最終回の前日12月17日に
「三谷幸喜の言葉」鎌倉殿の13人の作り方〜
いうのを視ました。
2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
全48話 2349ページの長い物語をどうやって
作って行ったのかとかを話している番組。
三谷幸喜さんが脚本を書く際に
スタッフと交わした無数のメールのやり取りから明らかになる
三谷幸喜「鎌倉殿」の創作の秘密というものを
取り上げた番組でした。
まず初めに語っていたのが、
これを撮ったのが最終回の脚本を書いて3ヶ月後くらいだったそうです。
最終回の脚本ができるまでは、
「鎌倉殿」のために色々な資料として
映画「仁義なき戦い」や「ゴッドファーザー」「スター・ウォーズ」
「ブレイキング・バッド」などを見ていたりしていたが、
見る選択肢が必ず「鎌倉殿」に関係するものだったそうです。
しかし、書き終えてからはなんでも見ていいはずなのに、
「鎌倉殿」に取り組んできて2年間ずっと「鎌倉殿」のため、
そんな状態だったので、
何を見て良いのかわからない感じがあったそうです。
三谷さん自体も「喪失感」に襲われたのですね。
三谷さんの脚本したドラマで
北条家を題材にしたドラマは二つあって
一つは
1995年「王様のレストラン」で、
これは名前だけを使っていたそうで、
確かに鈴木京香さんは「政子」でした💦
2000年には「わが家の歴史」で
主人公は政子で鎌倉時代の
北条家の話を昭和の時代に置き換えた話しだったそうで、
ある一家の長女がすごく力のある人と結婚したことによって
その一族がどんどん運命が変わっていくような話で
鎌倉時代の北条家のことには昔から関心があったとのこと。
「北条時政」のキャラクターが今までのイメージと違って
策士だとか権力の権化だとか「吾妻鏡」から読み取れずに
こんなことをスタッフにメッセージを送ったそうです。
『時政はなぜ甲斐に行きたがり、そしてすぐ翻るのでしょうか?
甲斐源氏に救いを求めたということはありますか?
その前に大庭に買ってに降伏をしようとして
義時に止められるとか。
頼朝の隠れ場所を大庭に密告しようとするとか。
最低だけど憎めない田舎のおっさんにしたいのですが?』
というようなことを送ったそうです。
あとはキャスティングで「坂東彌十郎」が決まってから
本格的に今回の「北条時政像」というものが確立して行ったそうです。
義経に関しては菅田将暉が演じたことによって膨らんで行ったのが
最初は「パットン大戦車軍団」という映画のパットン将軍を思い
浮かべていて「戦うことだけにすごく力を発揮し
それ以外のことでは全く何の才能もない。」ただの悲しい
おじさんという内容の映画を膨らませて作ったそうです。
三谷さんが今まで見た作品、映画とかお芝居とか小説とか
からインスパイアーされて
あの作品のあの人みたいに描きたいみたいな感じで作った
キャラクターもあるそうです。
その1人に「大江広元」は「ゴットファーザー」の
「ロバート・デュバル」だそうです。
女性の名前は残っていないのですけれど、
実衣は100%「ムーミン」のミイから来ていて
トウは一幡を暗殺した「藤馬」からという人がいて
そこからと言われていますが、三谷さん的には
演じた山本千尋さんが小柄でそのイメージでピリッと辛い
スパイスみたいな「トウバンジャン」から来ているそうです。
のえは「伊賀の方」だし、「真田丸」で家康の「伊賀越え」から
「ゴエ」ではおかしいから「のえ」になったそうです。
トウとのえの話しあたりからは少し笑っていたので、
自分でもつけていて面白かったのでしょうかね。
まさか「伊賀越え」の越えから「ごえ」→「のえ」とは
三谷さんの不安な時があって
『6話まで来ました。ちゃんと歴史ドラマになって
いると良いのですが?大丈夫でしょうか?
面白いでしょうか?』
まだ6話まで書いたけれど、撮影も始まっていなかったり
どんな家の様子なのか?
どんな服を着ているのか?
どんな座り方をしているのか?
全く手探り状態(暗中模索)で書いていたらし、
戦国時代とか幕末とかだったなら何となくわかるけれど、
鎌倉時代となると
どんな風なのか全く想像つかなくって
心配でメッセージを送ってしまったそうです。
ちゃんと「大河ドラマ」になっているのか、
だから早くその映像が見たかったそうで、
ほんのワンシーンでもスチールでも良いので
映像が欲しかったとも言っていました。
やっと1話の映像が来て、こんな感じで演技をしているのか?
こんなカット割りしているのかと見て
やっと自分の方向性が見えて膨らませて言って、
第1話がオンエアーされてホッとされたそうです。
その時が1番幸せを感じていたそうですが、
それも束の間、脚本に追われてしまい、
辛い時が来たそうです。
三谷さんのストーリーつくりの拠り所として
「吾妻鏡」を用いたのだけれど、
こんな一説に三谷が注目して壮大な物語が
広がったシーンがあるそうです。
『建仁2年12月19日に、平知康や井戸に落ちるという
事件がありました。これを使ってみようと思います。』
なんで井戸へ落ちるのだろう?
どうやって助かったのか?考えて
助けるのは誰にしようか?
全成と頼家が力を合わせて助けて心が通じ合うという。
頼家がそこにいるのはわかるけれど、
全成が何でそこにいるんだろう?と考えた時に
じゃあ全成は呪詛をかけていて
その頼家を殺そうと思っている→
頼家の髪の毛が必要、
それを奪いにその井戸へ落ちた時に居合わせた。
その段階で全成は頼家を殺そうとしてる→
それを自分から殺そうと思っているのは違う?
ならばしむけた人物は時政だろう?
そんなところから全成の頼家を殺そうとする話が
できているそうです。
知康が井戸に落ちなければ全く違う話になっていたそうで、
ある瞬間にパーツとパーツが合わさっちゃう時が
あるそうです。
他にもそんな瞬間に合わさったシーンがあって
最近では実朝を暗殺した後に公暁が実朝の首を持ち歩いて
食事をするときも側に置いていたという話が
吾妻鏡にあってこれは避けて通れないと思って
思いついたのが首の代わりにあの髑髏だったそうです。
そもそもその髑髏も最初の頃に文覚が持ってきたあの回だけ
だったのものが、権力の象徴として使おうとなって、
小道具さんに残っているか聞いたらあるということで
使ったそうです。
「種を蒔いている時にはそれが種だと気がついていなくって
後出しジャンケンみたいな感じもあるけれど、
計算して伏線を張っているわけではないけれど、
なんか思いついちゃうみたいな」とも言っていました。
三谷流の群像劇
『3回目の大河を書くにあたって、僕がチャレンジして
みたいことがあって、それは「新選組!」「真田丸」よりも
視点をやや上に上げること。
俯瞰とまではいきませんが、人々の感情に入り込むよりも
彼らの動向、存在そのものを客観的に描くことに
ポイントを置く。
特に鎌倉に入ってからは、ある意味、鎌倉の町そのものが主人公
みたいなところがあって、常に複数のドラマが同時進行、それらが微妙に
重なり合って、一つのうねりを作り上げていく面白さを毎回、
目指しています。難しいですが。』
亀の前事件について
亀の前事件は亀の前事件に出てくる登場人物だけで話は
成立してしまうけれど、鎌倉にいるものも何かしら関係して
いたとすると義経を絡ませて見たりして
亀の前の事件で周りの人とたちの人生が少しでも
動く、変わるというようにして群像劇を書いているそうです。
現場からのSOS
『わしはコオロギか、ではいかがでしょうか?
本当に嫌いというより、そんなものを持ってくること
自体が許せない感じが欲しいです』
これに関しては、山木兼隆が義時、時政親子が
きゅうりやナスなどを持って来て堤信遠が報告
している時に
「わしは長細い青物は好かぬ」というセリフだったそうですが、
美術スタッフから当時のナスは細くなく、丸いのですと言って
来たそうです。
それで急遽↑の分の回答になったそうです。
また急なスケジュールの変更で義村が軍議に居られないので
義村なしで撮ろうとしたけれど、悩んだ末にお腹を壊して
いられなかったということになり、ならばそのお餅は誰が?
義時が八重さんに渡したのを食べたということにしたそうです。
また、金剛が坂口金剛へ移行するときに、あまりにも
昨週まで義時と金剛が良い親子の話をしているのに
次の週ではいきなりだったのでとても違和感を感じてしまって
「八代将軍吉宗」のように疱瘡になって顔に包帯を蒔いていて
治って包帯をとった時に子役から西田敏行吉宗に変わっているような
演出が見つからずに、視聴者に申し訳ないから今からできることとして
「成長著しい金剛」というフレーズを思いつき、
テロップを入れてもらったそうです。
また終盤には45話では、
政子が実朝を失い、公暁を失った時にどうなってしまうんだろうか?
と書いている瞬間に政子の気持ちになった時に、
生きることを拒否してしまう→死んでしまおうと思う。
しかし、史実ではそこで政子は死んではいないわけで、
誰かが助けるということを考えたときに北条家の人々では
ないと思って、殺人者のトウが助ける。
でもいきなりそこにいるのはおかしいので、
とうは捕まっていて逃げ出してたまたま通りかかった→
なぜ捕まっていたのか?誰に捕まっていたのか?
仲章がいる→仲章の暗殺失敗というように
話ができていってトウの物語も筋が通ったという
ことになったそうです。
三谷流のセリフ作り
『仲章の死は比企能員と違って、青天の霹靂。
事故のようなものなので、思考回路を通った言葉を話せる
状況ではないということ。
そして仲章が、あまり視聴者が感情移入できるキャラではないので、
恨みであろうが悔しさであろうが、ここで彼が何かを言ったところで、
視聴者の心に訴えるようなことにはならない、むしろ取って
つけたように感じられてしまう恐れの方が大きい。』
仲章の最後をどうなふうにしようかと考えて
どんな死に方が良いだろうか?
何を言って死ねばいいんだろうか?
しかしここで大切なのは公暁と実朝だから
仲章が一世一代の言葉を述べてもヘビーだし、
ならば一言で仲章らしく生田斗真が台本を読んで
これは面白いセリフだなって思って欲しかったので
きっと雪の上で死ぬんだから顔にもかかってくるし、
寒いんだろうなということで
「寒いんだよ」という一言になったそうです💦
力のある俳優が集まったドラマはそんなにないし
とにかくどのシーンも、どの俳優さんもすごいなと思って
見ていたし、あの力ある方々につまらない台本は渡せないし
力が入ったそうです。
視聴者も毎回毎回こんな辛い思いして見なければいけないのか?
しかし先がみたい。
思っていて三谷はそれをほくそえんでいるのだろうと
思っているかもしれないけれど、
しかし自分は思いを込めて1人の人物像を作って流のでそれを
1人1人殺していかなければいけないのが
とても辛かったそうで、死んだ顔を見たくなかったとも
言っていました。
描きたかったこと
三谷さんが3年前にロングプロットという今回の大河ドラマの
短編小説見たなのを書いたそうですが
その時に言葉。
『泰時の存在を考えた時に、全体像が見えました。
妻に死なれ、息子1人を残された時、義時は愛するこの子のために、
北条家に世を作ろうと決意したのでないでしょうか?
その泰時に反発される哀しみ。でも。
自分と違う道を歩むと決意した泰時の言葉に、むしろ
未来への希望を感じ、義時は死んでいく。
義時、泰時の親子の物語のような気がします』
そう思ったのは三谷さんの環境の変化だったそうです。
三谷さんはお父さんを10歳で亡くして、また自分に子どもが
いない時には「親子」に関してもドラマを作ってこなかったけれど、
現在息子さんは8歳で「真田丸」あたりからちょっと変わって来ていて
義時が死ぬ時には何を考えるのかな?
三谷さん自身を義時に投影して考えた時やはり
第一に考えるのは泰時のことだろうと。
結局このドラマは北条家の物語なんだなというのは
実際に書いてみるとやはりそこが強い。
政子が承久の乱の前で演説しているのもこのドラマにおいては
きっと義時のために語っているんだそんな風に書くべきだし、
それがドラマのテーマ出会って、
結局このきょうだいの話なんだっていう最初が北条家で始まった
ように最後も北条家で終わる。
最終回の最後のシーンもやっぱりきょうだいのシーンで終わる
と述べていました。
最終回の前に見たはずなんですが、
改めて最終回を見た後にも見てみると
色々と最終回の不満なところがあったけれど、
三谷さんが書いた北条家の話を視聴者がこの時代にあった史実を
つけて一年楽しんだんだなと思いました。
これが真の勉強なんでしょうね。
学校から帰って、学校で聞いたけれど少しわからなかったことを
思い起こして調べ直し(復習)して、
明日はこういうことがあるから自分で少し予習していこうかな?
ですね。