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山本衣奈子ブログ☆今日も青空

日々の仕事や日常生活の中で、
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三寒四温と言いますが、

近頃は寒と温の差が激しすぎて、

季節感がなかなか感じられにくいですね。

 

「やけに暑い」と「やけに寒い」を繰り返しながら、

気付けば4月も終わろうというところ。

皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 

私は、新入社員研修シーズンを駆け抜け、

その後は出張で飛行機と新幹線で過ごす時間が多い時期を過ごしておりましたが、

ようやく少し一段落したところです^^

 

 

出歩くことが増えると、色んな人や出来事に遭遇することも増えます。

いい日だったと思える日もあれば、そうでない日ももちろんあります。

 

じゃあどんな日が「いい日」だったのかというと、

とっても嬉しいことがあった、ということもあるにはあるのですが、

案外そんなに大きな出来事があったわけじゃないなんてことも多いんですよね。

 

ふと入ったお店の店員さんがとても感じが良かった、とか

ビルに入るときにドアを押さえてくれた人がいた、とか

久しぶりに昔の友人が連絡をくれた、とか

たまたま信号が全部青だった、とか

すごく美味しいお菓子を見つけた、とか

 

とんでもなく喜ばしい出来事がドーンとあるなんてことがなくとも、

そういう小さい喜びがちょこちょこあると、

なんか「いい日だなぁ」って思えたりしてるんですよね。

 

ということは、私たちは誰しもが、

誰かの「いい日」に一役買うこともできるってことなんじゃないかしら☆

 

例えば、誰かに笑顔を向けること

ちょっぴり親切にすること

ふと思った人に連絡してみること

 

 

それで何かが大きく変わるわけじゃないかもしれないけれど、

それによって誰かが寝る前に「あぁいい日だった」なんて思えていたとしたら、

なんだかそれってちょっと嬉しいなと^^

 

すごいことなんてそうそうできるものじゃないけれど、

ちょっとだけ気分が良くなるためにできることをできるときにできるだけ

そうやって「いい日」づくりに貢献するのもなかなか良いではないですか♪

 

ちょっとした想いとちょっとした行動も

立派な社会貢献になるんじゃないかなぁ☆

 

 

 

 

 

 

 

4月になりました♪

3月後半の急激な冷え込みもあってか、

開花が遅れていた桜も一気に花開きましたね🌸

 

天候や気候の変化は相変わらず激しいですが、

皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 

私は怒涛の新入社員研修シーズンに突入しております。

昨年まではまだ少々様子見の雰囲気があった新入社員研修も、

今年は実施というところが増えてきて、

やっぱり動きがあるって活気があっていいですね^^

 

 

「今の若い世代は〜」

とは、私たちがその世代の頃にも言われていた言葉だし、

時代が変われば常識も価値観も変わるのが当然であって自然なこと。

 

ギャップに驚くことももちろんあるし、

考え方の違いに苦労することももちろんありますが、

今の時代をその先端で生きる世代は、

新しい視点を教えてくれてそこから学べることも多々あります。

彼らが使う言葉や価値観の尺度に、ハッとさせられることもしょっちゅう。

 

いつの間にか自分の中で凝り固まっていたものや

こびりついてしまっていたものに、気付けたりもできてありがたいことも^^

 

 

でもだからといって、

すべてをそこに合わせていくというのもなんか違うなと思います。

 

自分のあり方を決めるのは、“流行”“トレンド”ではなく、

あくまでも自分自身であっていいはず。

 

 

例えば、「〜はもう古い!」なんて情報があったとしても、

もし自分がそれを使うことやそうあることを心地よく思っているなら、

それを急いで止める必要なんて全くないですよね。

 

例えば言葉や服装などによくありがちですが、

「〜という言葉は今は時代遅れ」とか

「こんな服を着ていると古臭く見える」とか

そういうのを見ると、

「その言葉を使わないようにしよう」

「あの服はもう着ないようにしよう」

と思うかもしれません。

 

でも、それを自分が気に入っていて、

周囲に迷惑をかけているわけでもなく

特段大きな支障があるわけでもなければ、

そのままでも別にいいのではないでしょうか。

 

 

そもそも「古い」という捉え方もだいぶ主観的なことですよね。

自分の好みや意見を、誰かの主観に合わせるのも

なんだかおかしいような気もします。

 

そしてもちろん、主観なのだから、

「古いと思う方が悪い」というわけでもありません。

 

「そっか、ならやめるようにしよう」

というのも正解なら、

「今はそういう考え方もあるんだねぇ。

でも私はこれが気に入っているから、このままでいいかな」

というのも正解だということです。

 

自分のあり方なのだから、

別に流行に乗っていなくても、

時代の最先端でなくてもいいじゃないですか^^

 

 

情報に振り回されすぎるのもしんどいし、

新旧共に否定することなく、

新しいことを積極的に学びつつ

古いものも自分なりに大事にする

そんなスタンスでいいのではないでしょうか☘️

 

 

 

 

今年の桜は早いのかなぁなんて、

季節外れの暑さの中で思っていたら、

ここのところの冷え込みのせいで、

なかなか咲かない状況になっていますね。

 

桜も気候に振り回されて困ってるだろうなぁ…

 

とはいえ春は春。

今か今かと待ちながら過ごすのもまたこの時期の味わいですね🌸

 

 

さて、幾度かの喉と声の不調の危機を乗り越えて、

ここのところは良い状態で過ごせております^^

 

年々思うのですが、

やはりなにはさておき健康第一ですね。

 

声に異常が起きるたびに、

いちばんダメージを受けているのは、実はメンタル😖

 

 

物理的な傷が生じているのは声帯ですが、

毎回同じくらいの痛みを精神的にも受けているのを実感します。

 

 

だから、かかるお医者様によって

ダメージの受け方が全然違うんですね。

 

 

以前、仕事が詰まっているのに喉を痛めてしまい、

泣きそうな気持ちで行った病院があります。

 

「仕事を休みなさい」

と言われたのですが、突然代わってもらえるものでもなく、

休むわけにはいきません。

 

「休めません…どうしても行かなければなりません…」

と伝えたところ、

「じゃあ勝手にすれば」

と言われました。

 

 

あまりにも冷たい突き放し方に、

ただでさえ泣きそうだった気持ちがさらにぶん殴られたようなショックで、

悲しいやら辛いやら悔しいやら怖いやら、

文字通り目の前が真っ暗になり、ものすごく落ち込んで帰りました。

 

幸い仕事はなんとか休まずに乗り切れたのですが、

ショックを引きずったのか、治るまでに相当の時間を要しました。

 

 

また違う時に、

同じような症状で別の病院にかかった時は、

 

「あー、これは辛いね、、、でも休めないよねぇ。。。

とにかくできる限りやってなんとかしよう!大丈夫大丈夫!」

 

と言ってもらえて、それだけで気が楽になって、

気付けばかなり早いスピードで治っていったこともあります。

 

 

“病は気から”

という言葉もありますが、

これは本当にあるなぁと思います。

 

そして弱っている時にどんな言葉をかけられたかに、

自分の中のエネルギーがとんでもなく影響を受ける。

 

 

だから病院選びは慎重に

ということではありません。

 

もちろんそれもありますけどね。

 

でもそれよりも、我が身を振り返りました。

言葉は時に凶器になる

それをつい忘れて、好き勝手に振り回してしまっていること、

私自身もあるかもしれないなぁと。。。

 

特に疲れている時やイライラしている時は、

つい尖った言葉が出やすくなるもの。

 

疲れていたり余裕がない時は、

なるべく一人になるようにする

というのが実は周囲への気遣いでもあり、

大事なセルフコントロールなのかもしれないですね。

 

 

まぁそれと私の場合、

喉の安静とケアが人並み以上に必要なようなので、

喉への気遣いも忘れないようにいたします💧

 

 

 

 

 

 

 

昨日は222✨

めでたく会社が14周年を迎えました^^

 

全くもって順風満帆なんてことはなく、

ピンチも山ほどあったけれど、

今こうしていられているということは、全て乗り越えてきたという証。

 

上手い方法なのか

正しいやり方なのか

これが正解なのか

今も正直全くわかっていません💦

 

でもそもそも私が会社を設立したのは、

上手くやるためでも

正しくやるためでも

正解をなぞるためでもなく

自分と周囲を笑顔にするため

 

そういう意味では

しっかり理想を形にする努力だけは続けてこられたのではないかなと、

そこは自分をしっかり褒めてあげたいと思います♪

 

これからも、

できることをしっかりと

コツコツ丁寧に進んで参ります!

 

 

さて、講演や研修などに伺うと、

たまにこんなご質問をいただくことがあります。

 

「色んな人が色んなことを言っていて、混乱することがあります。

どれが正解なのでしょうか?」

 

 

確かに、現代は超情報社会。

ありとあらゆる情報が、ありとあらゆるメディアで、

四方八方から飛んできますし、

同じ内容でも人によって捉え方は様々。

 

色んな情報を手に入れるほどに、

かえってどうしたら良いのかわからなくなる、

そんなこともありますよね…

 

 

でも私がいつも思うのは、

大事なのは、完璧な正解を見つけることではなく、

自分が何を正解として前に行くかということなんじゃないかなと。

 

人は皆、違う脳を持って違う心臓を持ち、

バックグラウンドも経験も価値観も違うのですから、

“正解”だって人の数だけあるものです。

 

 

例えば、

「健康のために週に3回は運動しましょう」

とその根拠とともに論理的に勧められたとします。

 

理屈はわかるのですがとにかく体を動かすのが嫌で仕方なく、

無理やり3回取り入れてみたものの苦痛で仕方ない、

なんていう場合、

果たしてそれが本当に自分の健康のためになっているかと考えると、

メンタル的にはかえってストレスを溜めることになってしまっているかもしれないですよね。

 

だったら、それを自分が心地よいと思える範囲、

例えば週に1回とか、2週間に1回とか、

それでもいいんだし、その方が自分には正解かもしれないですよね。

 

 

“正しいやり方”に振り回されて悶々と過ごすより、

もっと自分の素直な気持ちに沿った“自分なりの正しさ”を大事に

気分良く過ごすことの方が、大切なのではないでしょうか。

 

 

きちんと真面目に考えて生きるのも素敵なことですが、

もう少し不真面目でもいいこともあるんじゃないかなぁ。

 

正解にこだわって必要以上に気を張って生きるより

心地よさにこだわって気を楽に生きる方が

満足感や充実感も増えそうではないですか^^

 

 

“正解”に悩んだら、

自分の心地よさと気分の良さで決めてみてはいかがでしょう☆

 

 

 

 

 

 

今週東京では久しぶりのまとまった雪となりましたね。

 

大喜びではしゃぐ子供たちと、

ハラハラと心配そうに空とスマホを交互に覗く大人たちが、

象徴的で対照的でした^^;

 

 

そんな珍しい本格的な雪の日に、

私は一つ歳を重ねました♪

 

考えてみれば、

この日から私の人生が始まったわけですから、

私にとっての新年は誕生日からってことですよね☆

 

色々あったけど、

とにかくこうしてまた新年を迎えられて嬉しい🌸

 

生んでくれた親と、

出会ってくれた人たちと、

頑張った自分に、

心から感謝です^^

 

 

さて、歳を重ねると言えば、

時代の変化というのも目まぐるしいものがありますね。

 

近頃、古いドラマを観るのにハマっているのですが、

“今なら大問題”というシーンが目白押しで、

そういう意味でもなかなか見応えがあります。

 

言葉遣いとか性差とか暴力とかね。

徐々に変わったものって気付きにくいけれど、

改めて見ると世の中が激変しているのが分かります。

 

これは常に自分も、

アップデートとバージョンアップを心がけないと、

あっという間に置いていかれますね💦

 

 

言葉においては、

言語力や読解力の低下が問題視されていますが、

むしろ以前よりも敏感になりすぎているのではないかと、

思わされることも少なくありません。

 

例えば「マルハラ」

 

皆さんはこの言葉を聞いたことがありますか?

近頃話題になっているとのことで教えてもらいました。

 

文章の最後に「。(まる)」がついていると、

そこに恐怖を感じたり威圧感を覚える人がおり、

それが「ハラスメント」だと言われるそうです。

「。(まる)のハラスメント」「マルハラ」

 

つまり、

「わかりました」

「わかりました。」

の違いとのこと。

 

 

そう言われてみればその感覚も分からなくはないですが、

私にとっては、「。」はあくまでもただの“句点”であり、

それ自体にあまり意味を感じることはありません。

 

そこに“感情”を読み取るからこその感覚だとしたら、

かなり敏感ですよね。

言語外の意味を読み取りすぎている気もします。

 

 

とはいえそれはつまり、

言葉への意識が高いことの表れとも言えますよね。

 

それはそれで良いことではありますが、

個人の意識を超えて「ハラスメント」としてしまうのはいかがなものかと‥

 

 

文章の分かりやすさのために使ったものを、

“攻撃”と捉えてしまうのはあまりにも飛躍していますよね。

 

まぁでも、もっと引いて考えれば、

文章だけの関係だと、文字からしか汲み取れる要素がないので、

あれこれと誤解が生まれやすいわけで。

 

「。」を使うか使わないかという問題ではなく、

もっと顔見て話そうよ、ということかなと思うのです。

 

 

コミュニケーションは単なる“伝達”ではなくて、

“相互理解”のためにあるのだもの。

 

 

小さな丸一つで騒ぐより、

もう少しだけ、

あと一歩だけでいいから、

お互い近寄ってみませんか^^