人生には
想像もつかないことが
起こるもの。

時に
気が遠くなるような
時間を隔てて
ミラクルが仕掛けられる。

そう思う時
人生はまるで
1枚の絵画のよう。

過去と、現在と、未来が
時間軸に並んでいるのではなく
すべてがここにあるみたいに。



去年の11月のある日。

Facebookメッセンジャーに
一通のメッセージが届きました。

英語のメッセージだったので
スパムかと思いつつ読んでみると
こう書かれていました。

Hi, Are you the Emi that gave my father, R.L, $25
 at Narita (Tokyo) airport back in 1989?


(1989年、成田国際空港で
 僕の父、R.L.に25ドルを渡したEmiさんですか?)


読んで
一瞬頭が真っ白になり

そして、涙が溢れ…



そう。

1989年に成田空港で
そのメッセージをくれた
男性のお父さんに
25ドル、当時の日本円で2000円を
私は渡したのです。



その頃、私は
成田空港の免税店の販売員。

店のカウンターにいる時
おじいちゃんに近い
白人の男性が来ました。

そして言いました。

「もうすぐ飛行機が
 出発するんですが
 空港税が必要とは知らず
 現金を全部使ってしまい

 空港税が払えなくて
 飛行機に乗れません。
 お金を貸してもらえませんか?
 アメリカに帰ったら
 必ずお返しします」


当時は出国時に
 2000円の空港税を現金で払わないと
 税関を通れなかったんです


おじいちゃんの言うことを
訳して先輩達に伝えると

「返すはずないじゃん!
 貸しちゃダメだよ」

と、言ったの。

でも、私は
そのおじいちゃんに
2000円を渡しました。

返してもらわなくても
別にいいやって思ったし。

おじいちゃんは
ありがとうを繰り返し
私の手を握り言いました。

「お金を送りますから
 住所を教えてください」


おじいちゃんの笑顔が
何よりうれしかった。

それでじゅうぶん。

おじいちゃんは
走って行きました。

ちょっといいコトしたな
そんなうれしい気分でした。



そんなことも
すっかり忘れた数ヶ月後。

小包が届きました。
アメリカからです。

開けてみると
手作りの水色の額縁が
出てきました。

その額縁の中は
刺繍をほどこされた
白い布でした。

「For the nicest girl at Narita」
(成田の素敵な女の子へ)


の文字の下に
日本地図とアメリカ地図
そして「Friendship」の文字。

すべてが細やかな
クロスステッチの刺繍でした。

その額縁を裏返すと
お手紙が貼ってありました。



「あの日、見も知らぬ老人を
 信頼してくれてありがとう。

 あなたにお金を借りて
 無事に飛行機に乗れたのは
 出発の15分前でした。

 あの時信頼してもらえなかったら
 私は飛行機に乗れなかった。

 お金を送ろうと思いましたが
 お金はあなたがしてくれた親切に対して
 あまりにも冷たいものです。

 そこで、私は息子のお嫁さんに頼んで
 この壁掛けを刺繍してもらいました。
 受け取ってください。

 もしあそこが日本でなかったら
 あなたをハグしてキスしたかった。
 本当にありがとう!

 Rより」




あのおじいちゃんだ!

涙がぽろぽろこぼれました。
うれしくて、あったかくて。

その人間としての素晴らしさに
猛烈に感動しました。

2000円どころか
いくら払っても
手に入れることのできない
最高の贈り物でした。

人の心のかたち。
その美しさ。

私はおじいちゃんに
それを教わりました。



私はカタコトの英語で
手紙を書きました。

どれだけうれしかったか
お金では買えない
素晴らしいものを受け取って
どんなに感動しているか

おじいちゃんとの出会いは
私にとっての
最高の贈り物だった
本当にありがとう、って。



おじいちゃんから
お返事が来ました。

「手紙を読んで泣きました。
 私がどんなにうれしいか
 想像できますか?
 私の家はあなたの家です。
 アメリカに来る時は
 ぜひ遊びに来てください」


長いお手紙には
おじいちゃんのことが
色々書いてありました。

物語のようなお手紙を
うれしくて何度も読みました。



英語で手紙を書くのは
私にとって簡単では
ありませんでした。

想いを英語にするのに
すごく時間もかかりました。

そんなこんなで
おじいちゃんとのやり取りを
私から途絶えさせてしまい…



おじいちゃんがくれた
壁掛けを眺めては
おじいちゃんを思い出し
元気かなぁって考えました。

そんなことを繰り返し
時間だけが過ぎ
人生に色々なことがあり過ぎ

いつしか私は
おじいちゃんを
あまり思い出さなくなりました。



ある時気づいたんです。

転職、結婚、離婚
また結婚、離婚
何度も引っ越しをし

一生の宝物にしようと
心に決めたものを
私はなくしていたんです。

おじいちゃんの壁掛けとお手紙を。



それに気づいた時
とても悲しかった。

もう二度と
あのおじいちゃんと
連絡が取れないんだ…って。

何年も、何十年も
放っておいたくせに
言いようのない
悲しみに襲われて

その悲しみを
まともに感じるのが
あまりにもつら過ぎて
私はその悲しみを
封印してしまいました。



激しく後悔もしてたんです。

おじいちゃんと
連絡をしっかりと
取らなかったこと

おじいちゃんからの
贈り物と手紙を
なくしたこと

自分を責めていました。

責めていることを
感じないように
忘れたフリをしてました。
とても、とても、苦しいから。



それほど
おじいちゃんとの出来事は
私の人生において
美しく大切な
かけがえのない
出来事だったのです。

忘れたフリをしていても
それはフリ

時が流れても
時々、心の奥の方で
おじいちゃんのことを
考えてました。



そして
おじいちゃんと出会ってから
25年が経ったある日。

そうです。

おじいちゃんの息子さんから
Facebookに
メッセージが届いたのです。

「1989年、成田国際空港で
 僕の父、R.L.に25ドルを渡したEmiさんですか?」


私は震えて泣きました。

こみ上げてくるものは
言葉になりません。

ただただ、うれしくて。

封印していた悲しみと
後悔と自責の念が
ハラハラと
ほどけていきました。

25年という長い時を経て
切れていた線が
つながった瞬間でした。

インターネットの力に
心から感謝しました。



そして、なんと。

その少し後
なくしたと思っていた
おじいちゃんがくれた
壁掛けが出てきたのです。

 

おじいちゃんからの贈り物


すっかり汚れて
古めかしくなっていましたが
私の宝物が
また手元に
やってきたのでした。



おじいちゃんの
息子さんから
再びメッセージが来ました。

おじいちゃんは
昔の私の住所に
その2ヶ月前に手紙を送ったけれど
戻ってきてしまったのだそうです。

He would like to know some information about you.
 Are you married?
 Do you have any children?


(父があなたのことを知りたがっています。
 結婚していますか?
 お子さんはいらっしゃいますか?)


私は拙い英語で
息子さんに返事を書きました。



そこから
おじいちゃんと私の
次の物語が始まったのです。



そして
初めておじいちゃんに
会った日から
26年が過ぎた2015年7月、夏。

私の手元にあるのは
おじいちゃんの
住む町を目指して飛ぶ
飛行機のチケット。

私と、あぶと、アンナぽ
3人はまもなく
アメリカに発ちます。



つづく
おじいちゃんと私・2

 

 


このお話は
私のメールマガジンで
去年の秋に配信したもの。

大きな反響があり
とってもうれしかった。

いつかブログでも
シェアしたいなぁと思っていて
書いてみました。

「おじいちゃんと私」シリーズ
今しばらくおつきあいください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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