M3遣いのブログ

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ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

ここに書くのはめっちゃ恥ずかしいと思いつつ、自分自身の記録として記します



6月3日(水)から、ずっと仕事に行けていません



その朝、いつもの時間にアラームで目が覚めて起き上がろうとしましたが、激しいめまいに襲われました



あの、約2年前に大怪我をして頭を打った時に、数ヶ月もの間悩まされ続けた、天井がグルグル回るヤツです



それでも出勤の準備をしなければと、何とかベッドに座り、近くの物につかまって立ち上がろうとしましたができませんでした



何とか職場に休みの連絡を入れて、横になったまま回復を待ちましたが、なかなか収まりません



かかりつけの病院に行こうとしましたが、当日(水曜日)は休診日、翌日(木曜日)は担当医師の勤務日ではないことがわかり、受診を金曜日に決めて、ボスに電話でその旨を伝えました



ボスは、「これまでの疲れが溜まっていたのでしょう、少しゆっくり休んでください」と言ってくれました





2日後の金曜日にようやく受診して、担当医師からそれまでの仕事や職場の状況を詳しく聞かれました



同じ職場で働く上司が2人とも4月に異動で交代して、1年前に来ていた僕が上司2人から聞かれながら仕事を進めていたこと



4月から業務分担が変わり、ボリュームが大きいいくつかの仕事が僕の分担になったこと



4月に来たばかりの上司のうちの1人が、5月15日(木)に、急に「一身上の都合」で退職を申し出たこと(実際に5月末で退職)



5月19日(火)から2週間、ぽぽ休みなし、連続残業(計47時間)で仕事を続けざるを得なかったこと



その間、薬を飲んでもうまく眠れず、夜中に目が覚めて薬を飲み直したり、アラーム2つが枕元でちゃんと鳴っているにもかかわらず起きられなかったことがあったこと




医師は、上記の中でも特に辛かったことは何か?と僕に質問しました



「退職を申し出た上司は、以前同じ職場で仕事をしたことがあって、僕も彼もまた一緒に仕事ができることを喜んでいました(それはもしかしたら僕だけだったのかもしれない)。でも彼は2ヶ月足らずのうちに誰にも相談することなく中途退職するという結論を出し、理由は一切話してくれませんでした。その事が一番応えました。」



話を聞いた医師からは、「薬を飲んでも眠れていない状態で仕事に行くのは無理でしょうね。診断書を書きますから、月曜日にまた来てください」と言われました





ボスにその旨を報告し、月曜日に再び受診すると、



「診断名はうつ病です。しばらく仕事は休んで回復に専念してください」



僕は、「うつ病」と医師から言われたことがかなりショックでした



もちろん精神科にはもう6年くらい通院していて、主に睡眠を助ける薬を処方してもらってはいますが、診断書を要するような休みが必要になったことはなく、自分の病名なんてあまり気にしたこともなかったのです





6月下旬、再び受診し、休んでいる間の過ごし方や睡眠の状況などを聞かれ、今からさらに忙しくなる時期に自分が仕事に行けていないことが上司や同僚に申し訳なく、外出もほとんどしていないこと、睡眠はちゃんと眠れる日もあるが、それと同じくらい眠れていない日もあることを医師に話しました



医師からは、仕事が立て込んでいるからといって無理に復帰を急ぐべきではないと言われ、上司と相談するよう助言されました



これらを受けてボスと電話ではなく対面で話すことになったのですが、ボスから伝えられたのは、とても意外な内容でした



それは、「9月末まで仕事を休んで、休養と回復に専念してはどうか」という話でした



僕は即答ができず、「医師と相談してみます」と保留にしました



そこから先の僕の逡巡や医師とのやり取りは端折ります





ともかく、結論としてはボスの提案通り、僕は9月末まで休職することになり、昨日(土曜日)誰もいない職場に行って僕の荷物をまとめ、机を空けてきました



「あなたはここに必要な人材だから、また元気になって必ず戻ってきてください。仕事のことも気になるでしょうが、とりあえず仕事のことは考えないで心身の回復に専念してください」



この歳になって、「あなたが必要だ」と言われることは本当にありがたいと思っています



その一方で、昨年4月に今の職場に異動が決まった時、僕の前任者2人が相次いでドロップアウトしてしまった状況を受けてそのポジションに僕が指名され、「もうあなたしかいない。あなたが最後の砦だ。」と期待されたにもかかわらず、このような状態になってしまったことを本当に申し訳なく思います。





AIは、僕としてはとても意外だった「9月末までの休職」というボスの提案を、「あなた自身と組織を守るための100点満点の選択」と評しました



僕は自分がブログを書く意味を、冒頭でも述べた「自分自身の記録を残すため」と長く思って来ましたが、書くことで自分の考えを整理したり冷静に振り返ることができているとも思います



後年この出来事を振り返って、僕だけでなくボスや同僚や、休むことで迷惑をかけてしまっている多くの方々も含めて、前向きに捉えられるよう、人生で初めての長い「夏休み」を有意義に過ごしたい、そしてもう一度しっかり復職したいと思います



最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m







「僕は警察を呼びます」


その男の子は、何度もそう言って30分以上その場を動きませんでした





数日前のこと・・



僕が外回りの仕事から戻ってきた時、職場のすぐそばの公園で、3人の男の子(ひとりは高校生くらい、ふたりは小学校3年生くらい)が何やら揉めている様子




スルーできない僕は、彼らに「どうしたの?」と声をかける


すると、


「あ、僕ら、けんかしてるんです」(特に表情には現れず)


「わかった。じゃあ、順番に話を聞こう」




高校生くらいの男の子

「僕が公園に居たら、このふたりが自転車で追いかけてきたんです。とても怖かったから、やめて!と言ったけど、ずっと自転車で追いかけてきて、僕も自転車で逃げたけど転びそうになりました。だから僕は今から警察に電話します」



小さい男の子ふたり

「いや、違うんです。この人とは友だちではないけれど、2ヶ月くらい前にこの公園で初めて会って、一緒に遊びました。久しぶりに会ったので、まだ遊びたいと思って声をかけたけど、走り去ってしまったので追いかけました」




「どうして警察に電話しようと思ったの?」



「僕が追いかけられて怖い思いをして、しかも自転車で転びそうになったから、警察に来てもらってこの2人を懲らしめてもらいます」



「いや、僕らはただこの人と遊びたかっただけなんです。悪気はありません」



「君たち何にもわかってないよ!いくら怖がらせるつもりはなかったって言っても、僕が怖いと思ったらその時点でアウトだからね。今から警察に電話する!」



僕「以前にも警察に電話したことがあるの?」



「ありますよ。この子たちじゃないけど、遊んでいていじめられたと感じたのでその場で110番したら、おまわりさんが駆けつけてくれて、相手を懲らしめてくれました」




うーん・・仲裁に入るつもりで自ら拾った火中の栗だけど、僕の手にはちょっとおえそうにもない




そばでやり取りを聞いていた別の男の子に、「ごめんけど、先生呼んできて」と頼みました




学校の先生は、さすがにこういう場面はたくさん経験しているのだろう



ほどなく先生が二人来て、それぞれを少し離れたところに連れて行き個別(ひとり&ふたり組)に事情を聞いている



僕は、「警察を呼ぶ」と言ってきかない大きい男の子のほうについて先生とのやり取りを聞きました



先生は丁寧に男の子の話を聞き「わかった。追いかけられて怖かったんだね。じゃあこうしよう。先生が今から、相手の子たちの保護者に連絡してここに来てもらって、保護者からあの子たちをこの場で叱ってもらう。そして、二度とあなたを怖がらせたりしないと約束させよう。それでいいかな?」



「はい、それでいいです」



やれやれ・・と思った次の瞬間、



「それでも僕は、今から警察に電話します」



彼が手にしているスマホの画面には、ダイヤルパッドと「110」の数字






この話のオチなんですが、直後に年配の先生が登場して、

「おう、〇〇じゃないか!久しぶりだな、こんな所で何してるんだ?」

「あ、△△先生、10年振りくらいですかね。ちょっと面倒なことになってます」(面倒を起こしてるのは君だけどね(僕の心の声))




「こんな小さい子たちを相手に大人気ないことをするな。俺がちゃんと言い聞かせておくから今日はもう家に帰れ」



「はい、わかりました。先生もお元気で」



なんと男の子と最後に登場した先生の関係は、幼稚園の園長先生と教え子だったそうです



ハァ━(-д-;)━ァ...



ちなみに彼が卒業した中学校では、

「他者だけでなく自分も尊重する」

「自分がされて嫌なこと、言われて嫌なことは人にしない、言わない」

「嫌なことは嫌だとはっきり表明する」


という教育を行っています


先生たちは、「自尊感情を高める」ためだと説明しています



うーん、彼のように、何かあれば自分を守るために(?)「警察を呼ぶ」という方向に行ってしまうこともあるんだな





この出来事を書こうと思ったのは、折しもその日の夜、読売巨人軍の阿部慎之助監督が自宅内での娘への暴力行為で逮捕され、監督辞任に至ったとの報道を見たからでした



阿部監督の件は、あえてここでの言及は避けます

(言いたいことはたくさんあります(*^^*))




ひとつ確かなことは、以前なら考えられもしなかったことが普通に起こる時代になったのだということです



人間関係のあり方や、善悪の基準そのものが急速に変わってきているのを感じます。 



物心ついた時からケータイやスマホが当たり前の人たちが今や親世代となり、今後はAIに教育され、AIに頼るのが当たり前の世代がすでに生まれつつあります




人類が生物種としての終わりを迎えるのも、皮肉にもAIの進化によってかなり早まるのではないかとふと思いました





〓今日の一枚〓

太宰府天満宮の絵馬と木々


先日公開終了となった、太宰府天満宮の仮殿です

もう二度と見られない姿を、終了直前で見ることができて良かったです


これを設計したのは、あの大阪万博の大屋根リングをデザインした建築家の藤本壮介氏ですが、たぶん彼は、解体直前のこの森のような姿を理想形としていたのではないかと勝手に僕は思っています


文字通り見事なまでに、周囲の木々や森と仮殿の植生が一体化しているように見えました


太宰府天満宮に行ったのはほぼ7年ぶりでしたが、参道のお店が様変わりしていたことと、物の値段がびっくりするくらい上がっていたことに驚きました


外国からの観光客が増えるのは良いことですが、円安を理由に何もかも外国人向け価格にされるのは地元民としては複雑デス♯'~'♯








​今日は夕方から雨の予報



降り出す前に買い物を済ませようと、折り畳み傘を手に家を出ましたが、既にぽつりぽつりと雨粒が落ち始めていました



しばらく歩いていると、僕の少し前をリュックを背負った男性二人が歩いています。やがて彼らは立ち止まり、道路脇のマンションの駐輪場をじっと眺めていました



すると、一人が駐輪場にいる人に向かって声をかけたのです


「Hi, my name is 〇〇 from America. Do you speak English?」



アメリカから旅行か何かで来られた方が、駐輪場にいた大学生くらいの男性に何かしら助けを求めているようでした



​突然英語で話しかけられた彼は、明らかに動揺した様子



「ノー、ノー」と手を振り、英語は話せないと必死に伝えていました



結局、リュックの二人は軽く話し合い、再び歩き始めました




この光景を目の当たりにして、僕の中に湧き上がったのは「自分も含めて、日本人の英語力って昔も今もなかなか上がらないよな……」という、諦めにも似た感情です


先日、こんな記事を目にしました


日本人の英語力ランキング

日本の英語力は過去最低の96位に転落──AI時代に問われる「人間ならではの言語能力」とは?

世界最大規模の英語能力比較調査「EF EPI 英語能力指数 2025年版」によると、日本の英語能力は123カ国・地域中96位。過去最低を記録し、「非常に低い」という評価カテゴリーに初めて転落した……。



文科省の担当者はこれを知ってさぞ歯がゆい思いをしているだろう



しかし、いくら国が予算を増やしたり旗を振ったりしたところで、そう簡単に日本人の英語力は上がらないと僕は思います



僕がそう思う理由は2つあります



​1:英語が話せなくても困らない環境


僕を含むほとんどの日本人は、英語が話せなかったとしても一生困らずに過ごせてしまいます



これからの時代、スマホ一つで生成AIをいつでもどこでも使えるようになれば、AIを介して英語圏のみならず世界中の人と意思疎通が可能になります



言語の習得には「必要に迫られること」が一番のポイントだと僕は思うのです



例えば、海外のインタビューで堂々と英語や現地の言葉で受け答えをするスポーツ選手などはその好例でしょう



逆に、メジャーリーグの選手がインタビューで通訳を介することが多いのは、常にサポートがある=必要に迫られていないから、とも言えるかもしれません




2:数十年前から変わらない受験英語


二つ目の理由は、大学入試の内容が、僕が受験生だった約40年前とあまり変わっていないと思えること



長くて複雑な構文を読み解き、正解を選択肢から選ぶ、あるいは答えの英文を書く


そこに昔も今も重点が置かれすぎている気がしてなりません



僕は受験生の時、当時難関のひとつと言われていたある私立大学の文学部英語専攻に合格したのですが、入学はしませんでした



卒業後の進路が英語教員や通訳・翻訳者など専門分野に限られているように感じたからです




また当時から不思議だったのが、中学と高校の先生の差です



僕が見てきた中学校の英語の先生で、まともに英語が喋れる人はほとんどいませんでした(逆説的に言えば、喋れなくても先生になれる)



一方で高校の先生は、ネイティブのALTと普通に英語で会話を楽しんでいる



この差は一体どこから来るのか、当時から大きな疑問でした



今思えば、中学校の英語の先生もなりたての頃は喋れたかもしれないけれど、必要に迫られない期間が長くなるにつれ、次第に話せなくなったのではないかと思うのです




大学入試が「コミュニケーション力」や生きた英語を話す力を問う形に劇的に変わらない限り、いくら英語教育のスタートを低年齢化しても、試験にヒアリングを必須にしても、日本人の英語力はこれから先も国際的に低いままなのではないでしょうか





​さて、買い物を終えて帰宅した僕は、さっそく「相棒」であるAIに質問してみました



なぜ、あのアメリカ人は「Can you...」ではなく「Do you speak English?」と聞いたのか?



​相棒(AI)の答えはこうでした

​やっほー!その疑問、すごく鋭いね!街中でふと聞こえてきたフレーズに違和感を持てるのは、英語の感覚がしっかり磨かれている証拠だよ。

​結論から言うと、通りすがりの人に尋ねるなら "Do you speak English?" が正解(かつ自然) なんだ。

​なぜ日本人がよく使う「Can you...」だと少しニュアンスがズレてしまうのか、わかりやすく解説するね。


1. "Do you speak English?" のニュアンス

これは相手の「習慣」や「現在の状態」を聞いているよ。

意味: 「あなたは(日常的に)英語を話しますか?」

印象: 相手にプレッシャーを与えない、とてもフラットで丁寧な聞き方。

イメージ: 「英語という言語が、あなたのコミュニケーションツールの中に含まれていますか?」という確認。


2. "Can you speak English?" のニュアンス

こちらは相手の「能力(ポテンシャル)」を聞いていることになるんだ。

意味: 「あなたは英語を話す能力がありますか?(話せますか、どうですか?)」

印象: 文脈によっては「(学習して身につけた)スキルとして持っていますか?」と、少し立ち入った感じや、上から目線に聞こえてしまうリスクがあるよ。

イメージ: ピアノが弾けるか、泳げるか、といった「能力テスト」に近いニュアンス。


なるほど・・言われてみれば当然のことで、すっと腑に落ちました




もし、あの時声をかけられたのが僕だったら・・



道やお店を教えることくらいなら、カタコトの英語と身振り手振りで何とかできるかもしれません


でも、例の英語力ランキングのカテゴリで言えば、日本(96位)が属している最低ランクの範疇だそうです(笑)



最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m



【今日の一枚】
タンポポの綿毛と黄色い花

外回りの仕事中、顔見知りのおじさんに声を掛けられました


「〇〇くん、なんしよると?」


「タンポポの写真撮ってます」


蒲公英の綿毛が大好きです


綿毛の構造に小宇宙を感じます(ん?前に全く同じことを書いた記憶が(*^^*))