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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。


伊勢市と松坂市の間にある明和町。


松坂城から伊勢に入った時も素通りして

しまっていたんです😅






「斎宮歴史博物館」へ行く途中に


「竹神社」があり、お参りして来ました。











鳥居をくぐると

すぐに手水がありましたが


「花手水」となっていてとても綺麗でした

















竹神社(野々宮)





由緒


垂仁天皇の御代、天照大神の伊勢巡行の際、

共奉した竹連(たけのむらじ)


竹氏という豪族の祖

である宇迦之日子の子、

竹首(たけのおびと)吉比古(よしひこ)の

末裔が、孝徳天皇の御代に至って、竹郡創建の際に

当社を創始した。


竹神社(野々宮)は、古代より存在する式内社

ですが、明治40年〜45年の間に

斎宮地区内の神社25社ほどが合祀され、

👆の旧竹神社から現在の地に移りました。

現在の社地は、合祀前には「野々宮」があり、

「斎王の森」とともに、

天皇に代わって伊勢の神宮に仕えた

「斎王」(いつきのひめみこ」ゆかりの地と

されていました。



パンフレットより


ご祭神









この日は



夕方から「竹神社と麻の色の灯り参道」と

いうインスタレーションアートというのを

午後5時から竹で作ったアートを

照らすというイベントがあるそうで、

御朱印を書いてもらっているときに、

お誘いをうけました。残念😪



竹郡の督領に任じられていた麻績連(おみのむらじ)

廣背は、竹氏とともに有力な氏族であるが、

その祖は、長白羽命(ご祭神を参照)で

竹神社の主祭神として祀られていて、

麻績氏は神宮の神衣祭に用いる荒妙(麻布)の

調達を掌った氏族であったと言われています。














御朱印を書いてくださっている時に

隣に座っているかたが、

毎日、お花の手入れをしてくださっていると

紹介してくださりました。


地域の花やおくりものの花々で

丁寧に管理されているのがよくわかりました。



もう一度UPしちゃいます。














「お伊勢さんの別宮」の一つ


     「倭姫宮」


       初めて参拝して来ました。





















御朱印





倭姫宮ご祭神は 倭姫命 です。

倭姫命は第11代垂仁天皇と皇后・日葉酢姫命の

間に第二皇女としてお生まれになり、

五十鈴川のほとり、

現在の場所に皇大神宮を御創建なされました。


神嘗祭をはじめとする年中のお祭りや

神田ほか各種の御料地などをお定になり、

斎戒や祓の法をお示しになるなど

神宮のお祭りと経営の規模を確立

されました。


その後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に

遣わし、皇大神宮に奉仕させられました。

この方を斎王(斎宮または斎内親王)

と申し上げます。


👆パンフレットより



ご鎮座の由緒と歴史


大きなご功績をお遺しになった倭姫命ですが

お祭りするお宮はなかったそうですが、

郷土を拓きになった命への地元の人々の

敬慕は篤く、信仰はされてきたそうです。

それが大正初年から、神宮司庁と宇治山田市

(現伊勢市)が命をお祭りするお宮の創立を

国に請願し、大正10年(1921)皇大神宮別宮

として宮の創立が許可され、

同12年11月5日後鎮座祭が執り行われました。


👆パンフレットより



昨年令和5年は大正12年に後鎮座されてから

100年となった年だったそうです。



※初代 斎王としては

 第10代崇神天皇の皇女・

   豊鋤入姫命とされています



今度のお伊勢参りには

「斎王」「斎宮」に触れる旅にしたく

なり、令和6年に敬宮内親王殿下が

訪れた「斎宮歴史博物館」に

行くことにしました。



では…行ってきます🚗














「伊勢神宮…内宮」


      参拝して来ました。


         







初めて内宮に駐車して向かいました。


前回は外宮だけしかいけなくって、


この参道を通るのは初めてです。















市営宇治浦田駐車場には9時頃ついて停めて

「内宮おかげ参道」を通って行きました。


観光協会の説明では

「昭和の浮世絵師」と言われる門脇俊一作の

屏風絵が並んでいます。


この参道に入った瞬間に

ウキウキしてきて、じっくり見ていたら、


「これは内宮にいつ辿り着けるかわからない」


とぼやいていました。


この地下道のおはらい町寄りの

壁面にハートの石が隠れているそうです。

この情報は後から知ったので

私は確かめられていません。

これから行かれる方は是非

探して見てくださいね。



















基本的に緑の木々なんですけれど、

この辺りには少しだけ紅葉した葉がありました。









五十鈴川で手を清めました。

お金は投げ入れないでと注意書きがありましたが…








本殿を支える石垣です。










これより先は写真撮影は禁止です。




行ってきます。





伊勢神宮の参拝の仕方では外宮からとありますが、

外宮に行って「せんぐう館」をじっくり見ていたら

内宮へは大渋滞して車が全く動けずに

断念してしまったので


「後日」と思っていたので、

今年の「心のこり」を取って来ました。




いよいよ11月も終わり、師走になりますね。



少し年を越す準備が一つクリアできました。



さて、帰りは











兵庫県西宮のお酒

「白鷹」



こんなお酒はあったかな?











やはりまずは


👇








今日は「赤福」にしました。


お善哉ではなくあんこ餅。

わたしにとっては昔ながらの

「赤福」です。



あとは、事前に主人とYoutubeで

下調べしておいた




コロッケ!



と「福まん」(肉まん)をたべました。




9時について帰りは

もうお昼近くになってしまいました。




到着は9時頃でしたが、

帰りは12時近くになってしまって



全く考えていなかったのですが、

今日は





11月23日で


「新嘗祭」



それは人が多いわけですね。




ではこれから以前から行ってみたかった


「斎宮歴史博物館」いくことや、


今回、気になった場所。

「倭姫宮」にいってきました。



つづく。











岡山での1日は

楽しかった!


この時期←少し前ですは🍇や他の果物を

調達に「岡山」に行くことが多いので

イベントを理由に行っています。



話の続き…


岡山城の後は

岡山駅でランチ食べたし、

充実した1日になったけれど、


1箇所をじっくり見て調べて

知るということもいいと

思っているけれど、車で移動なので

今回も多くの史跡を巡って楽しんだ

1日になりました。






駅のロータリーは改装中なのかな?

桃太郎さんが端に移動していていました。




えび飯(卵のせ)



駅のお土産売り場などが

綺麗になっていて、ちょっとお買い物。

「ままかり」大好き!




もっとゆっくりお買い物もしたいけれど、



先を急ぎます💦💦











登って行きたい!

残念💦





城壁のようなのが見えましたが、

写真ではわかりませんね。



砥石城


別名は砥石山城・砥石ケ城


この日は「宇喜多家二代とその妻」として

岡山城を含めて回って見ました。


砥石城跡に来た時には既に17時だったので

登っていくのをやめました。




城の歴史を見てみると

文明年間1480年ごろに備前国守護代の

浦上氏によって築城したとされています。


この築城の際に宇喜多直家の曽祖父である

宇喜多久家が何らかの形で関わっていたようであるが

定かではない。

しかし、久家の子能家が隠居し、興家の代となった

天文3年(1534年)に、同じ浦上氏家臣の

島村盛実良に離反の疑いを変えられて責められ、

能家は自害、興家とわずかに6歳の直家は

放浪することとなる。


などとありますが、

まだまだ「城めぐり」のサイトにある

城の情報をもとに書いています。


「宇喜多直家生誕の地」の石碑があるようですが、

見つからずでした。




実は、このあともう一つ城跡に行きたくって

先を急ぎました。





常山城


常山城は文明年間(1469〜1468)に

備中の戦国大名・三村氏の姻戚である上野氏に

よって築かれたとされているが

不明なである。

天正3年(1575年)毛利氏により攻撃を受けた三村一族

最後の居城が常山城であり、常山城は毛利氏の軍勢に

囲まれ上野隆徳は城内で自害したが、

隆徳の妻である鶴姫は、武家に生まれた女としての信念を

貫き、城内の侍女30余名を率い、

城外の毛利軍に突撃した。

鶴姫は毛利軍の武将である乃美宗勝は

それを拒否し、思わぬ奇襲に乱れた軍を

立て直した。

鶴姫は再度城内に戻り、自害した。


城は現存していないけれど、

城跡として案内されていて、

山頂付近には、鶴姫や侍女たちの祀る墓34期あり、

『女軍の墓』として紹介されている




常山合戦案内板

この常山合戦の後は

宇喜多秀家の所領となり、

戸川秀安城主となった。↓


戸川秀安→後に友林と号す



戸川有林の墳墓



関ヶ原の戦いで宇喜多氏が改易となり、

小早川秀秋が城主となったが小早川秀秋の病死し

改易となると、池田忠継の所領となり、

この城を廃城とした。







車でこの景色あたりまで行きますが、

まだまだ先もあります。


断念!



岡山のとある1日を書いて見ました。








思ったより寒くならず、

11月も半ばになりました。


今日17日は注目の「兵庫県知事選挙」

どなたが選ばれるのでしょうか。

わたしはもう既に期日前投票をしてきました。


今日は午後から用事もあるし、

でも少し出かけたい。

ということで、


「奈良」へgo


野菜の価格が高騰しているし、

「道の駅 かつらぎ」のお野菜たちは

どんなだろうと見に行って来ましたが

やはり高いな。

それでも白菜は一個で400円だったので

買ってしまいました。


13時半から用事があったのでもうランチして

帰るかな?


なんて思っていましたが、

ちょっと思入れても出したのが



「欠史八代」の1人


第2代 綏靖天皇 ◎

第3代 安寧天皇 ◎

第4代 懿徳天皇 ◎

第5代 孝昭天皇 ◎

第6代 孝安天皇 未←   ここ

第7代 孝霊天皇 未 

第8代 孝元天皇 未

第9代 開化天皇 未



第6代孝安天皇の御陵が近いのでは?

と思って行って見ました。




先代の第5代孝昭天皇の陵からさほど離れていない

ところにあります。





上から3人の方が降りてこられました。







第6代 孝安天皇


諱  日本足彦国押人天皇(日本書紀)

   大倭帯日子国押人命(古事記)


生誕 前427(孝昭49年)

崩御 前291(孝安102年1月9日)

在位 前392〜前291



陵所は


玉手丘上陵























京奈和道が遠くにみえます。







🍁秋ですね🍁




第2代 綏靖天皇 ◎

第3代 安寧天皇 ◎

第4代 懿徳天皇 ◎

第5代 孝昭天皇 ◎

第6代 孝安天皇 ◎

第7代 孝霊天皇 未 

第8代 孝元天皇 未

第9代 開化天皇 未