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Proof of...

祈る神を持たない僕は、ただ言葉の力を信じている。全ての言葉に僕の意味を。

僕は誰ですかと問われて
当たり前に僕は僕ですと答えた

けど分からなくなったんだ

だからとりあえず
いっさいがっさいに無条件で優しいものに僕はなります
そうして春生の世話になることに決めたのが一ヶ月前のことだった。
春生は驚くほど親切に彼の世話をみてくれた。身許が分からないということで面倒であったろう退院の手続きを済ませ、彼の所有するアパートの一室を貸し与えた。それに必要な一通りの生活用品も用意してくれた。これだけのことをしてもらってありがたい。仕事を見つけたらいつか返すと告げると、春生は笑って
「じゃあうちの教室で働かないか」
と言った。
「教室?」
「あぁ、これでも私は画家でね。大して名があるわけでもないが、絵画教室を開いているんだ。君にそこの助手をしてもらおうと思うんだが。」
「絵…」
「大したことは無い。画材の準備やらなんやら、要は雑用だがね。ちょうど人出が足りなかった。」
自分が絵を描けるのかどうかなどもちろんわからなかった。だが不思議と悪い気はしなかった。何かを造り出す作業は好きな気がした。
「えぇ。ではお言葉に甘えて。」「よし。それじゃ…あー…そうだな。いつまでも名前がないんじゃ不便だな。なんかあるか、名前。」
「…シロ」
一郎とか二郎とか、そういう名前は違うと思った。そんな後付けはいまさらいらない。
名前が僕の存在を表わすものなら、僕の名前はそうだと思った
「じゃあシロ、今日から。いいかい?」


林道に差し掛かるころになると、太陽はもう随分高くなっていた。
冷めていた空気を少しずつ暖め、この街に生きるものを育む無償の熱だ。太陽はそれが好きでやっているように思った。
春生は太陽に似てる。
春生の絵にはどれも太陽が描かれていた。力強く、しかしそれはこれ見よがしに照りつけるものではなく、内に確固として燃えるオレンジだった。

この林道には朝の人通りはほとんどない。木々の隙間から零れる光と風が揺らす葉の音が好きだった。
少し向こうのベンチに、誰かがいる。
髪の長い女性が、身を縮めて座っていた。泣いてるのだろうか、時折小刻みに震えている。
「ここは」





「どこ?」





青年は立ち尽くしていた。

木々が生い茂る隙間を縫って、薄靄が立ち込めていた。ただただ静かに、時折吹く風の音とともに枝と靄が揺れた。

ここは、喩えるなら、意識の境界のような場所だった。白い彼の肌は乳白色の靄に取り込まれていくようであったし、彼はそれも気持ちのいいことのように感じていた。
さっきまではっきりと見えていた彼の黒髪も、徐々に靄の影に消え入っていく。白は刻一刻とその濃さを増し、今、彼は見えなくなった。




《1》



ここは、もうすっかりと馴染んできたベッドの上だった。
しっかりとしたつくりのシンプルな金属製のベッドで、マットレスは少し硬めで寝心地は良かった。ベッドの隣には少し広い天板を持つ白いテーブルがあり、その上は雑多な小物が並べられているが、小奇麗にまとめられていて決して乱雑ではない。クローゼットは大きなものだったが、開きかかった隙間から覗く服の量は、彼くらいの若者にしては少ないようだ。テレビもオーディオも無く、彼の部屋にあるものはつまるところ、その程度だった。

黒い遮光カーテンのおかげで陽の光に眼をしかめることはなかった。時計を見ると5時28分、起床予定の2分前。いつもどおりだ。彼は顔を洗い、丁寧に歯を磨き、髪を整えると、これもまたすっかりと慣れたジャージーに着替えた。

玄関の戸を開けると、晩夏の朝の心地よく冷えた空気が彼を包んだ。彼は軽い深呼吸を数回したのち、近くの自然公園へ向かった。
この間、彼はいろんなものを注意深く観察して歩く。昨日と今日では何が違うのか。彼はそれを知ろうとしていた。全ては日々少しずつ変化していくものなのか、はたまた今日は昨日から変化し全く違うものなになったのか。
彼は、彼自身のことを知らなかった。それはつまり過去と言ってもいいし記憶と呼ぶものかもしれない。そういったものを何も覚えてはいなかった。
初めに気が付いたのは静かな森の中だった。しかし辺りを覆う靄が濃くなるにつれ体が浮かんでいるような気持ちよさに包まれ、やがて再び意識を失った。
次に気が付いたのは病院だった。白い天井、白い壁、白いカーテン、白いシーツ。まだあの森の靄の中にいると錯覚しそうだった。
点滴液が残り少ない。案の定看護士が顔を覗かせた。
「目、覚めました?具合の悪いところありますか?」
「はい…あぁ、えぇと、頭が少し…」
「お薬のせいですね。しばらくしたら治まりますよ。先生を呼んできますね。」
医師の話では体に異常はなく、このまま退院していいらしい。
さて、一体どうしたものか。彼は自分のこと、それも名前すら覚えていない。自分がいったいどこで、どんなふうに、誰と生きてきたのかを覚えていない。家族と暮らしていたのかもしれないし、もしかしたらびっくりするくらい素敵な恋人がいたのかもしれない。知ろうにも、身につけていたのは一着の白い服だけだ。困ったことになったと思った。しかし今の状況を彼は悲観してはいなかった。プラスではないかもしれないが、マイナスというわけでもない。真っ白な状況だ。それが自分の現状だと思った。
話が終わり退室する医師と入れ替わりに、一人の男が入ってきた。40代くらいだろうか。あまり高くない背と歳相応に見える肉付いた体型から柔和な印象を受ける。表情も柔らかく、丸い輪郭と眼鏡越しに見える深い笑い皺が彼の人柄を過不足無く表していた。
男は須藤春生と名乗った。
趣味の絵描きの為に山に入ったところ、倒れている彼を見つけ、病院に運んだのだと話した。
彼は礼をいい、少しだけ躊躇ったあと、自分が過去の記憶を失っていることを話した。
「自分の名前も思い出せないのかな?」
「はい。」
「何か覚えていることはある?」彼はしばらく考えたがやはり、
「ないです、何も。」
「そうか」
春生は腕を組んでしばらく考え、おもむろに言った。
「君は、今、新しいキャンバスを立てた。」
「…え?」
「君の記憶は戻るかもしれない。戻らないかもしれない。このままここにいることで今まで描いていた絵のもとに帰れる可能性だってもちろんある。だが、君は、幸いにも、ここから新しい絵を書き出すという選択肢もある。偶然にも僕はそれを手伝う余裕があって、そういうつもりもある。見たところ君は自分の過去に拘ってはいないようだ。ここに留まっても筆は埃を被る一方だと僕は思うよ。君次第だがね。」
確かに彼は自分の過去に拘ってはいなかったし、彼の言うことはもっともだと考えた。
「迷惑ではないのですか?」
「言っただろう?僕は、そういうつもりになっている。嫌ならこんなこと言い出したりはしないさ。」
ふとカーテンが揺れ窓の外が見えた。
知らない景色だった。知らないビルと知らない川があった。もしかしたらそれは知っていたはずの景色かもしれない。
分からない。
ならそれはそれでいいのだと彼は思った。これから知ればいい。彼の過去は不確かなものだが、先は確かにあった。
ここはどこだっけ

闇の中に月がぽっかり明いた
彼は何で光っていられるのかな
こんなにも寂しくて息苦しい場所なのに

風が強くなった
僕は全てから顔を背けた
何もいらないと呪った
それでいいと呟いた
闇のように心がぽっかり空いた


嘘だと叫んだ
誰よりもその熱を望んでいた


ねえ、君にはいるんだろう
君を光にしてくれる誰かが
暖めてくれる熱が

ここだと叫んだ
僕だと叫んだ

消え入るはずのこのうたが
何かにぶつかる音がした


両手を高く掲げて君を呼ぶから

君は両手をいっぱいに広げて駆けよってよ

一人ではまるで足りないんだ

君と僕で重なって
光が生まれたよ







二人のシルエットが重なって「光」って字になる…って、えーw
読み返すと恥ずかしいのばっかりだなw
うつむいてあるいていた
夢の帰り道


誰の涙かな
哀しいくらいまるい水溜まり


映る月は
消え入りそうなほど細くて


忘れゆく僕の心みたいだった


ルライ るらい ムーンライト



加速した意識が大気圏を抜けて

消える前の君を探しに


見つかるかな 見つかるよな