【不登校ママへ】中学3年のころ③高校入試と中学卒業 | 不登校の親になってやっとわかったこと

不登校の親になってやっとわかったこと

★不登校は問題ではありません。
★不登校は子どもからのギフトです。
そんな言葉の意味が腑に落ちた時に、
ようやく見えてきた「自分との向き合い方」
不登校のお母さんが、自分の人生を楽しめるようになる
ヒントになればと願っています。

現在、通信制高校3年の娘について、

三年前を思い出して投稿しています。

今日は、二学期の後半から卒業までです。

 

 

 

 

アニメの専門学校に見学に行けた事は、
娘にとって
「やってみたい世界を、自ら動いて体験した」
という意味で、良かったようです。

2学期は、
進学の資料になる学内テストを別室で受け、
文化祭の展示を見に行き、
卒業アルバムの写真撮影の時にちょこっと登校した。
高校の見学会にも2校足を運び、受験校を決めた。

勉強は何もしていない。

娘は、
「同級生のみんなと同じタイミングで
 高校生になりたい」
「高校生をやってみたい」


という思いを持っていた。

年明けから家で過去問をやり
本試験に臨んだ。
二日目は面接試験だったが、
朝からおなかが痛くて、予定通りに行動ができなかった。
「面接はいく」
というので車で連れて行き、
高校の先生に事情を説明し、
受験した。

合格した。

私立高校の入試が終わると、
卒業までの日数はわずかとなる。

娘は2日ほど登校した。
自由活動の日に担任の先生とフリスビーで遊んだ。
卒業式の練習の日に行ってみた。

卒業式本番には、
出席しなかった。

でも午後に登校し、校長室で卒業証書を頂いた。
1年しかお世話にならなかった中学校。
1年で数日しか登校しなかった娘。
それでも10人近くの先生が娘を囲んで
卒業を祝ってくださった。

3年で私立中学から公立に戻る事になったとき、
1年だけなのに学用品買うの
もったいないよと
ママ友が、卒業生の人から制服や体操服なんかの
お下がりを入手してくれた。
同級生の友達も娘が公立に戻る事を大歓迎してくれた。
娘も、そのことは本当に喜んでいた。

 

周りの人たちの温かさをたくさん感じた1年だった。

私は、娘は大丈夫なんだ、
環境さえ変えたらどうにかなると信じていた
けれど、
そうはならなかった。

私自身の心の欠乏感を、
子どもで満たそうとして、
子どものエネルギーを奪い続けていた。

娘は、エネルギーがすっからかんの状態で、

学校に行けないのは私が悪い、
親を悲しませちゃいけない、

そうしなきゃ、自分が生きていけない位に思って、
むりやり動こうとしていたのだと思う。

 

まもでした。⇒プロフィール

 

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