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山本衣奈子ブログ☆今日も青空

日々の仕事や日常生活の中で、
見たこと聞いたこと感じたことなどを綴っています。
【あなたの話が劇的に伝わる”パフォーマンストレーニング”】
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とうとう全国で40度越えが続出するようになってきました。

 

とにかく本当に、「暑さ対策」なんて生やさしいものではなく、

「命を守る対策」が必要になってきておりますので、

皆様どうぞくれぐれも気をつけてお過ごしください💦

 

 

さて、

近頃なにかと「パフォーマンス」が重視される傾向があるようです。

 

例えば、

タイムパフォーマンスコストパフォーマンスなどがよく聞かれますね。

 

これらは略して「〇〇パ」とされることが多く、

タイムパフォーマンスは「タイパ」

コストパフォーマンスは「コスパ」

などと言われています。

 

 

「パフォーマンス」というと、演劇を専攻していた身としては、

“演技”とか“表現力”というイメージがあります。

 

でも今よく使われている「パフォーマンス」は、

“効果”“成果”という意味合いが強いみたいですね。

 

 

タイムパフォーマンスは、かけた時間に対する効果の度合い

コストパフォーマンスは、かけた費用に対する効果の度合い

 

パフォーマンスが高ければ投資となり

パフォーマンスが低ければ無駄となる

そんなイメージでしょうか。

 

 

確かに時間も費用も無駄にしたくはないという気持ちはわかるのですが、

その理屈から言うと、なかなか尖った「〇〇パ」も色々出てきているようです。

 

 

例えば

スペパ(スペースパフォーマンス)=使った空間に対する効果の度合い

ウェルパ(ウェルビーイングパフォーマンス)=行動やサービスが生む心身に対する良い効果の度合い

アカパ(アカウントパフォーマンス)=使ったアカウントサービスによる効果の度合い

ラブパ(ラブパフォーマンス)=かけた愛情に対する効果の度合い

 

 

確かにできるだけ効果は高い方がいいですが、

「パフォーマンスが悪い」と切り捨ててしまうのも

少々ドライすぎるような気もします。

 

特に“ラブパ”などは、

「これだけやってやったのに」という利己的な要素も感じられますし^^;

愛情や情愛など、“心の状態”をパフォーマンスという秤に載せてしまうのは

少々強引すぎるのではないかしら・・・

 

 

そうそう、

先日「タコパ」という言葉も教えてもらいました。

 

タコパといえば“たこ焼きパーティー”

 

それは以前から知っていましたが、

最近は違う意味で使われることがあって、

“タイム&コストパフォーマンス”の略なのだそう。

 

時間も費用も共にパフォーマンスが高いことが大事、

というのを端的にした表現ですね。

 

「タイム&コストパフォーマンス」と全て言うのは、

長いので時間と労力の無駄、と言う意識もチラ見えします。

 

確かにそうだし短縮できるのもはした方が便利だけれど、

「タコパ」と聞くとどうしても頭の中にまずタコ🐙が浮かんでしまうので、

 

「え?たこ焼きパーティー?」

「いや、そうじゃなくて」

 

のやりとりが必須になりそうだし、

かえって余分な会話が増えて長いやり取りになるのでは・・・^^;

 

総合的に「タコパ」を考えるなら、

むしろ物事を端折ったり短縮したりしない方が、

効率的なのかもしれませんね。

 

 

 

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予想通り、いや予想以上に、

とんでもなく暑い日が続いていますね

 

夏といえば、

響き渡るセミの鳴き声と、

走り回る子供達の歓声と笑い声、

というイメージ🌻

 

でもなんだか近ごろは様子が違う

 

暑さのせいか、人も動物も虫も、

外に生き物の姿を見ることが少なく、

やけに静かにユラユラと

空気中に熱気だけが漂っている感じ

 

「静か」という音ってありますよね

漫画などでは“シーン”と表現されたりしているあれ

 

実際に“シーン”という音が鳴っているわけじゃないのに、

確かに“シーン”と聞こえるという「静けさ」の不思議

 

とにかくも、なんだか“シーン”としているから

余計に暑さが際立ってくる

 

これまで、セミがやかましいから暑さが増すのかと思っていましたが

どうやら違うみたいだなぁ

 

 

とはいえ、どんなに暑かろうが、

日々の生活は止まらないわけで

 

仕事もさることながら、夏休みシーズンということもあり

家の作業も必然的に増えてきます

 

家族全員の夏休みスケジュールを把握調整しないと、

自分の予定もままならないわけですが、

とにかく“夏休み”という非ルーティンの毎日💦

 

突発的な出来事や用事も様々に飛び込んでくるので、

ハンドリングのハードルが急に高くなり、

アワアワするわ、ゼーハーするわです^^;

 

こういう特に家で起きていることやしていることって、

あまり評価されないというのも哀しいところ・・・

個人的なことといえばそうですし、仕方ないこととは思っていたところ、

最近「イエチカ」という言葉があることを知りました

 

 

「イエチカ」とは、家の地下室ではもちろんなく、

「家で力をいれていたこと」の呼称とのこと

 

「学校で力を入れていたこと」「ガクチカ」と呼ぶのにならって

生まれた言葉のようです

 

例えば子育てや介護といった家庭内の経験や、

町内会活動やPTAなどの地域内での経験を、

ビジネスシーンでも活かせるという観点から、

「イエチカ」が注目されているようです

 

決して楽じゃないのになかなか認めれず評価もされない

それじゃ、辛いことはただひたすら辛いだけになってしまいます

 

人の能力が発揮されているのは、

なにもビジネスシーンだけとは限らない

 

複雑で煩雑な家庭にまつわるたくさんの物事を

何気なく涼しい顔で

一手に引き受けてこなしている人はたくさんいます

 

 

それってものすごい高度な“スキル”ですよね

 

そういうことが再評価されることによって

個人の能力はもっと活かされるし

モチベーションだってあがります

 

どんな仕事をしているとか

どんな成果を生み出したかとか

飛び抜けた能力があるかとか

そういうことに関係なく

みんなその人なりに必死に生きてる

 

“できないこと”より“できること”に目をむける

 

就職とか転職とか再就職とかに関わらず

世の中全体がそうなっていけば

きっともっともっと人は輝き、生きやすくなるんじゃないかなぁ🌸

 

 

 

 

 

 

 

 

今年もまた輪をかけて、

暑いというより熱いですね💦

 

身の危険を感じるほどの暑さなのに、

今日時点では、関東・北陸・東北はまだ梅雨明けしていないそうで・・・

 

確かに雨は降りますが、

梅雨のイメージの“シトシト”という感じではなく、

“ザーザー”“ザンザン”という感じなので、

これはもう、夏の豪雨ではないかと思うのですが^^;

 

 

まぁ、天気はどうあれ、

ときは着々と流れ、

早くも七夕も過ぎて、2025年も後半に突入。

 

あれこれ困難も多い昨今ですが、

とにもかくにも一歩一歩、自分のペースで進んでいきましょう☆

 

 

さて先日電車の中で、

とあるお母さんが子供に向かって、こんなことを言っていました。

 

「他の人に迷惑かけちゃダメでしょ!」

 

 

お母さんは周囲への気遣いで言ってくれていたのももちろん分かるのですが、

ふと考えました。

 

 

(全く迷惑をかけない人なんているのかなぁ)

 

 

私自身いい年齢の大人だし、

できる限り迷惑をかけないようにしたいと心がけているつもりではありますが、

それでも道を歩けば人にぶつかってしまうこともあるし、

気付かずに後ろの人の通行を邪魔していることもある💧

 

うっかり手が滑ってコップの水を倒して机を水浸しにしたり、

コンビニのレジ前で急に携帯が固まって後ろの人を待たせてしまったり、

道に迷って一緒にいる人を余計に歩かせてしまったり、

まぁとにかく色々な迷惑をかけていると思います^^;

 

もちろん、わざとやるのは“迷惑”というより“いじわる”なので、

それはまた話が違ってきますが、

どんなに気をつけていてもかけてしまうのを避けられないのが

“迷惑”なのかもしれません。

 

 

だから大事なのは、「迷惑をかけないようにする」こと以上に、

「お互い様」の意識を持つことなのかもしれないなぁ。

 

 

自分がかけている迷惑に無頓着というのは確かに問題だけれど、

その割に自分がかけられる迷惑にはいちいち目くじらを立てるというのは

なんか違うような気がする。

 

お互い様なんですよね。

みんなそれぞれ迷惑をかけ合いながら生きているのだもの。

 

 

だから、できる限り迷惑をかけないと言う意識を持ちつつも、

どうしたって迷惑をかけてしまっていることを自覚して、

その分相手の迷惑にも「まぁお互い様ですから」と言える気持ちを忘れない、

そういうことが大事なんじゃないかなぁ。

 

平和で穏やかな毎日って、

そういうちょっとした大らかさから生まれてくるのではないでしょうか🌸

 

振り返れば、知らないうちに自分もたくさん許してもらってきているのだから、

自分も許せる人でありたいものです。

 

とんでもない迷惑行動は別ですが、

ちょっとした迷惑には、

「お互い様」とサラリと流せる爽やかさがあるって素敵✨

私はそうありたいな。

 

電車の中でお母さんに怒られてシュンとしている子供の顔を見て

そんなことを思ったのでした。

 

 

 

近頃和菓子にハマっております。

 

一仕事終えた時や疲れた時など、

以前は「甘いケーキが食べたい」と思っていましたが、

最近は「甘いあんこが食べたい」と思っている自分がいます^^

 

羊羹、大福、たい焼き、あん団子…

これらを渋めの日本茶といただく幸せ☆

 

 

味覚に限らず、

人の感覚というのは年齢とともに変わるものだなと実感することが増えました。

 

そしてこの感覚の変化というのは、

時代によっても変わってきているものですね。

 

例えば言葉の使い方。

同じ言葉でも世代によって使い方が全く違っていることに

気付かされることも多いですよね。

 

一時話題になったのが、

文末の句読点の使い方によって、受け止め方が違うというもの。

文末の「。」が付いているだけで怖いと感じる若手世代が増えているとかで、

これがハラスメントにつながると「マルハラ」なんて言葉が生まれたりもしていました。

 

正直私にとっては、

「。」は文末の区切りという意味以上のものはなかったので、

そこにまでわざわざ“意味”を見出すとは、

ある意味言葉への感度が上がっているということなのかしらと思ったりしました。

 

 

それから「〇〇構文」というのもありますね。

代表的なのが、「おじさん構文」や「おばさん構文」と言われるもので、

そういう使い方をしているのは“古臭い”のだそうです。

 

例えば絵文字や感嘆符を多用するとか、

一回の文章量が多い、なんていう特徴があるらしく。

 

これまた私は完全に「おばさん構文」だったことに気付かされました^^;

 

 

もっといえば、その絵文字そのものの意味も、

世代によって受け取り方に大きな違いがあるようです。

 

例えば親指を立てた「サムズアップ」のマークは、

純粋に「いいね」という意味で使う世代がいる一方で、

若手世代には「攻撃」「嫌味」と捉える人も少なくないのだとか。

 

 

時は止まることなく流れ続け、

日々いろいろな変化が起こり、

時代が変われば人も変わる。

 

それは必要なことだし、悪いことではありません。

 

でもだからと言って、

「古さ=間違い 新しさ=正しい」ではない

のも確かです。

 

古さにも新しさにも、学ぶべきところがあり、

尊重すべきところがあるのが事実。

 

 

だから、

「昔はこうだったんだから、今の言葉はおかしい」

とか

「その言い方は古いから、昔の言葉を使うのはダサい」

という理由だけで、それを否定するのは違うような気もします。

 

 

言葉はそもそも自己表現のツールの一つ。

 

無理に古さに従う必要も、

新しさに合わせる必要もなく、

自分にとって最もしっくりくる使い方をするのが“正しい”のではないでしょうか。

 

 

言葉の細かい部分を突っつき合って対立するより、

もう一歩歩み寄って、

お互いの言葉でもっと会話した方が、

コミュニケーションがもっと有意義で楽しいものになるんじゃないのかなぁ☆

 

 

 

 

 

 

梅雨のせいか、肩こりが悪化しております・・・

手を挙げたり下げたりするのには特に問題ないのですが、

とにかくバリバリのバキバキ。

 

肩を回すだけでボキボキと結構な音がするので、

子供に嫌がられております^^;

 

 

肩こりといえば、先日仲間がこんなことを言っていました。

 

「あの人といると肩が凝るのよね」

 

肩こりって確かに、姿勢の悪さや季節だけでなく、

人間関係でも起きていますよね。

 

“肩が凝る”と言われてしまっている人を観察していると、

共通点として見えてくるのは

 

・隙がない

・きちんとし過ぎている

・細かいことにこだわり過ぎる

 

といった部分です。

 

いるだけで緊張感を漂わせるというのでしょうか。

確かに、ずっと張り詰めるような空気の中では肩が凝りますよね。

 

きちんとしているというのは信頼という意味では大きなプラスですが、

あまりにきちんとし過ぎるのは、少々息苦しさを生むことがあるのは事実です。

 

 

以前、まるでモデルルームのような整然とした綺麗な部屋に住んでいる方の

お部屋にお邪魔したことがありました。

白を基調に統一されて、無駄なものが一切ないお部屋。

座り心地の良いソファーやふかふかの絨毯、ほのかに漂う良い香りは、

“心地よさ”や“憧れの住まい”という言葉をそのまま形にしたような印象でした。

 

一緒に行ったメンバー全員が感動していたのですが、

帰り道でみんな口々に「緊張したーーーーー・・・」

言っていたのが印象的でした。

 

綺麗過ぎて、部屋の持ち主が特に何かを言っていたわけでもないのに、

「汚さないようにしなきゃ」

「壊さないようにしなきゃ」

「失礼がないようにしなきゃ」

といったことが過剰に気になってしまい、

ずっとどこか緊張している状態になってしまっていたのでした。

 

その後に当時一人暮らしをしていた私の部屋に来て、

「いやー、ここは落ち着くわー」

と言われたのは、喜んでいいのかどうか悩ましかったですが^^;

 

 

ある程度のラフさや、気楽さ、抜けや遊びというのは、

肩の力を抜いて、本来の姿であるために、

必要なことなのかもしれません。

 

 

私の大好きな友人に、

とても美人で、過去の経歴も輝かしく、

頭も良くてしっかりしており、尊敬できる人がいます。

 

その人の綺麗な部分ももちろん素敵だとは思うのですが、

個人的に一番好きなのは、たまに見せてくれる素顔の方です。

 

しっかりしているようで案外おっちょこちょい、

強い人のようでとても繊細、

クールに見えて愛情に溢れる人。

 

そういう部分が見えるほどにどんどん好感度が高まっていくのを感じます^^

 

 

「もっとしっかりしなきゃ」という呪縛に、

私たちは案外捉われ、

そのせいで遠回りをしたり、損したりしていることも多いのかも。

 

 

人はこちらが思うほど、他人に対して完璧なんて求めてない。

“しっかり者”より“うっかり者”の方がより愛されるもの。

 

温かい人間関係ってむしろそういうところに宿っていくものなのではないでしょうか☆

 

美しさや綺麗さだけが“心地の良さ”ではない。

もっと力を抜いて、もっと気楽にいきましょう^^