聴いたことがある。

その時はホール全体の照明を消して真っ暗闇の中、ピアノそばのスタンドだけで演奏された(かつてのリヒテルみたい)。アリスの衣装も真っ黒なドレスで、どちらかというとこの曲の「闇」の部分がエグくてゾゾ~っとした記憶がある。

 

その際のブログ内にも書いているが、この曲を聴いていると、「闇」と「光」のせめぎ合い、あるいは「絶望」と「希望」のせめぎ合いのように聴こえる。
おどろおどろしい低音の弱音から始まってほどなくしてジャーンとフォルテ。 崖から突き落とされて絶望の中をさまよっているかと思うと、転調して希望の光のような旋律。 
基本この繰り返しが続いたあと、最後に天にも昇りそうな美しい高音の和音が響き、希望の光が打ち勝ったか~と思ったら、最後の最後でポンっと低音が鳴らされる。
これは「絶望」が最後に力尽きたときの最後のひと息なのか、それともこれからまた「闇」が始まっていく予兆なのか・・・

 

そういえば直木賞、本屋大賞をとった恩田陸さん著「蜜蜂と遠雷」の中にもかなりのページを割いてこの曲の妄想ストーリーが書いてあったな~(個人的にはあそこの部分まったく要らなかったんですけどw)。

 

椅子に座った真央さん、前半はすぐさま弾き始めたが、今度はえらく”ため”があった。

しばらく思慮にふけっているかのようで、そのあと鍵盤に手を置くも(弾き始めるかと思いきや)弾かず。鍵盤に手を置く→弾かず→手を置く→弾かずを何度か繰り返したあと弾き始めた。

 

 

冒頭のこの部分、ピアノ pだけどまるでピアニッシモ PPかのように私の席ではかすかに聴こえる程度。なのでその分それに続く下差しここがフォルテシモ ff かのようだった。

 

 

そしてこのフレーズ、次いで左手の下差しのフレーズのあとのフェルマータつきの休符毎にいちいち両手をパッと鍵盤から離して膝の上に置いててそれが印象的だった。

 

リストはここの同音連打を”ハンマーの打撃”と表現したそう

 

このあとの細かいことは省くが(この作品こまか~く分析していくとほんと面白そう)、まとめて書くと真央さんの演奏は「光」の部分であれ「闇」の部分であれ、強打するところではゾクゾクするくらいの迫力! そしてppp のような弱奏のところでは一音一音をかみしめるかのようにゆっくりと慈しむように弾いていた。とくに高音での弱音がとてつもなく美しくってキラキラ オルゴールが鳴っているかのよう、天上の音楽のようだった。超絶美しかった・・・

 

前述したようにアリス=紗良・オットで聴いたときは「闇」の面が殊更印象に残ったし、金子三勇士さん(これはテレビの映像で観た)で聴いたときは「光」の側面がとても印象に残った。真央さんはといえば、そのちょうど中間くらいの印象かな。「明」も「暗」も人生にはどっちも重要で色んな側面が同等にあるんだよ、と教えられてるような感じw

演奏を聴く前は、真央さんとロ短調ソナタとのイメージが合わないような気がしていたが、ところがどっこい、とても合っていると思った。これが3年後、5年後など真央さんが人生を歩んでいくとともにこの作品の弾き方もまた変わってくるかもしれない。その時もまた聴いてみたい。

 

この作品の最後は最初は華やかな終結部も構想されていたそうだが、リスト自身の手で抹消されているそうだ。下差し 現在の最後の方がかえってとてもインパクトがあると思う。

 

自筆譜の25ページ目。強音による終結部が抹消されている。

(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

で、その最後の部分。一音一音、天国への階段を昇っていくような美しい高音の和音が響き・・・その音の合間にどっかからグゴ~~といういびきハッ儚げな和音がポーンキラキラ⇒いびきがグゴ~DASH!⇒和音がポーンキラキラ⇒いびきがグゴ~~DASH! まるでいびきが合いの手のよう指差しぷっ 

そうして最後に低音がポン・・・ しばらくの静寂のあと拍手喝采。

 

ってかね、このいびきのおっさん、なんなのービックリマークビックリマークパンチ!パンチ! もうほんとにムカつきました爆弾

この少し前の静寂に入ってきたところでも2階サイドでアラーム音がちゃりんちゃり~ん音譜って鳴ったし暑い

この日、完売御礼はいいけど雑音が結構あってとても残念だったダウン

前半や後半、時々プシューDASH!と大きな寝息??(人工呼吸器のような音)が響いてて興ざめ暑いお前はダースベイダーかっちゅうねんグーむかっ 無粋な咳も多発、寝てたのかチラシをばさっっ!と落とす音、私の隣の香水くっさいおばはんはしょっちゅうオペラグラスのピントを合わせるのにカチャカチャと音を立てていた・・・嫌

もうね、、、、 おまえらじっとして聴け~い!怒る 寝るなら静かに寝ろ~い!怒る

 

 

こちらもスコアがあったので載せておきます。

 

リスト:ピアノ・ソナタロ短調(30分38秒)

/ クリスティアン・ツィメルマン (Pf)

 

 

ってことで気を取り直してアンコールはチャイコフスキー。

これがまためちゃめちゃよかった笑い泣き 人が歌ってるかのようだった。

 

ちょっと期待していたトークはこの日はなかったけど、ほぼ連日の公演をこなしていた真央さん、さぞかしお疲れだったと思う。

今はすでにこのツアーは終わって、チェコフィルとのツアーをこなしていた真央さん。

ジャパンアーツさんも真央さんの体調など無理ないようなスケジュールをお願いしたいです(もう少し効率よい移動(移動距離を短縮できるように公演を組む)にしてあげるとか。大阪にきて川崎にもどって今度は福岡、とかかわいそうな気が・・)

若いし人気だからと酷使せずに無理ないスケジュールで身体を第一に考えてあげてほしい。 

 

 

これはこのツアーの最終日の名古屋での写真かな?

 

これからの真央さんのご健康とご活躍を祈っていますaya

またいつか聴ける日を楽しみにしています照れる