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M3遣いのブログ

ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

会社の研修が、一部を除いてすべてオンライン形式に変わりました。



オンラインといっても、Zoomなどを使ったリアルタイム形式、動画視聴など様々ありますが、ウチの場合は研修会社に丸投げしていて、人事が指定したテーマ研修をパソコンまたはスマホで受けるものです。



職種や役職に応じて必修のものと選択のものがあり、事前に受講科目の調査があったので、今の自分に必要と思われるものを申告していました。



受講期間が半年ほど設定されてあったので、1ヶ月1科目強のペースで受講すれば大丈夫かなと軽く考えていたけど、日々の仕事に追われて歳月はあっという間に過ぎていく。



受講期限は今月末。



テーマによって受講時間が異なり、僕が選択した科目はいずれも1テーマで180分とか長いものばかり。失敗だったかな。



今、(勤務にはならないけど)休日を返上してスマホとにらめっこして受講しています。




スマホでどこに居ても受けられるのはありがたいけれど、画面ごとに選択肢を選んだり、理解度テストがあったり、レポートを送信したりしないといけないので全く気を抜けない。



でも、研修の動画はほとんどが日本以外の国で制作されていて、その国の文化や考え方を反映しているから、必ずしも日本やうちの会社でも同様に当てはまるとは限らない。





今受講しているのは、「仕事のモチベーション」がテーマの研修です。



欧米の大企業らしきところで、上司が部下に仕事を任せるにあたって、その人の得意・不得意分野を見抜き、特性に合った業務をやらせればいかに効果的な成果を生み出せるかをこんこんと説いている。



天邪鬼(あまのじゃく)の僕は、でもねぇ・・とつぶやく。



現在の職場は僕を含めて4人。専門も資格も経験も年齢もまちまち。



一緒に仕事をしていると、その人の性格や仕事のやり方の特徴が見えてきます。



経験が長く、それを誇りに思っていて、きっちり仕事をやるけれど、変化や改善をあまり好まない人。



国家資格を持っていて専門性が高く、その分野での信頼は厚いけれど、それ以外の仕事には関心が薄い人。



コミュニケーションが得意で、初対面の人の懐に飛び込んで自分のペースに巻き込むのがとても上手いけれど、事務作業がちょっと苦手な人。



そして僕は、コミュ障で人と接することが苦手。几帳面だけど完璧主義的なところもあって仕事の効率が悪い。



そんな個性豊か(?)な4人の職場で、いかに全員のモチベーションを高く保つかというのは、日頃から特に気掛けているけれど容易ではありません。




話は突然変わりますが、先日あるテレビ番組で、江戸時代に日本全国を歩いて驚くほど正確かつ精密な日本地図を作った伊能忠敬を特集していました。



伊能忠敬といえば、学校の歴史の授業で上記のことを習い、50歳を過ぎてから地図作りを始めたこと、以後十数年かけて日本地図を完成させたこと、くらいしか知りませんでした。



番組では、忠敬が50歳を過ぎてから天文学に興味を抱いたこと、緯度1度の距離を測定することで、地球の大きさを測れるのではないかと考えたこと、そのために江戸から蝦夷(北海道)まで行ってその距離を測ろうと考え、当時幕府が切望していた正確な蝦夷の地図を作ることを口実に幕府を説き伏せたのではないかということが紹介されていました。



上記はあくまで仮説ですが、地球の大きさを知りたいという自分の探究心のために結果的に日本全土の地図を完成に至ったのだとしたら、これほど壮大なロマンはない。



しかし、緯度1度の距離を測るのが目的だったとしたら、江戸から蝦夷に行って測量した時点でそれは達成されたはず。



ところが、口実だったはずの蝦夷までの正確な地図を幕府に提出したところ思いのほか好評で、続いて東日本の地図も作るよう依頼され、結果的には遠征10回、17年にわたって日本地図をついに完成させるに至ったという。



番組では、この地図作りが途中(第5次遠征)から幕府の事業(国家プロジェクト)に格上げされ、忠敬も断るに断れなくなったのではないかという推測とともに、それだけでは説明できない何かが、彼を突き動かしたのではないかという。



それは、彼自身も最初は口実に過ぎなかった地図作りが次第に楽しくなったのではないか、そして、幕府の期待に応えて日本地図を完成させたいという強い思いが忠敬に途中から芽生えたのではないかという説です。




僕はスマホで研修を受講しながら、これこそがモチベーションの源なのだと理解しました。



僕は忠敬が日本地図を作り始めた年齢とほぼ同じですが、最近体力や記憶力の衰えを顕著に感じています。



江戸時代の人々の平均寿命や医療事情を考えると、忠敬の50歳を過ぎてからの行動力やバイタリティーは驚異的です。



ついつい、「俺も歳を取ったなぁ」と言い訳のようにつぶやきたくなる今日この頃ですが、心が折れそうになったら、忠敬の偉業を思い出してがんばろうと思います。




今日の一枚【写真と本文は関係ありません】

先日の寒波の際は、ここ九州福岡でも大雪警報が発令され雪が積もりました。

僕の家(マンション)は坂の上に建っていることもあって、出勤が困難になるのではと考え、職場で一夜を明かしました。

寒い思いをさせてしまってごめんな、M4。

寒波が落ち着いたら、しっかり洗ってあげようと思いますʕ•ٹ•ʔ





サッカーワールドカップ2022が大きな盛り上がりを見せています。


優勝経験国が相手でも、リードを許しても、臆することなく前を向いて闘志あふれるプレーを見せてくれる日本代表の選手たちを、日本人として誇らしく思うし、ぜひ次のクロアチア戦(日本時間2022.12.6(火)午前0時キックオフ)で勝利して歴史を塗り替えてほしい。


ドイツ・スペインと同組で「死の組」とも言われたグループリーグを首位で突破し喜びを爆発させる選手や監督・コーチ陣の姿を映像で見ながら、彼らの胸の内には僕らが計り知れないほどのプレッシャーがあっただろうと僕は思います。


日の丸を背負って戦う


この言葉には、僕自身は一生無縁だと思っていました。


ところが、それと同様のプレッシャーを感じる出来事を、数か月前に実際に体験することとなったのです。


遡ること2020年の春、僕はスマホにとあるゲームアプリをインストールしました。


マス目に様々な兵種の兵士を配置して、コンピュータやオンラインで世界中のプレイヤーと対戦する戦略シミュレーションゲームです。


スマホのゲームに長らく興味を持てなかった自分がそのゲームを気に入った大きな理由があります。


それは、無料のゲーム(アプリ内課金あり)には付き物の広告を、一切見なくてもゲームを進められることです。


僕はコツコツと育成を進め、やがて実装された「クラン」と呼ばれるチームに所属して、49人の仲間とともに世界中のプレイヤーと競うようになりました。


僕がかつてやっていた卓球に例えると、個人戦と団体戦を同時にやっている感じです。


スコアを競う期間(シーズン)は2週間で、決められた試合数で得られるポイントの合計で個人&チームの順位が決まります。


僕が所属していたチームは、日本国内では中堅だったのですが、優秀なリーダーのもと徐々にランクが上がり、セカンドチーム(二軍)も抱える国内有数のチームに急成長しました。


そんな折、国内の強豪プレイヤーさん達の間で、「チームの垣根を越えて日本人だけで選抜チームを結成し、団体世界一をめざそう」という企画が立ち上がりました。


僕にもリーダーから声が掛かり、スコアによる予選も無事通過して、日本選抜チームの一員として世界の強豪チームと競うことになったのです。



合同チームの名前も「CHALLENGERS JAPAN」と決まり、メンバー専用掲示板のアイコンも日の丸になっていて、否が応でも気分が盛り上がりました。


僕ら選抜メンバーは本番を前に掲示板に集まり、お互いに自己紹介をしたり編成や戦術について話し合ったりしました。


僕にとっては何もかもが初めて、初めましての経験ばかりで戸惑いましたが、メンバー同士の交流を通じて少しずつ合同チームとしての結束が強まっていくのを感じていました。


この企画はゲームの公式掲示板でも取り上げられ、世界中のプレーヤー達から注目を集める中、いよいよ本番シーズンを迎えました。


一日の試合数は決まっていて、どの時間にプレイしてもいいのですが、より有利なのはゲーム内の日付変更直前です。


日本時間ではそれが朝なので、いつもは夕食や後片付けのあとゆっくり楽しんでいるのですが、この特別な2週間だけはいつもより早起きしてチームのランクアップに貢献しようと頑張りました。


その2週間に僕が感じていたプレッシャーは、サムライブルーの選手たちとは比べようもありませんが、「日の丸を背負って戦う」という気持ちをちょっぴり味わえた至高の2週間でした。


シーズン結果は、惜しくも世界ランク6位という成績でしたが、一時は不動と言われていた3強(アメリカや韓国などの常勝チーム)に肉薄する日もあり、日ごろは別々のチームで活動しているメンバー間の情報交換や練習試合での戦術強化など、大いに成果は得られたと思っています。


その企画は、間隔を空けて第3回まで行われ、第4回の予選エントリーがアナウンスされた直後、中止となってしまいました。


運営サイドから正式な説明はありませんでしたが、3回にわたるこの企画で日本人プレイヤーのレベルの高さがあらためて注目され、外国の上位常連チームの勧誘を受け移籍するプレイヤーも多くなったため、選抜チームを編成するのが困難になったためではないかと個人的には思っています。




さて、ワールドカップではベスト16が出揃い、アジアからは日本の他、韓国も予選リーグ最終戦で強豪ポルトガルから奇跡的な勝利を収め決勝トーナメント進出を果たしました。


お互い次戦に勝利したら、ベスト4をかけて日韓が初めてワールドカップ本戦で戦うことになります。


そんな夢を抱かせてくれる日本や韓国の代表チームにあらためて感謝し、遠く中東カタールの地にエールを送ります。

bravo!

(長友佑都選手の母校東福岡高校は、僕の家から車で30分の距離にあります)




今日の1枚(写真と本文は関係ありません)



ローカル番組のグルメリポートのひとコマなんですが、僕には謎の鳥にしか見えん!
(実際は、串揚げとからし・・のようです)



 

ひとりの中学3年生が、進路の決定で揺れ動いている。


受験校の決定期限が刻々と迫る。


しかし、彼女は決めきれない。


保護者は、公立でも私立でも良いから、彼女自身が決めてほしいと願っている。



少子化が進み今や高校は全入時代ともいわれ、地元県内での公立校の半数近くは志願者が毎年定員割れするようになって久しい。


かつては「滑り止め」ともいわれた私立校も、専願制を導入したり、有名大学等への進学率や留学制度など、特色をアピールしたりしないと生徒が集まらない状況が当たり前になってきた。


真面目に中学生活を送ってきた彼女には、多くの選択肢が学校から示され、そのうちのどれかには必ず合格するだろう。

例えば・・(彼女の希望や学校の提案)
・字の綺麗さ(彼女が書くノートは学校イチ綺麗だと先生は言う)を活かして、書道部の活動が盛んな高校へ進学し、書道家やデザイン関係の仕事をめざす。

 

・年上の親族が高校で服飾デザインを学んで、今は東京でアパレルメーカーに就職し、いつかは自分でブランドを立ち上げたいとがんばっている。その道をたどるのも魅力的に映る。

 

・同じく親族が、高校の情報処理科を卒業して、次は4年制の専門学校に進み、ゲームクリエーターをめざすという(4年間の学費は560万円!)。彼女も情報処理やプログラミングにも興味がある。

 

・ごく最近、「看護師になりたい」と母親に告げた。小さい頃お世話になった病院の優しい看護師さんが忘れられなくて、お医者さんや看護師さんになりたいという夢を秘かに抱いていたそう。


 

進路(受験校)選択を迫られ、彼女は揺れている。数日前は、学校での三者面談のあと帰宅して大泣きしたそうです。


 

思い起こせば・・

僕らの高校受験時代は、何より優先されたのは「公立に入れ!」という親からの至上命令だった。


現在のように給付や貸与の奨学金制度も充実しておらず、もちろん高校無償化も影も形もなかった。


公立と私立では経済的な負担差が今より何倍も大きく、奨学金制度も利用できるのは限られた人たちだけだったから、競争率の高い公立高に合格するために、必死で勉強せざるを得なかった。


一度しかない受験のチャンスに向け、遅かったとは思うけど中3の部活引退を機会に友達が通う英・数・理の個人塾に僕も入り、先生が手書きで作る青焼きの印刷機で出されためっちゃ小さい字のプリントに毎回悪戦苦闘。


そのような中での唯一の楽しみと言えば、夜10時過ぎに塾が終わり、真冬の極寒の中を友だちと自転車で帰る途中、自販機の温かいコーヒーを買って将来の夢を語ったり、クラスの中で気になる女の子のことを小さな声で話すくらいだったなぁ。



話が逸れました。


僕が志望校選択に迷う彼女に対して思うことは、どんな学校を選んだとしても、3年間の高校生活を思いっきり楽しんでほしい、ということ。


だから、学校を選ぶ際の基準は、必ずしも将来の進路や希望にマッチしたところでなくてもいいと僕は思う。


学校説明会とかオープンキャンパスなどに積極的に参加してそこに毎日通学する自分の姿をイメージしてみて、直感でもいいから(若干無責任な気もするけど・・)自分に合いそう・楽しそうとか、制服が好みだから好き、とかでも良いと思うのです。


勉強だけじゃなくても部活とか友だちとか趣味とかで楽しむことができれば、将来の展望とかやりたいことが少なくとも今よりは見えてくるんじゃないかな。


過去の自分を振り返ってみても、職業とか進路とかを真剣に考えたのは、高校3年生への進級時に文系か理系かを選ぶ時と、大学3年生になって就職活動を意識し始めた時だった。


今はそんなのんびり考えてていい時代じゃないよ、と言われると思うけど、15歳の子に「さあ、あなた自身のレールを今敷いて!」というのはすごく重荷になると思うし、もう少し先でもいいのでは、と僕は思う。




学校は彼女について「真面目で無遅刻無欠席、板書のノートは学校で一番綺麗です。」と何度も繰り返してきた。いわゆる「問題のない」生徒だったんだろう。


母親は、学校との三者面談で模試の結果(偏差値)を知らされ愕然とし、「そもそも勉強の仕方がわからなかったのではないか?」と担任に詰め寄ったそうです。


学校がなんと答えたのかは知らない。でも、もうそこから始めても到底間に合わない。



批判できる立場ではもちろんないけれど、担任や学校は一体何をしてきたのだろうと思う。


受験校の決定期限は明日だという。


何もできず、今までも何もできなかった自分に腹が立ちます。


彼女の苦悩が笑顔に変わる日がきっと訪れますように。



今日の1枚(写真と本文は関係ありません)



とても綺麗な茜色の夕焼けが見られました。
夕焼けが美しい、と感じられることに、ただ感謝です。