現在通信制高校3年の娘について、
高校1年の頃を振り返ります。
中学3年の頃の娘については
こちら↓をお読みください。
中学を卒業し、
娘は、全日制高校に入学しました。
コロナ禍のなか、始まった高校生活。
入学式もおこなわれず、
いきなり在宅学習から始まりました。
部活動もしばらくありませんでした。
入学式がないのは寂しかったけれど、
我が家にとっては
学校生活がこのようにスローに
スタートしたのは、ちょうど良かった。
娘は、家で取り組む課題をこなし、
週に2回の登校日にも、
登校しました。
少しずつ友達もできて、
順調に見えました。
やがて毎日通うようにもなり、
無遅刻、無欠席で過ごしていました。
しかし、9月のはじめに
ちょっとしたきっかけで
学校に行けなくなり、
再び(三たび?)不登校になりました。
娘は自分の発言や行動が、
周りからどう見えるのかが
とても気になる性格です。
体育の時間に、
娘のボールが誤って同級生の顔にあたり
「ごめんね」とは言ったものの、
思った以上に痛そうな様子でした。
大きなけがにはならなかったものの、
その出来事が娘にとっては少し気がかり
でした。
その後、
その子との間には、表面的には
何も起こりませんでしたが、
8月末のある日、別の友達から
「あの子、ランチの時にあのときの事を
あなたの名前をだして何か言ってたわ。」
と聴き、
それがショックで、学校に行けなくなりました。
「ああ、やっぱり気にしてたんだ!」
という事です。
中2の最初の不登校でも
中3で転校した中学校でも
高一のこの時も、
娘は「行けない」と思うと、二度と動けない。
(中3の不登校は、進学や卒業に必須のものは
多少動けましたが。)
これまで、
環境のせいだと、
環境さえ変えたら、
気分も変わって学校に通うかも、と思ってきましたが、
ようやく
そうじゃない、という事に気づいた
私でした。
最初の不登校から2年経っていました。
その間、
不登校の本を読んだり、
カウンセリング数回うけたり
スクールカウンセラーのお世話にも
なりました。
私が過干渉な母親で、
子どもに提案をしすぎているのは
分かっていましたが、
娘の事が心配で
なかなか変えられませんでした。
今なら分かりますが、
そうやって心配して過干渉になって
娘のエネルギーを奪っていました。
つづきます。
いつも読んでくださりありがとうございます。
UMIカウンセラーコース受講中の
まもでした。⇒プロフィール