山本衣奈子ブログ☆今日も青空

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日々の仕事や日常生活の中で、
見たこと聞いたこと感じたことなどを綴っています。
【あなたの話が劇的に伝わる”パフォーマンストレーニング”】
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GWを超えた途端に夏ですね🍉

これから各地で気温高めになるとのこと、

体調管理等皆様お気をつけくださいませ。

 

かくいう私は、寒暖差アレルギーなのか、

止まらない鼻水に困っておりますが・・・🤧

 

 

さて、私、神社仏閣を巡るのが好きで、

出張先などでも見かければ必ず立ち寄っています⛩️

 

気持ちの良い空気感や、

静かに手をあわせる時間の豊かさに、

なんだかとても癒される気がするのです^^

 

そしてお参り後の楽しみが“おみくじ”

各地で大凶から大大吉まで、

様々なおみくじを引いてきました。

 

 

「そんなに1年の間に何回も引いて、意味あるの?」

 

 

とたまに言う人もいるのですが、

確かに毎回運気は変わるし、意味と言われても難しいところ^^;

 

なんというか、意味を求めていない、のかもしれません。

 

確かに大凶だとなんか落ち込むし、

大大吉を引いた時は嬉しくて飛び跳ねましたが、

その時大凶でもその後は大吉になることもあったし、

大大吉を引いた後でも凶になることもあったし、

運気ってまぁそういうものですよね。

 

運気ってそんな、

よくわからないふんわりとしたものだからこそ、

おみくじの結果がどうで意味がどうというより、

「今あなたはこんな流れだよ」

と言葉にしてもらうことで、

良い時は良い時なりに、悪い時は悪い時なりに、

「そうなのか」と納得したいだけなのかも🌸

 

 

形のないものに形をつけたのが言葉だとするならば、

今私にどんな言葉がやってくるのか

それを楽しんでいるとでもいうのでしょうか☆

 

 

むしろ求めているのは、昔テレビ番組であった、

「何が出るかな♪ 何が出るかな♪」

というあのワクワク感、ですね^^

 

 

そんな私の影響か、息子も大のおみくじ好き😆

私と同じで、

良い時は「いいことありそう♪」

悪い時は「これから良くなるってことだ」

“何が出るかな”を一緒に楽しんでおります。

 

 

ちなみにこのGW中にも引きまして、

久しぶりに“大吉”をいただきました😁

 

 

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GW明けで調子が出ない・・・

という方も

引き続きGW中です☆

という方も

そもそもGWなんてない!

という方もいらっしゃるかと思いますが、

皆様いかがお過ごしでしょうか^^

 

なにしろここのところは季節を問わず、

寒暖差がありすぎるし、天候は不安定すぎる🌀

体調管理も難しいところですが、

とにかくどんな状況でも健康第一であることに変わりはありませんので、

引き続き体と心を大事にしながら過ごしていきましょう🌸

 

 

さて私、学生時代に演劇を専攻していたことから、

講演・研修の内容には、かなり演劇メソッドを組み込んでいますし、

近頃はそれを希望されることも増えてきました。

 

 

演劇メソッドというと専門的な感じがしますが、

そんなことはなく。

 

だって、そもそも私たち全員が、

日常的に何かを「演じる」ことを求められていますよね。

 

親ならば親らしさを

学生ならば学生らしさを

上司ならば上司らしさを

部下ならば部下らしさを

プロならばプロらしさを

 

求められているものです。

 

仕事の場でよく

「アクションを起こせ」とか

「アクションプランを立てろ」とか言われますが、

Action(行動)Act(行為)の連続したものを指します。

 

そして、「Act」する人のことを「Actor」を言うわけですから、

行動の当事者である私たちは全員がActorであるわけです。

 

だからこそ、演劇メソッドには

かなり私たちの生活に直結するものが多いのです。

 

例えば、セリフひとつとっても、

役者に求められるのは単にそれをはっきりくっきり発音することではなく、

そのセリフに含められている

・意味

・意図

・感情

・目的

を理解した上で表現することです。

 

 

さらにはそれを「会話」として自然に成立させるために、

相手のセリフをしっかり受け取ることが必要不可欠です。

 

ですから演劇では「セリフを聞け」とよく言われるのですが、

これは日常会話でも同じことが言えますよね。

 

自分が言いたいことを言いたいようにただぶつけていくのではなく、

まず相手の言葉を行間を含めてしっかり聞き取り、

自分の思いを誤解のないように届けられるように全身を使って表現することで、

深い“理解”が生まれる。

 

 

先日とあるお店の中で、若い男女が

激しく口論していたのですが、

おそらく原因は何かの“言い方”にあったようで、

「そんな言い方はないよね」

「そんな言い方していない」

のバトルでした^^;

 

 

相手の言葉を単なる言葉として聞くのではなく、

「セリフを聞く」

そして自分の言葉を単なる言葉としてぶつけるのではなく、

「セリフを表現する」

 

 

それがあとほんの少しだけできていたら、

余計な戦いや争いや口論、何よりストレスが減るはず。

 

もっとストレスレスな気持ちの良い世の中にするため、

もっと多くの方にこのコツを広めていきたい!

そんなことを改めて感じた私のGWなのでした🍀

 

 

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GW間近🍀

 

予定が満載!という方も、

通常運転!という方も、

とにかくひたすらのんびりする!という方も

いらっしゃるかと思いますが、

何やらまた色んなウィルスも飛び交っているようなので、

とにかくも健康第一でお過ごしくださいませ^^

 

 

先日、テレビを見ておりましたら、

とある品物について

「これは価値ある逸品です!」

という紹介がされていました。

 

そこでふと思ったのが、“価値”ってなんだろうということ。

 

“価値”って、

同じものでも、人によって感じるものや度合いが違いますよね。

 

 

ある人にとってはどうでもいいものが、

ある人にとってはものすごく価値のあるものであったりする。

 

 

中学時代、私の友人は、

ツテを使って苦労して、大好きな先輩のシャーペンの芯を手に入れ、

それを宝石のように大事にして眺めてはうっとりしていました。

 

はたから見たらただのシャーペンの芯です。

綺麗な色がついているわけでも名前が書いてあるわけでも、

高級品でもなく、どこにでも売っているただの細い棒。

 

でも、その先輩の持ち物、というだけで、

当時の友人にとってはとんでもなく価値のあるものだったわけです。

 

 

そういうものって誰しもにありますよね。

 

例えば、自分の子供の赤ちゃんの頃の手形

例えば、小さい頃からずっと大事にしてきたぬいぐるみ

例えば、辛い時にもらった仲間からの手紙

 

他人から見たら、特に何も思わないようなものであっても、

本人にとってはとても大事で大切で手放せないもの。

 

 

それってものすごく「価値ある逸品」ですよね。

 

つまり“価値”って、

他人に決められるものではなく、自分が感じ決めるもの

 

 

となると、

全てに対して「これには価値がある」と思う感覚を養うことで、

私たちは常に価値あるものに囲まれて過ごすことができる。

逆もまたしかり。

 

 

「価値ある人生」を望むなら、

自分で“価値”をいっぱい感じていっぱい作ろう!

 

雨には雨の

曇りには曇りの

晴れには晴れの

どんな時も、どんな場所にもそこには必ず価値があるはず。

 

“価値基準”を相手に任せるから辛くなるんだ。

そこは自分でしっかと握って、自分の目で価値をたくさん見つけて、

価値ある日々を生きていこう☆

 

 

 

 

 

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4月も後半戦となりました🌸

 

だんだんと新しい環境や状況にも慣れてきたという方も、

まだまだ慣れなくて日々戸惑うばかりという方もいらっしゃるかと思いますが、

とにもかくにもそれぞれがそれぞれの場所で、

毎日を一生懸命生きていること、それだけですごいことだし素晴らしいことですよね。

 

 

息子も学年が一つ上がり、

さらにできることや行ける場所も増えて、

世界がまた大きく広がっているようです^^

 

保護者会で、担任の先生がこんなことをおっしゃっていました。

 

 

「普段何気なく使う言葉が、自分の言葉となり人格となる」

 

 

乱暴な言葉汚い言い方が、“クール”“かっこいい”と思う、

そういう年頃って確かにありますよね。

 

“ちゃんとしている”とか“丁寧”であることが、

面白みがなくダサいこと、なんて錯覚してしまうようなことも。

 

 

それも成長の過程、と言えば聞こえはいいのですが、

それが身体と心に染み付いて取れなくなってしまうとしたら、

これから先の長い人生においてプラスになるとは思えないですよね。

 

 

大人になればなるほど、注意や指摘ってされなくなるもの。

 

例えば「やべえ」「うぜえ」と常に言っている人がいても、

心の中で(そういう言い方しか知らないのかな)と思いこそすれ、

わざわざ「その言葉はどうかと思うよ」なんて伝えたりはしないですよね。

 

 

以前、とある研修で、

「あのー、これなんすけど、いまいちよく分かんねえんだけど、

こういう意味で合ってんすかね」

と質問してきた方がいました。

 

そこは研修の場だったので、

「今は研修中なので、意識してもう少し丁寧な言い回しをしてもらえますか」

と伝えましたが、

あれが日常会話だったら、放っておくと思います。

どんな言葉を使おうが、その人の自由であることは確かですから。

 

ただ、普段の言葉が乱暴で汚いものばかりだと、

やはりそれがそのまま「その人そのもの」を表すものとなり、

周囲のその人への向き合い方にも少なからず影響を与えていくものです。

 

 

かつて勤めていた会社で、

特にイライラすると言葉が汚くなる人がいたのですが、

その人の話題になるとみんなが、

「ほら、あの人ってああいう人だから」

「あー、そうだよね、あの人はあれだもんね」

と噂していたのが印象的でした。

 

“ああいう人”の一言で伝わってしまうネガティブイメージって、

なんだか寂しいし切ないなぁと・・・

 

 

言葉は人格

 

 

担任の先生の言葉に、

改めてハッとさせられました。

 

「うるさいかもしれませんが、

私は子供たちが汚い言葉を使っている時は都度訂正してもらっています」

とのこと。

 

いい先生が担任で、息子はラッキーだなぁ♪

言葉を磨き、人格を磨く1年になりますように✨

 

 

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例えば落とし物を届けてくれる人がいたり、
道に迷った時に教えてくれる人がいたり、
困った時に手を貸してくれる人がいたり、
世の中捨てたもんじゃないと思わせてもらえることって、
案外たくさんあるものですよね。

ただその一方で、
騙したり苦しめたり裏切ったり、
残念だけどそういう人がいるのもまた事実。



ただでさえ不安な世の中。
何を信じたらいいのか、
何を信じてもいいのか、
分からなくなるほどの混沌の中で、

人はより強く“根拠”を求めるようになってきているようです。



「エビデンスはなに?」
つい先日もそんな言葉を耳にしました。

「エビデンスはエビ🦐でんす」
なんて言ったら怒られるだろうなぁ、
なんて思いながらふと考えたこと。



確かに“エビデンス(根拠)”が明確な方が、
情報の信用度は上がる。

でも考えてみれば、
理屈も根拠もないけれど、とても大事なことってあるよね。


例えばとか勇気とか自信とか、
そういうものに明らかな根拠なんてなかったりする。

でもだからといってそれらを信じないわけじゃなく、

むしろ“無償の愛”とか“根拠のない自信”なんてものを、

私たちは「価値あるもの」として受け止めている。



「エビデンス」を求めることが、

悪いわけでも間違っているわけでもないけれど、

そこにばかりこだわってしまうと、

固くなって見えなくなるものがあるんじゃないかしら。


「信じるも信じないもあなた次第」

という言葉があるように、

根拠なんてなくとも、自分が信じたものが形を持つ。



「エビデンスがないから信じない」

と切り捨てるのではなく、

数字やデータなどの形あるものにはエビデンスファースト

でも、未来や心など形のないものには直感ファースト

そういう柔軟な受け止め方があってもいいんじゃないかな。


「なんとなくそんな気がする」

「説明できないけどそう思う」

それも大事な根拠だよね。


「エビデンス」に囚われすぎず、

物事に対してもっとラフな部分も許してあげた方が、

毎日がもっと柔らかく楽しくなるんじゃないかなぁ🌸




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