またまた主人に連れて行ってもらいました。
でも、駐車場が無くって、私だけが登って
みてきました。
わからないのが古墳ですが、
最近では主人と
「ここ怪しくない?」
と言って停車をしてもらお
古墳ではないかと調べることが多いです
今回は歴とした古墳なので、
楽しみでした。
とはいうものの、
皇子山1号古墳は丘陵の最高所に位置するこの
古墳の主墳で、形状は「前方後方墳」
古墳時代の前期4世紀後半ごろの築造と推定されています。滋賀県域の古墳としては類例の少ない前方後方墳である点、早い時期の築造の点で注目される古墳です
この古墳は162m付近に造られており、
墳丘上からは眺望もすばらしく
対岸の三上山など目の前に広がります
石が葺かれたこの古墳群はよく見えたに違いなく
古墳からの眺めは葬られた人物の力を感じさせられました
葺石の古墳は古墳の墳丘斜面などに河原石や礫石を積んだり、貼り付けるように葺(ふ)いたもので、弥生時代中期以降の西日本に点々と見られ、
古墳時代へと繋がっていくようです。
この被葬者についてはわかっていなけれど、
渡来系の氏属(大友、錦織、穴太、三津氏)などが残したものではないかと言われている、
近江朝廷における大友皇子の主たる支持勢であったり、穴太に関しては後世においても石垣作りで活躍する「穴太衆」「穴太積」と脈々と繋がれていくのですね。
大山古墳のように海からくる渡来人のための権力の象徴、以前兵庫垂水にある五色塚古墳は明石海峡を往来するのに権力の象徴としていたような役割をもっていたのだと思いました。