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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。


令和6年11月24日


 「お砂持ち神事」に参加してきました。



西宮神社




今年の初めの

「十日えびす」で西宮神社に行った時に





「本殿御屋根葺替に銅板御奉賛」


というのがあって、


「あなたの名前が…末長く残ります」


なんて書いてあったのをみて

賛同させていただきました。








その時にもらったのが





裏書


「えびすさまが鎮まる本殿後方一帯に

広がり、御神域をお護りしているえびすの森。

その役割を終えた御神木から奉製した記念品

となっています。」




修理前









👇



修理中











11月24日👇



西宮神社の日誌(社務日誌)には

江戸時代頃から、本殿修繕や境内整備の一環として

氏子やその子ども達が白砂を運んでいた記録が

あったそうです。

今回は故事に倣って、令和の本殿御屋根葺替事業の

総仕上げとして「お砂持ち神事」をすることに

なったそうです。




この葉書1枚で2人まで参加できる時ことで

夫婦で行ってきました

























白砂を袋に入れて本殿背後に回って白砂を

撒きに行きます。















みんなが少しずつ撒いたあとです。


私たちも撒いてきました。

それとは別に白砂を持ち帰ることもできて

家の四方や玄関にお敷きくださいとのことでした












なかなか本殿の後ろをみる機会なんてないと

思っていたので、とても良い機会を

いただけたと思いました


そして

Instagramを見てみると

「お砂持ち神事」で綺麗に白砂が

敷かれていて、


遷座祭も済み、現在は本殿で

お参りができるようになっているようです。


まだ、新・本殿での参拝はできていないので

行ってきたいと思います。















こんにちは!



令和7年

2025年






乙巳の歳です


北野天満宮も変わっていました









乙巳といえば、


645年の「乙巳の変」(大化の改新)



2025-645=1380年


1380年前のことでしたか













神武天皇陵に行くとすぐ近くに

綏靖天皇陵があり、

また、ほどない距離のところにも

安寧・懿徳天皇陵もあります。






第8代孝元天皇


諱 大日本根子彦国牽天皇(日本書紀)

  大倭根子日子国玖琉命(古事記)



生誕 孝霊天皇18年

崩御 孝元天皇57年9月2日(116歳)



陵所 剣池嶋上陵



















「欠史八代」の1人


第2代 綏靖天皇 ◎

第3代 安寧天皇 ◎

第4代 懿徳天皇 ◎

第5代 孝昭天皇 ◎

第6代 孝安天皇 ◎

第7代 孝霊天皇 未 

第8代 孝元天皇 未←ここ

第9代 開化天皇 未







加藤清正


幼名は「夜叉丸」(やしゃまる)

通称は虎之助(とらのすけ)

熊本などでは現代でも 

清正公(せいしょうこうさん)と

呼ばれて親しまれています

新田開発や治水工事で実績を上げたことに

よるところが大きい


永禄5年(1562)6月24日 

父は刀鍛冶・加藤清忠

母は鍛冶屋清兵衛の娘・伊都

の子どもとして

尾張中村(現在の愛知県名古屋市中村区)に

生まれました。


父・加藤清忠は清正が3歳の時に死去


清忠は斉藤道三に仕えていたが

戦中に負傷してしまったことをきっかけに

斉藤家から離れたと言われている




そうかっ❣️


尾張中村の百姓と言われていた

秀吉は有名だったけれど

清正も?中村で生まれた?





色々と調べてみると

「妙行寺」ミョウギョウジ  

生誕の地とされているので
やはり尾張を離れる前に行っておいた方が
良いということで、
住所を調べて行ってみました

清洲城があったところと名古屋城との中間くらいの
位置にありました。











ここでアプリの「城攻め」をしたところ





やった〜


もう、自分でもびっくりですけれど

かなり興奮して声をあげてしまいましたよ


「浪人武将発見」


既に豊臣秀吉は登用しているので

絶対に


「加藤清正」


だと確信しました!















屋根のところにも





公正清

と書いてある!









無事
   「加藤清正」
         に出会えました。










海のシャチではなく、頭はトラ

身体は魚という

空想上の生き物で

「水を呼ぶ」といわれることから

「火除けのまじない」とされました




この名古屋城には
「金シャチ横丁」があり
「義直ゾーン」と「宗春ゾーン」があって

「義直ゾーン」の義直は初代尾張藩主
          (徳川家康の9男)

なので、
義直ゾーンはなんとなく
命名はわかるけれど

「宗春ゾーン」っていきなり感があって

宗春といえば
尾張七代目藩主ですよね


八代将軍徳川吉宗の「享保の改革」に
反発して蟄居となってしまったとか

大河ドラマファンとしては
西田敏行の「八代将軍吉宗」は
よくみてたけれど、
紀州家からみた尾張家だったから
なんか残念な尾張藩という感じが
したんですよね





入場すると2種類のパンフレットが
もらえますが
「子ども用」のパンフレットに
命名のヒントが
あるのを発見💡








わかりやすいんですよね



徳川宗春は 1730年(享保15)に七代藩主に
なりました
八代将軍徳川吉宗の節約をすすめる
「享保の改革」に反発して、芝居や踊りを
盛んにして
「芸どころ名古屋」
を発展させました


とあるんですよね。

そのあたりからとったのでしょうね。













でも、
結局「義直ゾーン」の






矢場とんさんでいただきました。




曇天でしたが、雨は降らずにすんで

良かったです



さて、名古屋城も見終わっていよいよ

最初の目的の


「加藤清正を探せ」  


どうしよう?



加藤清正を調べて見てみると…


続く…