山本衣奈子ブログ☆今日も青空

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日々の仕事や日常生活の中で、
見たこと聞いたこと感じたことなどを綴っています。
【あなたの話が劇的に伝わる”パフォーマンストレーニング”】
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これまたある意味予想通り、

10月も猛烈な早さで過ぎていきました。

 

何かをしたような

何もしていないような

何かができたような

何もできていないような

 

そんななんとも言えない漠然とした思いを抱えて

人は生きていくのだろうなぁなんて

これまた漠然と考えたりする月末です^^;

 

 

それにしても、AIの進化が凄まじいですね。

 

一口にAIと言っても大きく2種類あり、

ChatGPTや生成AIを代表とするものを“デジタルAI”

ロボットや自動運転などを代表とするものを“フィジカルAI”

と呼ぶのだそうです。

 

デジタルAIの方がより身近なのでその進化も実感しやすいですが、

フィジカルAIの方もかなり進んでいるのですね。

 

かつてはロボットには不可能と言われていた動きも、

根気よく教え続けることで習得できるようになってきたとか。

それにより、より人間に近い動きが可能になっています。

 

先日AIの研究をしている方に聞いたのですが、

二足歩行というのはとても難しいことで、

ロボットが安定して二足歩行のようなことができるようになったのは

つい最近のことらしいです。

 

例えば洗濯物を畳むという作業も、

種類によって異なる動きをすることもあり、

数百という動きを一つずつ教え込んでようやく一枚こなせる、

というくらい時間のかかることなのだとか。

 

コップを持って机に置くというシンプルな動きでも、

コップを潰さない程度の力の入れ方や、

中身をこぼさないようにかつコップを割らないように

机との距離感や材質や角度などを見極める感覚というのは、

教えるとなると大変ハードルの高いこと。

 

 

そう考えると、人間の能力の高さときたら。

 

 

大まかな動きを覚え、何度か練習すれば、

最低限のことは大体できる。

 

何気なくしている動作が、

どれだけの複雑な動きの組み合わせであることか。

 

当たり前にできることを当たり前にできていることが

人間の能力なんですよね。

 

そう考えると、能力のない人間なんていない。

もちろん得意不得意はあるし、

レベルの差は人によって違うのも確か。

でも、それは単なる個人差という違いであって、

どんな人も能力の塊。

 

ついできないことばかりに目を向けて、

自分も他人も過小評価しがちだけれど、

できていることが当たり前過ぎて見えていないだけで、

私たちは誰しも、だいぶできる奴なんだ

 

きっと自分が思っている以上にできてるよ^^

もっと自信持っていこう!

 

 

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“小さい秋”という歌がありましたが、

近頃の秋はあまりにも小さ過ぎやしないかしら^^;

 

秋が見つけられないまま、

夏から一気に冬へ、といった様子になってきました。

早くも学校ではインフルエンザによる学級閉鎖なども起こっているようですが、

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 

私は身体は元気なのですが、

PCが入院する事態になってしまって一大事でした💦

 

うっかりこぼしたコーヒーが、

運悪くポートの隙間から中に入り込んでしまい、

不具合を起こし始めたために修理となり・・・

 

幸いデータは全てクラウドに上げてあり、

サブPCは手元にあったことと、

これまた幸い連休を挟んだために仕事の連絡が少なかったことで、

致命的な事態は避けることができたのですが、

使い勝手がまるで違うサブPCに四苦八苦でした。。。

 

本当に一瞬の不注意。

「なんであんなところに置いたんだー」

「なんでもっと注意しなかったんだー」

と悔やみましたが、覆水盆に返らず、ですね。

 

過去をあれこれ悔やんだところで、

時間は戻らないわけですから、考えたところで仕方ない。

 

そう思って、

「まぁでもポートだけで済んで良かった」

「まぁでも連休挟んだタイミングで良かった」

「まぁでもサブPCがあって良かった」

「まぁでもデータは保存してあるから良かった」

と、良かったところを見て心を落ち着かせておりました。

 

 

そんな折、

子供が学校で色々と困ったことがあったそう。

 

「こんなことがあって」

「あんなことを言われて」

とあれこれ悲しんだり怒ったりしていたので、

ちょうど“良いところを探す”モードになっていた私は、

「まぁでもさ」と良いところを探そうとしました。

 

そしたら子供が、

「そうやって良い話にしようとしないで」

とぴしゃり^^;

 

「悲しくて嫌な気持ちを聞いて欲しかっただけで、

良い話でまとめられたくない」

とのこと。

 

そりゃそうだよなぁと、なんだかハッとさせられました👀

 

嫌な気持ちは、しっかり味わうことで消化されることもある。

無理に“良いこと”に転換されることでかえってうやむやになっちゃう、

そういうことって確かにありますよね。

 

 

自分のことなら転換もいいけれど、

人の話は転換するよりちゃんと受け取る、

それが相手を大事にするということですよね。

 

子供よ、大切なことを思い出させてくれてありがとう🌸

 

 

 

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耐え難い暑さが永遠に続くのではないかと思っていたら、

いきなり気温が下がって、朝晩は肌寒さすら感じることもありますね。

 

こうなってくると困るのが着るもの。

特に出張が多くなるこのシーズンは、

場所によって大きく気温も気候も異なることがあり、

「もし暑かったら」「もし寒かったら」を考え始めると

荷物が増えること増えること^^;

 

まぁなにはさておき、

スピード感はだいぶ変わってきているものの、

ちゃんと季節は前に進んでいますね🍁

 

 

さて今日はコミュニケーションのお話を。

 

先日、対照的な2人と話をする機会がありました。

Aさんは、言葉選びや例えがうまく、自然と会話が弾むタイプ。

Bさんは、なにかと否定や皮肉が多く、たびたび微妙な空気が生まれるタイプ。

 

 

例えば、関西万博へ行ったという話をすると、

Aさんは「いろんな国の空気が吸えて、肺もグローバル化するねぇ」

Bさんは「あんな屋台村みたいなとこ、高い金を払う気が知れない」

 

失敗した話をすると

Aさんは「やらない後悔するよりやった後悔するほうがいいのかもよ」

Bさんは「そんなのそもそも最初から無理があるでしょ」

 

 

どちらが正しいとか間違っているとか

そういうことではないけれど、

どちらと話していると心地良いかといえば圧倒的にAさん。

 

よくよく話を聞いていると、

Bさんも決して相手を傷つけようとか否定しようとしているのではなく、

ちょっとひねった、エッジの効いた回答をしようとしているようでした。

 

尖った言葉は確かにインパクトはありますが、

それによって相手が嫌な気持ちや不快感を抱くとしたなら、

果たしてそれは何のための尖りなのでしょう。

 

「ひねり」も一歩間違えば「ひねくれ」になってしまう。

ひねりが効いているのはユニークで楽しいですが、

ひねくれているのは聞いていて気持ちのいいものではないですよね。

 

会話は変に気をてらった言葉よりも、

素直な言葉の方がずっと質の良いものになる。

 

実は「かっこ良さ」って、

“気取った”ところより“気取らない”ところにあるんじゃないかなぁ。

 

ひねってもいいけれど、ひねくれないように、

会話はもっと素直に楽しんでいきましょう^^

 

 

 

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9月に入ったというのに、痺れる暑さが続いておりますね💦

 

とはいえ、肌に感じる空気感や耳に届いてくる音色の変化に、

確かに秋の気配が混じるようにもなり、

わずかながらもしっかり季節は進んでいるようです。

 

秋は研修シーズン。

今年もありがたいことにたくさんのお声がけをいただいており、

ここからまた全国各地へお伺いさせていただく予定です^^

 

各地の名物に、食欲の秋、

これはまたなかなかの誘惑が待ち受けておりますが、

せっかくなので色々と楽しみながら参ります♪

 

 

さて時折、

「どうするのが良いのでしょうか?」

といったご相談をいただくことがあります。

 

人の数だけ悩みがあり、

その内容も深さも深刻度も実に様々。

 

自分だけではどうにもならないこともたくさんありますし、

人の意見や力を借りるのも大事なことです。

 

でもどんな悩みであっても最終的に共通するのは、

“あなたはどうしたいのか”

なんですよね。

 

だいたいどんなことにおいても、

できることは無数にある。

やれることもやり方も無限にある。

 

そしてやれることがあるように、

やらなくていいことだってある。

 

なにをやるのか、

なにをやらないのか、

どちらにしたって、最終的に決めるのは自分。

 

だから、

「どうしたらいいのか」

という“アイデア”を他人からいっぱい集めたら、

いっぱい考えて、しっかり決めよう。

 

そして決めたことを信じて行動する。

それがきっと「どうしたらいいのか」の答えなんだよね🌸

 

自分と一番一緒にいる時間が長いのは

他の誰よりも自分自身。

自分の声にももっともっと耳を傾けていきましょう♪

 

 

 

 

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暑い暑いとひたすら言い続けているうちに、

気付けば8月も終わろうというところですね。

 

夏休みや夏祭り、夏合宿に夏期講習などなど、

夏はなにかとイベントの多い時期。

暑さと闘いながら飛び回っていた方も多いのではないでしょうか^^

 

私も自身の予定と家族の予定等のやりくりで、

なかなかに綱渡りでヒヤヒヤの1ヶ月でしたが、

なんとか無事に乗り越えられそうです☆

 

 

さて先日、とある企業研修で若手の方々と話している時に、

「〇〇構文」の話になりました。

 

「〇〇構文」とは、文章のパターンのことで、

その“人物像”が色濃く反映された文の構造や形式のことを指します。

 

近頃よく耳にする代表的なものには下記のようなものがありますね。

 

 

・おじさん構文

・おばさん構文

・(芸能人や政治家の名前)構文

・(アニメや漫画のキャラクターの名前)構文

 

 

「なくて七癖」なんて言葉がありますが、

人間誰しも“癖”があるもので、それが“個性”の一つでもあるとも言えます。

 

例えば

『おら、〇〇だぞ』とか『〇〇、いきまーーーーす!!!』

というパターンを見聞きするだけで、

特定のキャラクターの姿形や声までが脳内で再現されるわけですから、

言葉にはいかにキャラが見えるかという表れですね。

 

おじさん構文・おばさん構文というのは、

そういう文章を書くだけでおじさん・おばさんぽく感じる

ということのようです。

 

おじさん構文とおばさん構文で微妙な違いはありますが、

共通しているのが例えば、

・絵文字や顔文字の多用

・特徴的なカタカナ使い

・一文が長い

・句読点が多い

 

 

おじさん構文では、

・相手の名前に「ちゃん」や「チャン」をつける

・「ー」で伸ばす

おばさん構文では、

・キラキラやハートの絵文字を並べる

・「〜」で伸ばす

など少し特徴が異なるようですね。

 

 

そう言われてみれば、私もりっぱなおばさん構文使いかも・・・

なんて思ったりしました^^;

 

 

ネット上には、

「こういう書き方はおじさん構文・おばさん構文になるから気をつけよう」

というような書かれ方がされているものが多いですが、

それもそれでどうなのかなぁ、とも思います。

 

だって、若手ならともかく、しっかり年齢を重ねてきた以上、

世の中の大半がおじさん・おばさんであることに間違いはないわけですから。

 

別に必要以上に「気をつけて」まで

隠したり若くみられるようにする必要もないのではないかと。

 

 

コミュニケーションの基本は自分の思いをきちんと相手に届けること。

絵文字を使った方がより伝えやすいなら使えばいいし、

「ー」だろうが「〜」だろうが、

伝えたいニュアンスが伝わりやすいものを使えばいいし、

長い文章にしないとうまく表現できないなら、長く書けばいいのではないかなぁ。

 

大事なのは“どう見られるか”以上に“何を伝えたいのか”

自分なりの表現があるなら、それを大事にしていいんじゃないかと思うのです。

 

 

ただ、それを受け取った相手が不快感を持つならそれはまた別の話ですけどね。

例えば、

ちゃんと関係性ができてもいないのに馴れ馴れしいとか、

文章の内容と絵文字が全く合っていなくて混乱させられるとか、

相手の都合をおかまいなしにどんどん送りつけてくるとか、

そういうことにはしっかり「気を付ける」のは最低限の礼儀ですよね。

 

 

研修で出会った若手たちも、

「世代の違いって面白いなとは思いますが、

返事もくれない、話もしてくれない、たまにくれても冷たく一言だけ、

なんていう人より、おじさん・おばさん構文の人の方が好感持てます」

と言っていました。

 

 

あまりあれこれ振り回されていると、

かえって見失うのが“自分”

 

表面的な細かいことより、

自分と相手を大事にする、というコミュニケーションの基本を

忘れないように、もっと気楽にいきたいですね^^

 

 

 

 

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