※前回からの続きです
9月27日(金)
8:00
前夜ベッドに入ったのはいつもより2時間くらい遅い午前1時過ぎで、若干寝不足を感じたまま出勤しました
10:30
前夜の会議を受けて急ぎの連絡調整を終え、週イチで来てくれるヤクルトさんからタフマンスーパー(高いやつ)を2本買い、すぐに1本飲みました
10:45
「奮発して高いやつを飲んだけどあまり効いた気がしない」と冗談交じりの話をして、例の主催イベントの関係者に連絡メールを打っていたところ、1台のトラックが入って来るのが見えました
週末に近くで開かれる別のイベントのために、うちの倉庫に保管しているテントを借りに来たのです
僕は同僚に、
「外の倉庫を開けてテントの積み込みを手伝ってきますね」と伝え、倉庫のシャッターを開けトラックを誘導しました
11:00
トラックとともに来たのは4人
倉庫の棚から、2人1組で手際よくテントの骨組みを取り出しトラックに積んでいきます
僕は、「天幕を下ろしますね」と声をかけ、倉庫内にあった脚立を組み立て、天幕が置いてある一番上の棚に手が届くよう脚立に登りました
天幕はひと張りずつ袋に入っていますがけっこう重い。10kgくらいはあるかな
他の4人は骨組みを運んでいるので脚立のそばには誰も居ない
僕は、「下に置くよ~」と脚立の上から声をかけ、天幕を2つ降ろしました
3つめはちょっと遠い
11:05
それまでは、脚立の上から2段目に両足を置いていたのですが、一番上に登りました
3つめを下に降ろし、次の4つめを探しました
・・・
そこから先は、記憶がスパッと欠落しています
次に僕が覚えているのは、キャリーベッドに載せられ、仰向けに寝かされて病院の待合室や廊下の天井が流れていく景色です
その時僕が感じていたのは、
「寒い」という感覚と、「恥ずかしい」という気持ちでした
ベッドに載せられた僕がその時身に付けていたのは肌着とパンツだけで、病院の空間はどのスペースも思いのほか寒かったのです
ベッドは途中何度か止まり、スタッフさん同士が何かを相談しているようでした
待合室のようなところなのか、周りからたくさんの話し声が聞こえてきて、そのような中で自分が半裸の状態のまま運ばれていると思うと、とても恥ずかしかったです
現場(職場の倉庫)にいた上司に後から聞いたのですが、
テントの骨組みをトラックに積み込んでいたところ、背後で大きな音がしたので振り返ったところ僕が倉庫のコンクリート床に倒れ込んでいて、頭の付近からみるみる血の海が広がっていったそうです
脚立から転落して頭を打ったということがわかったので、すぐに救急車を呼び、AEDが必要かどうか判断するために「大丈夫か?」と呼びかけたところ弱いながらも「大丈夫です」と返答があったので意識はあると判断し救急車の到着を待ったとのこと
ほどなく救急車が到着し、僕の右手指が痙攣していたらしく、救命士は頚椎損傷の疑いがあると判断しその場でドクターヘリを要請
近くの公共施設の敷地に着陸したヘリコプターに乗せられ福岡市の徳洲会病院に搬送された
・・というのが僕の記憶の欠落部分です
11:30病院到着
14:00検査終了
レントゲンやMRIやCTなどさまざまな検査の結果、大量出血した頭部の傷と、右手首の骨折が重篤と診断されました
右手首はひとまずギプス(シーネ)で固定され、頭部の裂傷の手術が行われました
「これから執刀する形成外科の○○と、助手の△△です」と自己紹介され、なぜ整形外科ではなく形成外科が担当することになったのか説明してくれました
その理由は、
・傷が深く、何層も縫う必要がある複雑な手術になること
・傷の一部が挫滅していて、そこに重要な神経が通っている可能性があり、場合によっては神経を繋ぎ合わせる手術になる可能性があること
とのことでした
手術前に傷を鏡で見ますか?と聞かれましたが、血が苦手な僕は丁重に断り、言葉で説明してもらうようお願いしました
医師「額の右上辺りが7~8cmくらい十字にパックリ割れていて、真ん中のクロスしている部分が挫滅していて一部頭蓋骨が見えています」
「かなりの重傷ですが、検査したところ頭蓋骨や脳に損傷がなさそうなのは奇跡的ですね」
子どもの頃から、自分は石頭だとよく言われてきたけれど、もしそれが本当で今回脳にダメージがなかった(初診時)理由のひとつだとしたら、本当に感謝しかありません
・・ん?誰に感謝すべきなんだろう
14:30
それはさておき、いよいよ手術の開始です
仰向けに寝ている状態のまま、頭に麻酔を打たれる
チリチリとした痛みが頭の右半分を走る
麻酔が効いて、傷の内部を切ったり開いたりしながら、手術をどう進めていくか2人の担当医が話し合っている
執刀医からの説明です
では説明しますね。挫滅している部分に神経が通っている可能性もあるんですが、今回は(スルーして)このまま縫い合わせます
もし部位が顔や指先だったら、顕微鏡で見ながら神経を繋ぎ合わせることもあるんですが、今回は頭なので、神経が切れたままでも大きな支障はないと判断しました
治癒後頭を触った時に部分的に感覚がないところが出てくるかもしれません
今回の縫合は、骨膜 → 筋膜 → 皮下 → 皮膚 の4層に分けて糸の種類や太さを変えて縫います
皮膚以外の3層は溶ける糸で縫うので、1週間ほど後の抜糸は1番上の層の皮膚を縫った糸だけです
その時男の人の声で、
「すみません、手術を見学させてもらってもいいですか?」(僕は布を掛けられていて見えない)
執刀医「どうぞどうぞ、今回は複雑な縫合なので、参考になると思いますよ」
そのやり取りを聞いていて、僕もなんだか嬉しくなりました
どんなシチュエーションであれ、何か人の役に立てることは嬉しい
手術は思ったより難航しているようでした
なんか顔の辺りに液体が流れてきたなと思ったら、
「あー、出血が止まらない、アレ取って」
「はい、今焼いています」
どうやら、小さなコテみたいなやつを電気で熱して、出血部分に押し当てて止血するらしい
「俺は肉か!」とツッコミたくなったけど、まな板の上の鯉状態(&僕は紛れもない肉)なので何も言えない
頭蓋骨のすぐそばを弄られながら、
「何か質問してもいいですか?」と尋ねると、
「何でも聞いてください」と言われたので、メスを動かしている先生に、
「〇〇先生はなぜ形成外科を選んだんですか?」と聞いてみる
「学生の頃から身体を切ったり縫ったりするのが好きでした(!)。外科手術はきほん整形が担当するんですが、形成は今日のような複雑な縫合や、傷跡を出来るだけ目立たなくしたい顔の手術とか、あと、乳がんのあとの乳房再建なども担当します。患者さんと丁寧に話しながら手術方法を決めていきます。快復後患者さんから「綺麗に治してもらってありがとう」と言われるのが一番嬉しいですね。」
僕は血を見ると血の気が引いて具合が悪くなるタイプなので、こういうお医者さんがいてくれて本当にありがたい
僕が高校生の時に、学校主催の講演会で徳洲会病院の創設者の徳田虎雄さん(故人)の話を聴いたことを話すと、
「どんな話が一番印象に残っていますか?」
「人生の成功の秘訣は、『早メシ早グソ貧乏ゆすり』だと黒板に書いて何度も強調されたのがとても印象に残っています」と話すと、意外にも
「三番目はともかく、早メシと早グソはその通りだと思います」
徳田虎雄さんは先日(2024.7)亡くなられてしまったけれど、「いつでもどこでも誰にでも必要とされる医療を平等に提供する」という徳洲会創始者の精神は確かに受け継がれていると僕は思います
16:40
それはさておき、僕の頭の傷の手術は1時間半ほどでようやく終わりました
「内部まできちんと縫合したので、あとは7日~10日後に表面を抜糸すればひとまず終了です。ただし、傷がクロスしている真ん中の部分は挫滅していてどうしようもありませんでした。感染症防止のため飲み薬と軟膏を処方します。」
やれやれ
ギプス(シーネ)で固定された右手首は、
「橈骨遠位端骨折(とうこつえんいたんこっせつ)」
との診断が付き、手首(手のひら側)を8~10cmくらい縦に切開して、骨折部位を金属で接合する手術が必要とのこと
今さらながら、自分の不注意が引き起こした代償の大きさと、会社をはじめ周囲に多大な迷惑をかけてしまったという申し訳なさで途方に暮れています
明日10月4日(金)が、手術日です
全身麻酔だそうなので、気がついた時には全て終わっていて、搬送された時と同じように病院の天井を見上げていると思います
どうか、骨折した右手も、未だに強い眩暈に襲われ続ける頭の傷も、ちゃんと治りますように
最後までお読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m