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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。





2025年の年末から正月明けまでの休みが

長くって有効に使えてよかった飛び出すハート

来年も長い休み🎌になりそうですね笑


たまたま、奈良でお買い物をしているときに

この👇ポスターをみつけたので


急遽ですけれどあせる「薬師寺」に行ってきました。














定期的に訪れていましたが

年始に

訪れるは初めてで

自分の誕生日月(8月)が多くって💦


薬師寺は天武9年(680年)天武天皇のより

発願され、持統11年(697年)持統天皇によって

本尊を開眼、さらに文武天皇の御代に至り、

飛鳥藤原京において堂宇の完成を見ました。

その後、和銅3年(718年)、平城京右京に

移されました。






本薬師寺跡にも以前行って来ましたが

「耳成山」が綺麗に見えていました。










東塔(国宝・白鳳時代)


創建当時から残る唯一の建物

各層に裳階(もこし)をつけているため

六重に見えますが、三重の塔。


平成21年から12年かけて、初の全面解体

大修理が行われました。




2018年に撮影




内陣には、中村晋也氏による釈迦八相像にうち、

入胎・受生・受楽・苦行の因果四相が祀られて

います。







西塔 1981年(昭和56年)再建


享禄元年(1528年)に創建以来の建物が焼失したため、

昭和の東塔への調査に基づいて設計され、

伝統的な木造建築の工法で再建されました。

屋根の勾配はゆるくし、また青に塗った連子窓を設ける点は

創建当時の形式によります。


内陣には、中村晋也氏による釈迦八相像にうち、

成道・転法輪・涅槃・分舎利の果相四相が祀られて

います。



今回は👇の東塔・西塔特別開扉というのを

見て来ました。











金堂 1976年(昭和51年)再建


薬師如来の浄瑠璃世界を彷彿させる堂塔は

龍宮造りと呼ばれていましたが、

1528年(享禄元年)焼失し、1600年(慶長5年)

に仮金堂が建立されました。

その後、宮大工の名工である西岡常一棟梁により、

1971年(昭和46年)からの5年の歳月をかけて、

創建当初の姿で再建されました







金堂には薬師三尊像(国宝)が安置されていて

中央には薬師如来、右が日光菩薩、左が月光菩薩

合わせて薬師三尊と言いますが、

南都の寺ではお正月は吉祥天女を御本尊として

祀られているそうです。



大講堂 2003年(平成15年)


多くの学僧が仏教の教学を学んだ古代の伽藍では、

金堂よりも講堂が大規模でした。

2003年(昭和15年)に再建されました









東院堂 国宝・鎌倉時代


東院堂は養老年間に吉備内親王が、

元明天皇(母)の冥福を祈り、

発願し建立されました。

現在の建物は、1285年(弘安8年)に再建され、

1733年(享保18年)に西向きにされています。

奈良時代は土間が通常ですが、再建にあたり

板床に造り変えられています。

鎌倉時代の建築様式を巧みに残しており、

日本最古の禅道として知られています。




※吉備内親王は草壁皇子と元明天皇の次女で、

元正天皇の妹。長屋王の妃



今年は巳年にちなみ

秘仏の弁財天や宇賀神さんが特別公開されて

いました。



御朱印もいただいたのですが、

今回は「能登への復興支援」ということが

書かれていたので





買って応援させていただきました。



石川県穴水町のもち米で作った餅で

集まった授与料を一部被災地に届けると

ありました。

地震の前から能登の穴水地域で寺に奉納する

ための米を育てる「仏供田」が設けられ

地域の人々が農作業にあたっているそうです。





という月間誌があって奈良に行くと

買うことがあります。


月刊大和路 奈良の魅力を探る


今月はまだ買っていなくって

奈良からの帰り道に本屋を探していたら


大和郡山駅あたりの本屋を発見💡


ナビを使って本屋に行く途中、

大和郡山城を左手に見ながら

「来年の大河ドラマで

大和郡山城は関係してくるから、

今年中にはもう一度行ってみようかな?」

と思っていると


一方通行の細い道を

通らなければならず

ヒヤヒヤしていました。


主人が急に


「大納言塚って書いてあるよ!


と声かけてくれて、



大和郡山城付近

で「大納言」?


というと


豊臣(羽柴)秀長?


でも狭かったので

一度は通り過ぎるしかないし、

仕方がなく

通り過ぎてまずは目的の

本屋に行って「ならら」を購入!



その後、主人にもう一度連れていってもらい、

止められなかったので

私1人だけ近くで降りていってきました。






これはなんだ?☝️











来年の大河の主人公となる秀吉の異父弟(同父弟とも⁈)ですが


天正13年(1585年)和泉・紀伊・大和に及ぶ100万石の所領を有し、

郡山城主となった。

郡山城の建設に本格的にとりかかるとともに、

「箱本」制度という独特な町方自治を行い、

また城下の商工業を育成し、今日の郡山の基礎を築いた。

天正19年(1591年)1月22日、郡山城内で没した秀長

(享年51歳)はここに葬られた。

※52歳とも言われていますが、

看板に書かれているままに記しています

当初、今の芦ヶ池近くに豊臣秀吉が菩提寺大光院を建立し

院主に京都大徳寺の古渓和尚を当てて墓地の管理と菩提を

弔った。豊臣家が滅んだあち大光院は藤堂高虎によって

大徳寺の塔頭として京都に移築され秀長の位牌は

東光寺(後の春岳院)に託された。

その後墓地は荒廃したが、安永6年(1777年)位牌

菩提寺春岳院の僧、栄隆や訓祥が郡山町中の協力を得て

外回りの土塀をつくり、五輪闘を建立した。







これもなんだ?☝️

ひとまずは

写真に収めて


※後で調べてみると、この石碑は裏側を撮っているみたいで

正面には大納言塚と書いてあるようです。

慌てて撮ったので残念ガーン





お願いの砂


大和大納言秀長は優しく賢く、

とても立派なお殿様で、今の大和郡山の基礎を

築かれたお方であり『学問の智将』とも言われて

います。

今日お参りできたお礼を申し上げた後、『自分の名前』

と『願い事』を言いながら

門前の石の箱へ三回お砂を通しますと

きっと願い事を聞いて下さいます。


と書いてありました。



なるほど、重い蓋を開けて通して来ましたよ!




「お願いの砂」という蓋がしてあって

はずしてみると

その中には白い砂がありました。







おっ、塚がある。





五輪塔です。


五輪塔は高さ約2mで

地輪の表面には、


戒名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」と刻され

台座には「春岳院現住法院訓祥、郡山内町中建立之」と

刻まれているそうです





2022年9月号でもこの「大納言塚」のことが

書いてあるが、特にその頃は気にかけていなかった

ものの、突如として来年の大河の主人公の塚に出会える

とは思わなかったので

ブログにアップしてしまいました。



追記…



近くの道の駅では











「道の駅 かつらぎ」

1月4日は、初の買い出し〜


振る舞い「おぜんざい」をいただいて

お野菜を買ってきました。


白菜、椎茸、人参🥕イチゴ🍓

まだお気に入りの米粉パンは無かったけれど

とりあえず、お鍋野菜を買って

6日から始まる週の準備です🩷





「道の駅 かつらぎ」の

近くには「飯豊天皇陵」という

史跡があり



飯豊天皇陵



宮内庁により奈良県葛城市北花内にある

埴口丘陵(はにぐちのおかのみささぎ)に治定されています

形式は前方後円墳

遺跡名は「北花口大塚古墳」




車では住宅街の中で、

細い道を通って行かなければいけなかったのですが、

なんとかいけました。

全周は歩いてみてこなかったのですが、

全長約90mある前方後円墳で周辺には

水の濠となっています👇



飯豊天皇は女帝で現在の歴代天皇の系譜には記載がありません。

しかし、飯豊天皇陵として宮内庁に「天皇陵」として管理されています。

なぜ?「天皇陵」?

ということから、興味がわいてきました。


以前から行っていた兵庫県の三木市にある

「三木城」の近くには

「志染の岩室」(しじみのいわむろ)という

史跡があります。

その岩室、洞窟には2人の皇子が

住んでその2人の皇子の名前を

億計と弘計と言い、その2人が後に天皇となって

います


※「道の駅 みき」で購入した本👇









顕宗天皇と仁賢天皇となりますが

その顕宗天皇が即位するまでの空白の時間があり

その空白の時間に政務を執っていただろうと

言われていたのが「飯豊青皇女」(飯豊天皇)

だったと言われています。





三木の風土記としての2冊の本では

飯豊青皇女(飯豊天皇)と

2人の皇子は姉と弟となって

いますが、叔母とも言われています。


※この飯豊天皇については色々な

説があるのであしからず…







静岡から帰宅して、我が家でも

年末に買っておいた蒲鉾や錦卵

(伊達巻が苦手)などをお皿に並べて

簡単にお節を作って、我が家でも

年始を祝いました。


3日はそんな感じでゆっくり過ごして

午後からは「西宮神社」に初詣して

きました。




阪神西宮で降りて、

「えべっさん筋」に出たのですが、

両歩道には屋台が並んでいて一方通行としていて

規制されていて

国道43号線まで

出てから信号を渡らなければいけなくって

やっと表大門(赤門)に辿り着きました💦




現在は兵庫にすんでいるので近くの神社、

西宮神社の詣でています。



 


今回、主人の御朱印帳のページが終わったので

買い替えることにしました。








鏡餅明けまして 

   おめでとうございます門松


本年もよろしくお願いします。


(遅ればせながら)





2024年12月の年末は職場で

インフエンザが流行してしまって、

休みも返上で仕事をしていました。


幸いに私や家族は罹患せずに

過ごせましたが、

皆さんはいかがでしたか?


27日(金)が仕事納めでしたが

結局28日(土)になってしまって💦

年末はドタバタになってしまいました💦


そして29日は大掃除をして

30日に静岡に帰省  🚗🚗ダッシュ


30日はお陰様で渋滞もなく無事行けました!


早くに行けたので

「大井神社」にも年末のご挨拶ができて

良かったです。




31日はお正月のお雑煮の用意。

私たちはお餅をいただきますが、

98歳の義母には昨年までは鍋に入れる

薄いお餅にしていましたが、

今年は、白玉粉で作ったお餅を食べて

いただきました。


年越しは昨年から参加している

👇のイベントの初売りに参加してきました。












おせちはご用意してくださっていて


2025年はラブラブラブラブ






ご馳走様でした飛び出すハート



1日には「蓬莱橋」

行ってきました。


静岡県島田市にあって

大井川にかかる全長897.4m(厄無し)

通行幅2.4mの木造歩道橋で

長い木の橋(長生きの橋)

など、厄払いや長寿のご利益スポットでも

あります

1997年に「世界一長い木造歩道橋」として

ギネスブックに認定された橋です。




こちらで100円払って渡ります。




島田側から渡ったのですが、

かなり長か感じました。

下を見てみるとやっと真ん中に来たと

思った時に

今来た長さを行かないといけないのかと

思ったら往路だけでも十分でした。


でも、富士山が‘見える時だったので

とても気持ち良かったです。



辿り着くと




















勝海舟の像👇



大井川の方を見ている像がありました。

「勝海舟」の像で、蓬莱橋の由来と

関係しています


蓬莱橋の由来


1869年(明治2年)7月、

最後の将軍慶喜を護衛してきた

元旗本の中條景昭ら幕臣たち300人に

不毛の地とされていた

大井川右岸にある牧之原を開墾して

茶畑を作るように命じたそうです。

当初は大変厳しい環境の中で、

筆舌に尽くせない苦労の

連続でしたが、

資金援助や協力のそかいがあって、

順調に茶の栽培が

営まれるようになりました。

生活面が安定するに従い対岸へと

小舟で大井川を挟んで

島田宿の方へ生活品や

食料品を買いに出かけるようになり、

また島田宿方面からも山林・原野を開墾する者が

往来するようになったりとしていましたが、

当時満々と流れる大井川を小舟で渡っていたそうで

大変危険なことでした。

そこで、島田宿の開墾人総代達は、

時の県令(現在の知事)に陳情し、

許可されて1879年(明治12年)1月13日に

大井川を渡る蓬莱橋が完成したとのことでした。


橋の名称は、静岡藩主となった

徳川亀之助(家達)が

1870年(明治3年)4月に牧之原を訪れた際、

開拓する幕臣たちに

「ここは蓬莱、宝の山だ」と激励したことが

云われだと言われているそうです。



私たちはここまで車で送ってもらって

きたのですが、

帰りは歩いて島田の駅の方まで

行かなければいけなくって

かなりの距離を歩いてしまいました💦


2日はに兵庫へと戻りました。


事故渋滞や交通集中による渋滞に

何ヶ所かありましたが、無事に我が家に

戻ってきました💦


今年は巳年🐍

王子田のジャンボ干支







帰りは久しぶりに

「長篠設楽原PA」によってきました。



リニューアルされていて




ラーメンラーメン武田野菜塩ラーメン食べましたラーメンラーメン



また、今年も始まりました。


よろしくお願いします。ラブラブクラッカー