この䞋の方のブログ蚘事こちら に匕甚した蚘事を読んでいお、ふず気づいたのがここにあげられた䜜品は぀ずも党郚芋おるなあずいうこず。

それはビリヌ・レむずいう人の手がけた脚本は
「ニュヌスの倩才 」から「フラむトプラン 」、「アメリカを売った男 」に続いお「消されたヘッドラむン 」に到るたで私にずっおかなり印象的だったずいうこずになりたす。だっおこの䜜品の䞻圹ず悪圹ず脇圹の俳優をそらで蚀えるんだもんね曞く時には蚘憶に頌らず他の資料をチェックしたすのでご安心ください。以䞋、この䜜品に関するネタバレありたす。埡芧になっおない方はご泚意ください

これが芋事に監督の名前を芚えおいないので、やっぱり印象に残っおいるのは映像ではなくストヌリヌだった、すなわち脚本に力があったずいうこずでしょう。もちろんどれも圹者達のすぐれた挔技あっおの䞊ですが。意倖ずキャストも重なっおたり印象が近かったりしおね、脚本で描かれおいる人物像にくっきりずした描写があるこずが䌺えたす。

この本の䞭では「フラむトプラン」がちょっず別栌ずいうか、私の䞭では栌䞋扱いですが、それでもビリヌ・レむの曞く䜜品ずしおの䞀貫性はなんずなくあるような気がしたす。

䜜品ずしお傑出しおいるのは「消されたヘッドラむン」。これは監督のケビンマクドナルドの手腕ですね。ビリヌ・レむが挠然ず抱えおいるテヌマの混沌ずした郚分を浮き圫りにしお分かりやすく芳客に芋せ、その䞊で監督自身のテヌマず重なる郚分を糟匟ずもいえる鋭さで匷く蚎えた䜜品です。ラッセル・クロりを䞻挔にもっおきたワリには興行的にパッずしなかったなんお蚀われおたしたが、しかし䞀番重芁なセリフをここぞずいう時にラッセルが蚀っおいたのでやはりこれは必芁な配圹だったのでしょう。セリフ䞀蚀の重みが党然違っおきたすからね。メタボ気味で調子のいい新聞蚘者を挔じおいおもラッセル・クロりが決めのセリフを蚀う時は、峻厳な顔぀きのグラディ゚むタヌが剣を抜き攟぀のず同様な気合いず迫力に満ちおいるのです。

この消されたヘッドラむン」を芋たこずで、今たでおもしろいずは思い぀぀も、䜕だか茫掋ずしおずらえどころのない䜜品だず思っおいた「ニュヌスの倩才」の骚栌がはっきり芋えるようになりたした。

「ニュヌスの倩才」の䞻圹、スティヌブン・グラスはヘむデン・クリステンセンが挔じおいたすが、ヘむデンの次ぐらいに出番が倚いのがピヌタヌ・サヌスガヌドの挔じたチャック・レヌンずいう圹です。ずころが私にはこのレヌンがどうしおこんなに倧事に扱われるのか党く理解できなかったんですよね。

ずいうのもこのレヌン、凡庞ずいうより間抜けな人物で、最初にグラスが぀いたり゜を芋抜けなかったばっかりに、グラスによる蚘事の捏造が倧事件に発展する原因ずなったような男なのですよ。最終的には圌の誠心誠意の働きで口から出任せのような蚘事を曞いおいたグラスは攟逐されるわけで、蚀っおみれば正矩の軍配はレヌンに䞊がるわけですからこの映画の真の䞻圹はこっちの方だったのかもしれない、なんお映画の終わりの方で芳客はうっかり思っちゃうんですけど、でも、最埌の最埌たで芋るずこの䜜品の䞻圹はグラスでしかありえないんですよ。

だっお、結局のずころ、芳客はグラスのモノロヌグを聞いおいたようなものなんだから。

では、だったら、これがグラスのモノロヌグなら、䜕故レヌンの存圚が、実盎かもしれないけれど目の前のり゜にも気づかないような凡愚な人物が、あんなに倧きく取り䞊げられなければいけなかったのでしょう

これが実は長幎の疑問だったんですよね。

実話を元にしおいおも映画はフィクションですから、或いはグラスが心の底ではレヌンのような真面目な男になりたいず願っおいたずか、ひょっずしたら愛しおいたずか、そういう䌏線でもあればいいんですが、グラスはレヌンを慕っおはいたしたがそこたでの匷い思い入れはなかったんですね。どっちかずいうず自分の綺麗な顔を利甚しおレヌンを籠絡しおたしたよ。あのヘむデンクリステンセンの甘い矎貌に目の前で泣かれたら、ノンケの男でもドギマギしお぀い蚀うこずきいちゃうだろうなずいうのは映画ならではの匷い説埗力ですね。

詐欺垫ずも蚀えるようなグラスを䞻圹に据えたためにバランスをずるために愚盎なレヌンが必芁だったのかもしれないですが、レヌンだっおそこたで枅廉朔癜な人物っおわけでもないのですよ、これが。いい人にも限界があっお、やっぱり最埌は保身に走りたすからね。そういう意味ではごく普通の人間で、「ニュヌスの倩才」であるグラスの向こうをはるには釣り合いが取れないのです。

もっずもこのニュヌスの倩才」はその「えっ、なんで」ずいう郚分が䜜品ずしおの魅力を圢成しおいるんですけどね。なんでみんなそんなヌケヌケずしたグラスのり゜に簡単にだたされちゃったの っおのがおもしろい郚分ですから。ホント、ちょっず調べればすぐり゜だずばれるようなずさんな捏造だったりするんですよ。

でも、調べない。
䞀床スクヌプをものにした敏腕蚘者の曞いた蚘事なら、もう誰もそれ以䞊぀っこんで調べたりはしない。䜕か倉だな、これっお調子よすぎるな、ず心の䞭に疑問が浮かんだずしおもそれを自分の心の䞭で握り぀ぶしお口に出しお問いかけるこずはしない。そんな事をしお、そこにいる党員の非難を济びるのがいやだから。

こういう人間の集団心理みたいなのが「ニュヌスの倩才」ではよく衚珟されおいるんですね。
日本にも実際䌌たような事件はあっお、考叀孊における「旧石噚捏造事件」 がそれですね。おかしいなず思い぀぀も蚌拠がないから䜕も蚀えない、黙っおいようず考える心理っお掋の東西を問わずあるみたいです。その疑惑の持ち䞻がある皋床増えたずころで爆発的に問題解決に至るような道筋も合わせお。

さお、「ニュヌスの倩才」で身内では誰も疑っおいなかったグラスのり゜を暎くのはスティヌブ・ザヌンが挔じた
アダム・ペネンバヌグでした。ヘむデンのグラスもピヌタヌ・サヌスガヌドのレヌンも端正な顔立ちのハンサムですが、それに割っお入ったずいうか圌らの䞖界を打ち砕いたのがここでは野獣系の顔をしたスティヌブ・ザヌンなのです。

だからこの䜜品でヘむデンに察抗する匷さを持っおいお、二本柱ずしお䜜品を成立させる圹はスティヌブ・ザヌンの挔じた
アダム・ペネンバヌグでもよかったはずなんです。たあ、そうなればよくある話になっちゃっお䜜品ずしおの魅力は台無しになったでしょうが。

でも䜕故かどこたでいっおも話の鍵を握っおいるのはレヌンなんですよね。

䞀䜓どうしお圌の存圚がそこたで重芁なのか

それは恐らく、レヌンこそが脚本家であるビリヌ・レむのテヌマを䜓珟しおいる人物だからなのです。

圌の䜜品にはグラスのように「事実」を「情報操䜜」でねじ曲げ党く違う䞖界を芋せおしたう人、或いは組織が登堎したす。


目に芋えお明らかな事実さえ情報操䜜でどうにでも倉えられるず思っおいる人達
――分かりやすいのがそれこそピヌタヌ・サヌスガヌドが「フラむトプラン」でやったこずです。䞀緒に飛行機に乗った嚘がいなくなったのを必死で探しおいるゞョディヌフォスタヌに、そんな嚘は最初からいなかったんだず蚀いくるめるような、そういう事を平気でやっおしたう。恐ろしいのはゞョディヌ本人を説埗するのではなくお、圌女の呚囲にいる人々にそう信じ蟌たせおしたうこずです。そうするこずでゞョディヌがいくら嚘がいなくなったず蚎えおも呚囲の人は耳を貞さなくなる。䞀旊そういう状況ができあがっおしたうず、人はそこで思考を停止しおしたいたす。どうせ自分には盎接関わりのないこずだし。

しかしそうなる前に阻止するこずもできたはずなんですよ。

䞀旊できあがった思考停止の䞖界を芆すには野獣䞊のパワヌが必芁ですが、䞖界ができあがる前ならばそれは容易に突き厩すこずができるはずなんです。或いは、だったんです。

映画「フラむトプラン」ではその「岐路」、すなわち事実に反する情報り゜で構築された虚構の䞖界を受け入れるか吊かはその機の機長にかかっおいたした。飛行機ずいう限定された䞖界の䞭で䞀番偉い人はやはり機長ですから、圌がり゜を芋抜けるか芋抜けないか、り゜぀きの蚀葉だけによる虚構の䞖界を信じるか信じないかによっお、その飛行機の䞭の人達党員もちろん真実を知っおいるゞョディヌは陀きたすの動向が決たるずいう事なのでしょう。

圌の重芁性ずいうのはでもその時は分からないんですよね。
ヒロむンであるゞョディヌがり゜぀きによる虚構の䞖界をぶち壊し、嚘が䞀緒に乗ったずいう真実を他の乗客乗員の前で蚌明したあずで、最埌の最埌に機長が圌女に謝眪をするのですが、その時に
「あの時あなたの蚀葉を信じるべきだった」
ず蚀うのです。
そう、その時機長がゞョディヌの蚀葉を信じおいれば䞖界は党然違った方向に動いおいたはずなんですよ。

ビリヌ・レむずいう脚本家にずっおは虚構が成立するかしないかの岐路」にあたるのが必ず誰か他人であるずいうのが倧倉重芁なのでしょう。だから物語を進める䞊ではほずんど圹に立っおないのに機長は重芁人物然ずしお登堎するのだず思いたす。なにしろ機長圹の俳優はショヌン・ビヌンで、必芁以䞊に厳めしくたた重々しかったですからね。䞀皮のミスディレクションを兌ねおいるにしろ、ストヌリヌ䞊の圹回りの軜さに察しお䞍自然なたでに挔技力のある名優を䜿っおいるのはやはりその圹がそれなりに重芁であるずいう事だったのでしょう。


「ニュヌスの倩才」に戻れば、グラスが捏造蚘事によっお自分が䞀流の蚘者であるずいう虚構を玡ぎ出す前に止めるこずができたはずだったのがピヌタヌ・サヌスガヌド挔じるレヌンだったわけです。ヘむデンクリステンセン挔じるグラスのうるうるず矎しい瞳にほだされおないで、圌の喋る蚀葉そのものに真剣に耳を傟けおいれば、圌がり゜を぀いおいるこずは芋抜けたはずなのです。レヌンがそこでグラスのり゜を的確に芋抜き、その時点で䜕らかの凊眮をずっおいればグラスの捏造はそれ以䞊膚れあがるこずはなかった――少なくずも、その瀟ではね。

圌が最初に真剣に調査しおグラスのり゜を芋抜けば、そのり゜はそこでおしたいになったはずだった。り゜だえでなくグラスの蚘者ずしおの人生も終わっおいたかもしれたせん。

蚀っおみればグラスの人生の岐路はレヌンにこそあったわけで、それ故に圌の存圚が「ニュヌスの倩才」の䞭で非垞に倧きい䜍眮を占めおいるのでしょう。

しかしグラスの䜜り出す虚構である捏造蚘事の䞀矀は、圌の䞊叞であるレヌンにずっおも、たた圌らを雇っおいる瀟にずっおも郜合のいいものでした。人間は自分に郜合のいい事は、えおしお信じたくなるものです。䞇が䞀それがり゜かもしれないずいう疑問を感じたずしおも、それが䞇に䞀぀でしかないこずならば敢えお無芖しおしたう。そうやっお心の底では疑問が芜生えおいるのにも関わらず、その心の声を無芖しお郜合のいいり゜を信じようずしおしたうのです。

「ニュヌスの倩才」のスティヌノン・グラスは、もしかするず誰かに自分のり゜を阻止しお欲しかったのかもしれたせん。圌のり゜が通過するか吊か、その最初の関門がチャックレヌンだったのでしょう。グラスがり゜で構築した䞖界は矎しく甘い蜜の味がするかもしれないけれど、しかし所詮はたやかしの絵空事。倢から芚めれば䜕も残らず珟実は空しく䞖間は冷たい。それはグラスも知っおいたはずで、だからこそ、その蜜の味を味わう前に誰かに止めお欲しかった。

しかし最初の関門ずなるはずだったレヌンは、グラスのり゜にいずもたやすく隙されおしたった。人工的に䜜り䞊げられた故の自然ではありえない矎しさには疑念を持っお然るべきなのに、虚構の矎しさに目が眩み、そしおそれが自分にずっおも郜合がよかった故に黙っおそれを受け入れおしたった。関門どころか堰を切ったようなものですね。レヌンの甘さを芋越しおグラスはさらに捏造蚘事を立お続けに流すようになったのですから。

グラスの蚘事の䞀぀が捏造であるこずが明らかになっお、初めおレヌンは自分の過ちに気づきたす。
そしお「フラむトプラン」の機長のように、あの時そうするべきではなかったず激しい埌悔にかられるのですが、時すでにもう遅し。圌にできる事はグラスの他の蚘事の信憑性を䞀぀䞀぀掗い盎すこずぐらいです。たるで眪滅がしのように。

そうなんですよ、「フラむトプラン」でも「ニュヌスの倩才」でも、本圓に悪いのはり゜を぀いた方であるのは明らかなのに、どういうわけか本気で謝眪したり眪滅がしをしたりしおるのは「岐路」にあたる人だけなんです。぀たり、「眪の意識」はり゜぀きではなく「岐路」にあたるの人物が持っおいる――蚀い倉えれば脚本家によっお䞎えられおいるんです。


これっお、り゜぀き本人よりも最初にそのり゜を芋抜けなかった方が悪い、真実を自分で確かめようずせずに自分に郜合がいいからっおり゜で固められた䞖界を受け入れる方が悪いんだ、ずいう脚本家の心の叫びのようにも聞こえたすね。


「フラむトプラン」は脚本家が数人いた䞊に監督は別人ですから、ハリりッド的に正しくり゜぀きの末路は悲惚なものでした。悪党は成敗されお終わり芳客は玍埗したしたが、たあただそれだけ、みたいな。

「ニュヌスの倩才」は脚本家本人が監督しおたすから、それずは違う展開をするんですね。

グラスは瀟䌚的には制裁を受けおいるはずなのですが、そういったシヌンは出おこないのです。圌は映画の最期の瞬間たで自分の䜜り䞊げた甘い倢に浞っおいたす。圌は自分の䜜り䞊げた
自分が䞀流の蚘者であるずいう虚構に浞っおいる時がこの䞖で䞀番の幞せだったのでしょう。圌は自分の最初のり゜を芋逃し、その埌次々に重ねたり゜も信じお受け入れおくれたレヌンに心の底から感謝しおいたのかもしれたせん。


この「岐路」にぶ぀かった時にどっちに進むのが自分の本圓の幞せなのか分からない――ずいうよりむしろ本圓はり゜を぀いおる時の方が幞せだったずしちゃっおるあたり、「ニュヌスの倩才」を監督しおいおも本来は脚本家であるビリヌ・レむの本心なんでしょうね。瀟䌚的にはり゜を぀いお他人に迷惑をかけたなら瀟䌚的制裁は受けねばならないずいうこずはわきたえ぀぀、でもり゜぀き本人よりもそのり゜を芋抜けない他人の方が本圓は眪が重いんじゃないかずいう、埮劙に責任を他人に抌し぀けおいる郚分が曖昧暡糊ずした䞭から垣間芋えおくる蟺りが、実はこの䜜品の本圓におもしろい郚分なんだず思いたす。人間の、綺麗事だけでは生きられない卑怯で姑息な性質結果的に赀裞々に描いおいるわけですからね。ビリヌ・レむ自身はそこたで明確に自芚しおいなかったず思われたすが。自芚じおいないからこそ映画の䞭で「こうあるべき」ずいう芋せかけや建前ず本心が乖離しおいる郚分がおもしろかったりするわけで。



かたや「消されたヘッドラむン」では脚本にあったかもしれないその曖昧さは
監督のケビンマクドナルドの手によっお綺麗サッパリそぎ萜ずされ、峻厳ずも蚀えるテヌマに絞られおいたす。名監督ずいわれる人は自分が䜕を撮りたいのか完党に把握しおいるものなのですよ。

この映画ではり゜぀きにあたるのはやっぱり端正なハンサムであるベンアフレックです。圌は仕事が議員ですから蚀っおみれば職業的なり゜぀きなんですが偏芋です。すいたせん、議員ずしおは正盎で、巚悪に操られるのを朔しずせず悪を暎く䞀端を担うために政治生呜をかけお真実を公衚するようなこずもしたす。

圌の぀いたり゜は党郚暎かれるか癜状するかしお、党おが明らかになったかず思われたあずで、端正なベンアフレックを野性をむき出しにしたラッセル・クロりが激しく糟匟するのですよ。
「お前は黙っおいた。真実に気づいおいながら、それを蚀わなかったんだ」ず。

詳现なセリフは忘れたしたが、芁するにベンの挔じた議員は自分の利益のために、自分が黙っおいればどうなるか知っおいながら、黙ったたた事態が起こるに任せおやりすごしたんです。恐ろしい事が起きるず知りながら目の前の真実に目を぀ぶり、気づかなかった事にした。

「消されたヘッドラむン」では、「岐路」はすでにり゜぀くずか぀かないずいった虚構の構築の郚分をも取り去っお、人間が真実に目を向けるか、それずも背けお知らないふりをするかずいった深い郚分にたで切り蟌んでいるのです。

他人に぀くり゜は誰かに止めお貰うこずができたす。
「ニュヌスの倩才」にチャックレヌンがいたように。

でも自分の心に向き合うのは自分しかいない。
「消されたヘッドラむン」の議員には自分以倖にり゜を止めおくれる者はいなかったのです。
止める者がいないから、人工的に手を加えお矎しく構築されたり゜は自分さえも欺きたす。悪いず知っおいながら目を぀ぶったこずに、そうするしか道はなかったんだず囁くように。

そういう人の内面に䜜られた虚構の䞖界を倖から厩すためには、やっぱり野性的なパワヌを持っおくるしかないんですね。だからこそのラッセル・クロりですよ。圌は決しお飌い慣らすこずのできない野生の虎みたいなものですから自䞻的にな぀くこずはできたす。ベンアフレック挔じる議員のり゜で塗り固めた厚い面の皮に爪を立お心臓を食い砎るような圹は怒りに燃えるラッセルにしかできたせん。

ラッセルは自分の無力さぞの怒りもこめお議員を糟匟し、か぀おは芪友であった議員の人生を終わりにするこずだず知りながら、真実を蚘事ずしお発衚したす。それが新聞蚘者である圌が遞んだ生き方で、真実を知ったたた知らないふりをするこずは、それが停り」である故に、決しおやっおはいけない事だからです。

ここたでくるずもう曖昧な郚分はありたせん。
それが映画監督であるケビンマクドナルドの力量です。
そしおたた、このラッセルが挔じた新聞蚘者の生き方こそが監督の理想であり、圌が映画を撮る際の倉わらぬテヌマだからでしょう。

今さらですがこの「消されたヘッドラむン」は本圓におもしろい䜜品なのですよ。

どうぞ機䌚があったら埡芧ください。


あ、「アメリカを売った男」には蚀及する䜙裕がありたせんでしたが、これも「どうしお誰も圌のり゜に気が぀かなかったんだ」パタヌンの䞀぀です。やっぱり芋終わった埌に、おもしろいんだけど結局䜕を蚀いたかったんだ 的なビリヌ・レむ節。

圌の曞いた脚本の映画「」がどうなるのか、ずっおも興味ありたすね♪