ブログ☆今日も青空

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日々の仕事や日常生活の中で、
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なんとなくどんよりとした空気感の中、

あっという間にGWも過ぎ去り、

5月も着々と日々日を重ねておりますね。

 

思えば、こういう状況になってから、

室内にいても窓を開けることが多くなり、

なにかをするにもなるべく屋外で、ということが増えました。

 

必然的に増えたのが、“自然”に触れる機会。

 

 

風の感触、花の香り、鳥の声、太陽の光、

昔からずっとあったはずなのに、

意識的に触れることって案外少なかったなと気付かされました。

 

例えば、室内席がいっぱいだから仕方なくテラス席、のように、

以前は「仕方なく外」という雰囲気でした。

今は、室内も席があるけれどむしろテラス席、といったように、

「あえて外」ということが増えました。

 

仕方なく外にいるのと、

あえて外にいるのとでは、

やはり、“外”の感じ方が変わるのですね。

 

前者だと、「暑い」「寒い」「虫がいる」「日焼けする」等が気になり、

後者だと、「空気」「太陽」「風」「匂い」等が気になる。

 

同じ状況でも感じるものが変わるのは、

根底にある意識が違うから。

 

 

「人はあるがままにものを見ることができない」

 

心理学ではそんな風にいわれることもあります。

同じ花でも、「キレイ」「かわいい」「派手」「地味」などなど、

人によって感じ取り方はそれぞれであるように、

受け取り方というのは、10人いれば10通り

 

五感というフィルターを使ってしか外界を知ることができないのが人間。

フィルターを通す時点で、「ありのまま」ではなくなってしまうのだから、

人がありのままに物事を見ることができないというのも頷けます。

 

 

でも、確かに物事を見る仕組みは変えられないけれど、

フィルターは交換可能なんですよね。

 

青いフィルターを覗いていたら全てに見えて、

赤いフィルターに変えたら全てがに変わる、

ならばどのフィルターを使うかをちゃんと選ぶ。

 

 

これはストレスを増やさないことにも有効です。

オススメのフィルターは、“発見”フィルターの積極活用。

 

 

「なんで外にいなければならないんだ」というフィルターではなく、

「外ってこうなっていたのか」というフィルターに差し替える。

 

「なんでこんなに我慢しなきゃならないんだ」というフィルターではなく、

「制限のある生活ってこういう感じなのか」というフィルターに差し替える。

 

「なんであの人は分かってくれないのか」というフィルターではなく、

「あの人が分からない理由はなんだろう」というフィルターに差し替える。

 

 

探偵か探検家、研究者になったような気分で、

周りの景色を客観視してみると、自然にできる「メタ認知」

これはつまり、少し離れたところから冷静に物事を見る力。

 

こういうことを心がけていると、

ストレスも減るし、考える力も鍛えられるし、一石二鳥。

 

何かとストレスになりやすい今だからこそ、

しっかりフィルター掃除してみませんか☆

 

 

 

 

 

 

 

 

1年前のちょうど今頃、

「まぁ、1年位の辛抱だよね」

と言っているのをよく耳にしたけれど、

気づけばその1年後が今ですね。

 

 

どうにも終わりが見えない状態が続いていて、

同じところをグルグル回っているように見えて、

イライラしている人も多いみたい。

 

そりゃそうなってもおかしくはないですよね。

 

「あそこがゴールだからがんばれ」と言われて、

必死こいて走って、

ああもうすぐだと思ったのに、

近付けど近付けど、ゴールがどんどん動いて遠ざかっていくような感じ。

そりゃ腹も立ちます。

 

ちっとも前に進んでいる気がしない!

と苛立たしくもなりますが、

決して前に進んでいないわけじゃないんですよね。

 

 

“人生は螺旋階段”だと言われます。

上から見たら同じところをグルグル回っているように見えるけれど、

横から見たら、少しずつでも確実に上昇している。

 

今はきっと、

その螺旋階段の輪がものすごく大きいところにいるのでしょう。

小さい螺旋なら上がっていることが分かりやすいけれど、

大きくなればなるほど、その傾斜すらほとんど分からなくなる。

 

止まったらそこまで

でもそれでも足を前に進めていけば、ゆっくりゆっくり上に行く。

仮にそれが0.00000001mmであったとしても、

それでも0じゃない

 

 

怒りは力を下に使ってしまう。

地団駄を踏んだところで、一瞬怒りの発散にはなれど前には行けない。

喜びや楽しみこそが力を前に使う。

スキップって、思っている以上に早く走れたりもするもの。

 

 

誰かや何かに怒っていても、自分が前にいけなくなるだけ。

とはいえ笑ってなんかいられないこともある。

だから、無理にスキップしようとは言わないけれど、

そんなときこそ無心で一歩をただ前に出す

 

無心の一歩をひたすら続けていったら、

状況がどうであれ、世の中がどうであれ、

1年後は確実に今より上昇しているはず

 

 

焦らず腐らず慌てずに、

この螺旋階段をゆっくり無心に登っていこう☆

 

 

 

 

 

急激なオンライン化の流れがだいぶ安定感を持つようになり、

当初の混乱に比べたら、

かなり“オンライン慣れ”も広がってきているように感じますね。

 

昨年はオンライン化に戸惑いのあったお客様も、

今年に入って積極的に取り入れている様子を感じます。

 

その一方で、“リアル飢え”が増えているのも事実です。

「正直、もうオンラインはいいよ・・・リアルに会いたい」

という切実な声もちらほら聞こえてきます。

 

 

今はまだ安心して人が集まれる状況ではありませんが、

人はやはり会ってこそ分かち合えるものも確かにあるわけで、

リアルが全てオンラインにシフトすることはないでしょう。

 

とはいえ、オンラインがなくなることもないでしょうね。

オンラインにはオンラインならではのメリットもたくさんあって、

場合によってはリアル以上のものが得られたりすることもありますし。

 

リアルとオンラインの共存

内容や目的に合わせて柔軟に双方を取り入れていく、

そういう流れがここからますます色濃くなっていくでしょう。

 

 

そんな流れに伴い、

オンラインパフォーマンスに求められるものも

だんだんとレベルアップしてきています。

 

“オンラインでも話せる”のは当たり前、

そこに「プラスアルファのもの」

いかに乗せられるかが問われるようになってきました。

 

 

例えば、カメラ目線においても、

ただ「カメラを見て話す」のがファーストステップ。

そこからもう一歩進んで「自然なカメラ目線」

さらに進んで「バリエーションのあるカメラ目線」といったように。

 

 

ところが、話す技術は格段に良くなってきているのに、

カメラを見るのがなかなか上達しない、という方が結構いらっしゃいます。

 

「なんとなく恥ずかしい」

「カメラを見ると緊張する」

「資料を見なきゃならないので、カメラを見る余裕がない」

 

人によって理由は様々ですが、

カメラに苦手意識を持っていて、

そこだけは最初の一歩からなかなか進めないという方も少なくないようです。

 

 

確かに、パワーポイント等資料を使っている場合、

それを見る時間が増えるため、カメラにまで気が回らないことも

あるのは分かります。

 

でも、聴いている側からすると、

カメラ目線を通して、「目が合う」状態とそうでない状態を比べたら、

目がきちんと合っている方が、納得度も親近感も高くなり、

内容もしっかり残ることが多いものです。

 

一般的に、ウソを付く時は人は視線を逸らしがちと言われますよね。

目が合わないというのは、それだけで話の信憑性を下げてしまうこともあり、

とてももったいないことです。

 

 

カメラをじっと見ようと思うと、

恥ずかしくなったり緊張したりしやすくなります。

 

カメラを見なきゃと思うあまりに、

資料に視線を向ける時にやけに不自然になったり、

チラチラと目の余計な動きが生まれてしまったりします。

 

カメラ目線のコツは、

“文章の終わりにカメラを見るようにする”

ことです。

 

 

例えば、

「この図を見て下さい。Aのところに○○と書いてありますね」

といった文章だとすると、

「書いてありますね」のあたりの時に、カメラを見ます。

 

「今日は、皆さんの意見を伺いながら、楽しく進めて参ります」

の場合には、

「楽しく進めて参ります」のあたりはカメラを見る。

 

 

できる限りカメラをしっかり見ることをおすすめしますが、

どうしても苦手な場合は、最後の方にしっかりカメラを見るだけでも

印象はだいぶ異なってきます。

 

あまりにカメラを凝視しすぎると、

かえって威圧感となっているケースもあるので、

そっと柔らかく視線を送る、くらいの方が見やすいですし、

あまり構えずに、ぜひチャレンジしてみて下さい^^

 

 

 

 

 

 

 

一気に暖かくなって、桜がマッハで散ったと思ったら、

急に肌寒くて震えるという、

世の中の空気感同様、気温もなんとも落ち着かないですね。

 

 

4月もはや一週間が過ぎました。

色々な人の話を聞いていると、

ノリノリガンガンな人と、そうでもない人の差が

ますます開いてきているような気がします。

 

言葉にするならこんな感じ。

 

A. 色んなことにチャレンジして成果につなげている人

B. いまいちどうしたらいいのか分からず手探りが続く人

 

そして、それぞれがこう言います。

A.「もっと動かなきゃ!ピンチはチャンスだよ!」

B.「分かってはいるけど、私はあの人みたいにはできない・・・」

 

 

どちらかというと、世の中の目立つ情報は、

Aの人向けのものが多いみたい。

 

“今はこれをやらなきゃダメ!”

“これをしなければ残れない!”

“チャンスはこう掴め!”

といったような。

 

それを見て、触発される人がいる一方、

焦燥感や劣等感に打ちひしがれる人も後をたたず。。。

 

 

もちろん言っていることに間違いはないのでしょうけれど、

でもそれが絶対的な“正解”なのかなとふと思います。

 

「稼ぐこと」や「成功すること」も大事だけれど、

それはあくまでも付加価値ですよね。

生きることのそもそもの大前提は「楽しむ」ことなんじゃないのかな。

 

自分の人生を、自分なりに、自分が納得して楽しく生きていくこと。

それが土台であって、それは他人に判断できるものじゃない。

 

 

一般的にどう言われていようが、他人がどう言っていようが、

自分にとってどうなのかは自分が決めること

 

 

「やると決めてやる」

「やらないと決めてやらない」も、

どちらも正解であって、間違いはない。

 

“他人からどう見られるか”ではなく

“自分がどうありたいか”を主軸にしないと、

他人の価値観の中で右往左往することになる。

 

 

無理して生きるのではなく、笑って生きよう

笑っていられるために必要なことをしよう

 

例えばあるものがあって、

100人中99人がそれで笑顔になったとしても、

自分が笑えなかったら、それは自分にとって合っているとは言えない。

無理に合わせる必要もない。

 

自分が笑顔になれるものを手に入れよう。

自分が笑顔になれることをしよう。

 

 

こんな時代だからこそ、もっと楽に生きよう^^

 

 

 

 

 

 

 

 

4月になりました☆

 

ハイスピードで気温が上がり、

桜もびっくりして急いで咲いて、急いで散っていっているような。

 

季節が猛烈な速さで駆け抜ける一方、

世の中の様子は相変わらずなんとなくスピード感に欠け、

足元に何かが絡まったまま、やっとこさっとこ進んでいる雰囲気。

 

まぁ、急いだところでどうなのかとも思いますし、

状況的には不安要素がまだまだ満載だし、仕方ないとはいえ、

気分晴れ晴れ、よっしゃいくぞー!!!

という空気感が各所からもうっすらとしか感じられないのは、

やはり、春なのになと、ちょっぴり寂しいところではありますね。

 

 

とはいえ、とにもかくにも新学期^^

子どもたちも進級・進学等で環境が変わり、

ドキドキワクワク、まさに期待と不安の入り混じった、

4月ならではの高揚感に包まれていますね♪

 

でもそんな子どもたち以上に不安そうなのが、その親たちみたい。

 

先日、仕事関係で知り合ったとあるママさん。

今年から小学生になる女の子がいるそうなのですが、

とにかく心配と不安でたまらない様子でした。

 

「大丈夫かしら」

「本当に不安で」

 

そうおっしゃるので、よくよく話を聞いていたのですが、

その中でしょっちゅう出てくる言葉に、こんなフレーズがありました。

 

「あの子には無理だと思う」

 

 

そのママさんに言わせると、

新しい環境に慣れるのも、新しい友達を作るのも、

一人で準備するのも行動するのも、

「あの子にはまず無理」

なのだそう。

 

 

話に聞く限りでは、

確かにとても恥ずかしがり屋さんで、

泣き虫さんで、

何をするにもいつもママの姿を探しているようなところはあるみたい。

 

でも、そういうところがあるからといって、

何もかもが「無理」な子ではないはず。

 

その「無理」は、あくまでも“ママが”引いた線であって、

本人が引いたものではないですものね。

まだ何もしていないのだから、線が引けるわけがない。

 

 

「あなたには無理」

心配のあまりついそう言って代わってあげたくなるけれど、

実はそれがものすごく成長や経験の妨げになってしまっているのは事実。

 

 

現に、毎年たくさんの新入社員たちに会いますが、

「してきたこと」ではなく「してこなかったこと」を聞くと、

その理由として

「小さい頃から、親にそれは自分には無理だと言われてきたから」

と言います。

 

 

本当にそうだったのでしょうか。

本当に無理だったのでしょうか。

 

 

その日そのときにしかできないのが経験。

大人が、今から小学校時代に戻って経験し直すことなんて、

それこそ100%無理。

 

その年齢のその経験は、その時にしかできない

その貴重な時間に外部から線を引いてしまうのは、

意図とは逆に、それこそものすごく酷なことをしてしまうことになるのかも。

 

 

大丈夫、あの子はやれる。

 

不安や心配よりも、

その気持ちが、子どもの成長の促進剤になっていくのではないでしょうか☆

 

それに、無理だと思うから自分もより心配になって苦しくなるのです。

子供のためにも、自分のためにも、「無理」を「できる」に変えていきましょう!

 

 

大丈夫、その子もあの子もうちの子も、

みんなみんな、やれる子です^^