【不登校ママへ】中学3年のころ④兄弟への影響 | 不登校の親になってやっとわかったこと

不登校の親になってやっとわかったこと

★不登校は問題ではありません。
★不登校は子どもからのギフトです。
そんな言葉の意味が腑に落ちた時に、
ようやく見えてきた「自分との向き合い方」
不登校のお母さんが、自分の人生を楽しめるようになる
ヒントになればと願っています。

現在、通信制高校3年の娘について、

三年前を思い出して投稿しています。

4回目の今日は、当時小6だった息子について。

 

①夏休み頃 ⇒★

 

②二学期頃 ⇒★

 

③高校受験~卒業 ⇒★

 

娘が中3の時、息子は小6でした。

朝起きるのが少し苦手でしたが、

毎日学校に通っていました。

学校では友達も多く、楽しそうにしていました。

しかし、小6になると、

毎日遅刻するようになりました。

遅刻といっても、

1時間目の授業開始には間に合うくらいの

遅刻。

 

遅刻さえなければ、

なんの不安もないのに。

と、私は思っていました。

 

この調子で中学生になったら大変だ。

小学校は、先生に注意されないけれど、

中学生になったら、遅刻は届け出をしたり、

なかなか大変だ。

先生に注意されるとか、むちゃくちゃ嫌いな息子だから、

そういう事になったら、学校行かなくなる可能性もある。

今のうちになんとかしなければ!

(数年後、現実になるのですが。)

 

 

そこで担任の先生に、

「少しで良いので、息子を注意してやってほしい。

今のままだと中学に入ってからが思いやられる。

 

と申出ました。

もう、完全に私の不安を解消したくて、

息子ばかりか、担任の先生までコントロールしていました。

 

担任の先生は

「僕は、彼が毎日学校にきてくれるだけでいいと

 思ってるんです。」

 

当時の私は、物足りなさを感じました。

だけど今思うと、この先生は

息子の事を、本当によく見てくださっていたと思います。

 

娘が不登校だという事は伝えていて、

その影響からか、登校しぶりのような事もあり、

先生が根気強く息子に関わってくれたこともありました。

 

毎日の息子の表情から、

寝不足だなとか、

今日は気分が落ち込んで良そうだなとか、

我が家の状況も踏まえた関わりをし、

息子にとって学校が居場所になるように

努めてくれました。

中3になった息子が最近、

この小6の頃を振り返って明かしてくれました

「あの頃は、家に居場所がなかった。

 お姉ちゃんは毎日家にいるし、

 ママはあわあわして、

 それでいて向き合ってないし。

 担任が○○先生でなかったら、

 僕はあの頃から学校にも行けなかったと思う。」

 

息子は中1の後半から五月雨登校が始まり、

中2の5月以降、朝から登校することはなくなりました。

中2の二学期以降は、授業にはほぼ出ていません。

 

不登校は、表面的な現象がおきるよりずっと前から

始まっていたのですね。

 

娘中3、息子小6のこの時期の私は、

娘については、

環境さえ変えたら解決する、

今はエネルギーが溜まるまで、休ませよう。

息子については、

朝起きられないクセから、

不登校が始まるのが怖くて、なんとか食い止めたい。

 

こんな風に考えて、自分ばかり不安になっていました。

私がなんとかしなきゃ、と思っていました。

 

表面的な解決ばかりに目がいっていて、

子ども達の抱えている寂しさや、苦しさには、
ほとんど意識が向いていませんでした。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

まもでした。⇒プロフィール

 

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