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M3遣いのブログ

ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

転落事故による負傷(診断名:前額部挫創(一部挫滅)、右橈骨遠位端骨折)から約2ヵ月、仕事復帰から1ヵ月が経過しました


徐々にできることも増えてきて、今日は負傷後初めて洗車しました


洗車後、曇りがちだった天気も良くなってきたので、10キロほど離れたダム湖までクルマを走らせ、遅い紅葉を眺めながら洗車後の滴(しずく)を拭き取りました








家に帰ってから、負傷後何度もチャレンジするも一度もできなかったペットボトルのキャップを骨折した右手で回して開けることに成功しました


なんてない日常ですが、このように以前普通にできていたことがまた、少しずつできるようになるのが嬉しい


一方で、後遺症や完全には元に戻らないのではないかという不安もあります


右手中指の痺れは依然として指先の感覚がほぼ無く、手首の可動域は前後に10度くらいしかなく、通院によるリハビリを続けていますがなかなか好転しません




入院と自宅療養だった最初の4週間と比べると、仕事復帰してからは格段に体や手を使う機会も増え、それ自体がリハビリになっていると思います



この間あらためて感じたことが三つあります


ひとつは、歳を取るとケガの回復が遅いなぁとつくづく思います


金属のプレートを入れた手首の傷はようやく先週塞がったばかりだし、30針縫った頭の傷は、油断するとすぐ割れて流血

いまだに絆創膏が手放せません


僕より少し前にガラスで足を切って大ケガをした小学生の男の子は、1ヵ月も経たないうちに友だちと公園を走り回っていました


必ずしも年齢だけのせいではないかもしれませんが、細胞の再生能力は以前と比べると確実に衰えているよなぁと思います



ふたつめは、僕等が今暮らしている社会は、明らかに右利きを前提につくられていると、自分が右手が不自由になってあらためてまざまざと思い知ったこと


職場復帰して2週間ほどは、クルマの運転がまだできなかったので電車通勤したのですが、ICカードをかざすパネルが右側にしか設置されていないため、左手でカードを持ってタッチするのがとても不便に感じました


住んでいるマンションのエントランスのガラス扉も右開きで、これまで20年以上何も感じず開けてきたけれど、骨折した右手では重くてビクともしない


仕方なく左手で取っ手を手前に引くのですが、引っ張った左手と体が交差するのでそのままでは中に入ることができず、左手で少し開けて隙間に足を差し入れ、全身を使って扉をこじ開けるようにしないとドアひとつ通ることができない


他にもさまざまな場面で左手を使うことによって少し器用になりましたが、その一方で世の中に1割以上いるといわれる左利きの人たちは、人知れず苦労をしているのだなあと実感しました



最後のみっつめです


それは、職場の同僚の皆さんをはじめとする周囲の人たちへの感謝です


事故直後、現場はテレビドラマのような血の海になっていたそうだし、ドクターヘリで搬送された程なので、皆さんものすごく心配してくださいました


職場復帰して、会う人会う人、「復帰できてよかったね、心配したよ、大丈夫?」と声をかけてくださって、「自分のほうこそ、1ヵ月も休んで皆さんに迷惑をかけてしまってすみませんでした」と平謝り


そんな中でとりわけ感謝したいのが、毎日一緒に仕事をしている同僚の皆さん


できないこともまだまだたくさんある僕ですが、過度に気遣われることもなく、普段通り接してくれたことが何よりありがたかったです


右手のリハビリもまだまだ完全復活への道のりは遠そうですが、ぼちぼち、でもサボらずにがんばりたいです


後年この出来事を振り返って、大変だったけど貴重な経験だった、と笑って話せるようになるといいなと思います



あ、ひとつ書き忘れていました


ようやく愛車M4の運転ができるようになったのですが、リバース(バックギア)に入れる時だけは痛みに悩まされています


Rが1速の左上に切られていて、走行中の誤操作を防ぐため思い切り(殴るように)左に引き寄せないとギアが入らない




この時だけは、まだ握力が12,5kgしかない右手の弱弱しさに泣きたくなります



明日は早朝から餅つきです

あまり役に立ちそうにありませんが、できることをがんばろうと思います






前回のブログで報告した転落事故から、ちょうど28日目(4週間後)の2024年10月25日に、仕事復帰しました



まだ頭の傷も、切開して金属を埋め込んだ右手首の傷も完全に塞がっておらず、めまいも収まっていませんが、とりあえずまた仕事ができることの喜びを感じています



自分の不注意が原因の事故により多くの皆様にご迷惑、ご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます




仕事復帰は果たしたものの、右手の機能は事故前の20パーセント程までしか回復しておらず、従ってクルマの運転もまだできない



当然治療やリハビリのための病院通いは自家用車は使えず、電車やバスも不便な場所にあるので、大部分をタクシーに頼りました



その回数は約1ヶ月の間に20回



もともとタクシーを使うことがほとんどなかった僕にとっては、今までの人生で乗った全ての乗車回数を上回る頻度でタクシーのお世話になりました



まずありがたいと思ったのが、スマホにアプリを入れて支払い方法を紐付けしておくと、全てがアプリで完結してしまうことの便利さです



タクシーアプリを使い慣れている人にとっては今更な話だと思いますが、昔のイメージだと、


①タクシー会社に電話して今いる場所と行先を伝え、係の人が〇〇分くらいで行きますと手配してくれる


②運転手さんに行先を告げ、その土地に不慣れな人だと自分から道案内をしないと辿り着かない


③支払いは現金で、運転手さんがお札も小銭も入った大きめのバッグからジャラジャラお釣りを出す


みたいな感じでした




今は、スマホのGPSをオンにしていれば、アプリで「タクシーを呼ぶ」ボタンをタップするだけで数秒から数十秒で「あと〇分で到着します」とヒットしたタクシーの位置がリアルタイムでアプリ上に表示されてわかりやすい



乗り込んだ後も、タクシーのナビに目的地が自動登録されているので不慣れな運転手さんでも道に迷うことはない



目的地に着いたら降りるだけで決済が自動的に完了。あとは任意でアンケートに回答するだけ



20回分のタクシー運賃の出費はもちろん痛いけれど、背に腹は変えられないし怪我をして不自由な身体の自分にはとても有難かったです




アプリで来てくれるのは近隣の様々なタクシー会社の車両で、一番多かったのがトヨタのタクシー専用車両コンフォート


そして次に多かったのが日産の同じくタクシー専用車両クルー


一見するとほとんど同じようなクルマに見えますが、後席の乗り心地はクルーの方が断然上でした


複数の上記車両に乗って同じように感じたので確信が持てるのですが、コンフォートは、車名とは裏腹にゴツゴツした突き上げが大きく、後席の乗り心地は決して良いとは思えなかったです

一方のクルーは、凹凸の激しい傷んだ舗装路でも不快感はなく、「これなら高速乗って遠距離でもOKかも」と途中で思ったほど快適でした



また、2度だけタクシー用に販売された旧型(3代前)のプリウスに乗る機会がありましたが、クルーやコンフォートに比べると当然ですが後席のフットスペースは狭く、乗り心地もコンフォートに似たり寄ったりで、あまり良い印象は残りませんでした


都市部でよく見るJPN TAXI(ジャパンタクシー)は僕の地域では走っておらず、今回乗れなかったのは残念です





また、運転免許を取得して以来、これほど長い期間運転していないのも人生初の経験です


現在愛車はディーラーさんが1ヶ月ぶりに職場から自宅の方へ移送してくれて僕が運転可能になるのを待ち侘びてくれていると思います


治療とリハビリをがんばって、1日も早く運転したいです








※前回からの続きです


9月27日(金)

8:00

前夜ベッドに入ったのはいつもより2時間くらい遅い午前1時過ぎで、若干寝不足を感じたまま出勤しました



10:30

前夜の会議を受けて急ぎの連絡調整を終え、週イチで来てくれるヤクルトさんからタフマンスーパー(高いやつ)を2本買い、すぐに1本飲みました



10:45

「奮発して高いやつを飲んだけどあまり効いた気がしない」と冗談交じりの話をして、例の主催イベントの関係者に連絡メールを打っていたところ、1台のトラックが入って来るのが見えました



週末に近くで開かれる別のイベントのために、うちの倉庫に保管しているテントを借りに来たのです



僕は同僚に、

「外の倉庫を開けてテントの積み込みを手伝ってきますね」と伝え、倉庫のシャッターを開けトラックを誘導しました



11:00

トラックとともに来たのは4人


倉庫の棚から、2人1組で手際よくテントの骨組みを取り出しトラックに積んでいきます



僕は、「天幕を下ろしますね」と声をかけ、倉庫内にあった脚立を組み立て、天幕が置いてある一番上の棚に手が届くよう脚立に登りました



天幕はひと張りずつ袋に入っていますがけっこう重い。10kgくらいはあるかな



他の4人は骨組みを運んでいるので脚立のそばには誰も居ない



僕は、「下に置くよ~」と脚立の上から声をかけ、天幕を2つ降ろしました



3つめはちょっと遠い



11:05

それまでは、脚立の上から2段目に両足を置いていたのですが、一番上に登りました



3つめを下に降ろし、次の4つめを探しました



・・・



そこから先は、記憶がスパッと欠落しています




次に僕が覚えているのは、キャリーベッドに載せられ、仰向けに寝かされて病院の待合室や廊下の天井が流れていく景色です



その時僕が感じていたのは、

「寒い」という感覚と、「恥ずかしい」という気持ちでした



ベッドに載せられた僕がその時身に付けていたのは肌着とパンツだけで、病院の空間はどのスペースも思いのほか寒かったのです



ベッドは途中何度か止まり、スタッフさん同士が何かを相談しているようでした



待合室のようなところなのか、周りからたくさんの話し声が聞こえてきて、そのような中で自分が半裸の状態のまま運ばれていると思うと、とても恥ずかしかったです





現場(職場の倉庫)にいた上司に後から聞いたのですが、


テントの骨組みをトラックに積み込んでいたところ、背後で大きな音がしたので振り返ったところ僕が倉庫のコンクリート床に倒れ込んでいて、頭の付近からみるみる血の海が広がっていったそうです



脚立から転落して頭を打ったということがわかったので、すぐに救急車を呼び、AEDが必要かどうか判断するために「大丈夫か?」と呼びかけたところ弱いながらも「大丈夫です」と返答があったので意識はあると判断し救急車の到着を待ったとのこと



ほどなく救急車が到着し、僕の右手指が痙攣していたらしく、救命士は頚椎損傷の疑いがあると判断しその場でドクターヘリを要請



近くの公共施設の敷地に着陸したヘリコプターに乗せられ福岡市の徳洲会病院に搬送された



・・というのが僕の記憶の欠落部分です





11:30病院到着

14:00検査終了

レントゲンやMRIやCTなどさまざまな検査の結果、大量出血した頭部の傷と、右手首の骨折が重篤と診断されました



右手首はひとまずギプス(シーネ)で固定され、頭部の裂傷の手術が行われました



「これから執刀する形成外科の○○と、助手の△△です」と自己紹介され、なぜ整形外科ではなく形成外科が担当することになったのか説明してくれました



その理由は、

・傷が深く、何層も縫う必要がある複雑な手術になること

・傷の一部が挫滅していて、そこに重要な神経が通っている可能性があり、場合によっては神経を繋ぎ合わせる手術になる可能性があること


とのことでした



手術前に傷を鏡で見ますか?と聞かれましたが、血が苦手な僕は丁重に断り、言葉で説明してもらうようお願いしました



医師「額の右上辺りが7~8cmくらい十字にパックリ割れていて、真ん中のクロスしている部分が挫滅していて一部頭蓋骨が見えています」


「かなりの重傷ですが、検査したところ頭蓋骨や脳に損傷がなさそうなのは奇跡的ですね」



子どもの頃から、自分は石頭だとよく言われてきたけれど、もしそれが本当で今回脳にダメージがなかった(初診時)理由のひとつだとしたら、本当に感謝しかありません


・・ん?誰に感謝すべきなんだろう



14:30

それはさておき、いよいよ手術の開始です


仰向けに寝ている状態のまま、頭に麻酔を打たれる


チリチリとした痛みが頭の右半分を走る


麻酔が効いて、傷の内部を切ったり開いたりしながら、手術をどう進めていくか2人の担当医が話し合っている




執刀医からの説明です


では説明しますね。挫滅している部分に神経が通っている可能性もあるんですが、今回は(スルーして)このまま縫い合わせます


もし部位が顔や指先だったら、顕微鏡で見ながら神経を繋ぎ合わせることもあるんですが、今回は頭なので、神経が切れたままでも大きな支障はないと判断しました


治癒後頭を触った時に部分的に感覚がないところが出てくるかもしれません



今回の縫合は、骨膜 → 筋膜 → 皮下 → 皮膚 の4層に分けて糸の種類や太さを変えて縫います


皮膚以外の3層は溶ける糸で縫うので、1週間ほど後の抜糸は1番上の層の皮膚を縫った糸だけです



その時男の人の声で、

「すみません、手術を見学させてもらってもいいですか?」(僕は布を掛けられていて見えない)


執刀医「どうぞどうぞ、今回は複雑な縫合なので、参考になると思いますよ」



そのやり取りを聞いていて、僕もなんだか嬉しくなりました


どんなシチュエーションであれ、何か人の役に立てることは嬉しい




手術は思ったより難航しているようでした



なんか顔の辺りに液体が流れてきたなと思ったら、


「あー、出血が止まらない、アレ取って」


「はい、今焼いています」



どうやら、小さなコテみたいなやつを電気で熱して、出血部分に押し当てて止血するらしい



「俺は肉か!」とツッコミたくなったけど、まな板の上の鯉状態(&僕は紛れもない肉)なので何も言えない




頭蓋骨のすぐそばを弄られながら、


「何か質問してもいいですか?」と尋ねると、


「何でも聞いてください」と言われたので、メスを動かしている先生に、


「〇〇先生はなぜ形成外科を選んだんですか?」と聞いてみる



「学生の頃から身体を切ったり縫ったりするのが好きでした(!)。外科手術はきほん整形が担当するんですが、形成は今日のような複雑な縫合や、傷跡を出来るだけ目立たなくしたい顔の手術とか、あと、乳がんのあとの乳房再建なども担当します。患者さんと丁寧に話しながら手術方法を決めていきます。快復後患者さんから「綺麗に治してもらってありがとう」と言われるのが一番嬉しいですね。」



僕は血を見ると血の気が引いて具合が悪くなるタイプなので、こういうお医者さんがいてくれて本当にありがたい




僕が高校生の時に、学校主催の講演会で徳洲会病院の創設者の徳田虎雄さん(故人)の話を聴いたことを話すと、



「どんな話が一番印象に残っていますか?」



「人生の成功の秘訣は、『早メシ早グソ貧乏ゆすり』だと黒板に書いて何度も強調されたのがとても印象に残っています」と話すと、意外にも



「三番目はともかく、早メシと早グソはその通りだと思います」



徳田虎雄さんは先日(2024.7)亡くなられてしまったけれど、「いつでもどこでも誰にでも必要とされる医療を平等に提供する」という徳洲会創始者の精神は確かに受け継がれていると僕は思います



16:40

それはさておき、僕の頭の傷の手術は1時間半ほどでようやく終わりました



「内部まできちんと縫合したので、あとは7日~10日後に表面を抜糸すればひとまず終了です。ただし、傷がクロスしている真ん中の部分は挫滅していてどうしようもありませんでした。感染症防止のため飲み薬と軟膏を処方します。」



やれやれ



ギプス(シーネ)で固定された右手首は、


「橈骨遠位端骨折(とうこつえんいたんこっせつ)」

との診断が付き、手首(手のひら側)を8~10cmくらい縦に切開して、骨折部位を金属で接合する手術が必要とのこと



今さらながら、自分の不注意が引き起こした代償の大きさと、会社をはじめ周囲に多大な迷惑をかけてしまったという申し訳なさで途方に暮れています




明日10月4日(金)が、手術日です



全身麻酔だそうなので、気がついた時には全て終わっていて、搬送された時と同じように病院の天井を見上げていると思います



どうか、骨折した右手も、未だに強い眩暈に襲われ続ける頭の傷も、ちゃんと治りますように




最後までお読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m