助けてと言う人は
強い人だと思う。
そもそも助けってのは
自分が楽をするため
サボるため、手を抜くため
そういう動機で
求めるものではなく
自分ではできない
抱えきれない、わからない
どうしようもない
自分の範疇を越えている
そうしたものに対して
求めるものだと私は思ってる。
だから、助けを求める人は
やることをやるだけ
やった人なんだよな。
そこまで精一杯
やってきた人なんだよな。
そして、助けを求めて
助けてもらったからって
楽をするんじゃなく
助けてもらったからこそ
自分でできることを
ガチやる人で。
自分はこれで精一杯
もうまいっちゃったよ
お手上げだよ
だから助けて
手を貸して、知恵を貸して
って言える人は強いし
カッコいい。
それが言えるだけのものを
背景に持っていて
それを人に言う
勇気を持っている。
人の助けに甘んじず
助けてもらったからこそ
できることを精一杯やる。
その「やる」ってのは
何か特別なことを、じゃなくね
しっかり生きる、ってことで。
自分の心に背かないよう
愛を届けられるよう
目の前のことに心を傾けて
手を抜かずに生きることでね
がむしゃらに頑張るって
ことじゃなくさ。
頑張りたいことがあったら
頑張ったっていいしさ(笑)
生きたいように生きる
自分の存在を美しく生きる
と言うか…
言葉がみつからんな…
自分から苦しみを
なくしていくために
自分が犠牲にならないように
助けを求めるには
自分に無理をさせていること
自分を犠牲にしていることに
気づく必要があって
それに気づくことも
尊敬に値することだ。
そして
そういう人は人を助ける。
呼吸をするように助ける。
自分を差し出す。
それが喜びでもあり。
人を助ける、ということは
自分の力を差し出し
役立て使ってもらう
ということであり
それは喜びなのだよね。
だから、助けを求めたことで
誰かを助けることだってある。
人はひとりでは生きられない。
誰かと愛を分かち合って
喜びを分かち合って生きる。
助けを求めること
助けること
それだってそうだ。
私も助けてと
ようくやく言えるようになった。
いい意味で人生に
降参できたことも
いっぱいあるような気がする。
それは、あきらめとかじゃなく
人と生きることを
やっとちゃんとできるように
なり始めたのかもしれない。
奇跡は人と人の間で起こる。
人との間でしか起こらないとさえ
言えるかもしれない。
手を少し伸ばせば誰かいる。
ハートを開けば愛が入ってくるし
いっぱいになった愛が溢れる。
私はひとりでは生きられない。
ひとりでは生きられないからこそ
人に助けてもらいながら
そして、誰かを助けながら
自分の生をまっとうしようと思う。
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