
色彩、脳科学、食という側面から
美しさ
を様々な角度から追求し続けています。
美 し い 女 性 と は ?
メイクやジュエリーで身を調えた方の事でしょうか?
どんなに表面をとりつくろってみても
細胞からの輝きでないと美しいとは言えません。
美しさは、毎日の食事からです。
その目的に応じた色の食物を取り入れることで、
内蔵や皮膚などあらゆる細胞が美しくなり、輝きを増します。
匂いたつような美しさは、脳が司る生体内の
ホルモンバランスや心理から創出されます。
シ リ ー ズ コ ラ ム
時空を超えた連鎖:失くしたピアスが教えてくれた「すでに纏っている」という真理
立春の朝に、静かな宇宙を想う
皆さん、こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。
今日、2月4日は「立春」。暦の上では、凍てついていた大地の呼吸がふっと緩み、新しい一年の光が動き出す節目の日です。
実は昨日、節分の日に、私は一生忘れることのできない「時空を超えた連鎖」を体験しました。それは、目に見える物質の動きを超えて、仏教的な縁起、量子力学的な振動、そして私の人生の指針である「スピリチュアル自転車」の理論がすべて重なり合った、あまりにも鮮やかな物語でした。
今日は、その不思議な連鎖の記憶を、皆さんの細胞にお届けしたいと思います。
1. 12メートルの正絹と「十二因縁」の宇宙
昨日の朝、私はまず玄関に「盛り塩」をしました。家の入り口を清め、場を整える。それは、自分の内側の宇宙と外側の宇宙を繋ぐ「結界」を張るような静かな儀式です。
その清らかな空気のまま向かったのは、吉報位である北西の方角。そこで待っていたのは、ずっと心待ちにしていた「裁縫」の初レッスンでした。
目の前に広げられたのは、約12メートルの真っさらな正絹(しょうけん)。 仏教において「12」という数字は非常に特別な意味を持ちます。釈迦が悟りを開いた際に説いたとされる**「十二因縁(じゅうにいんねん)」**。これは、私たちの苦しみや喜び、そして生命の巡りが12の段階で繋がっているという「縁起(えんぎ)」の法則です。
一着分の着物を成す12メートルの布。それは、目に見えない縁(えん)が織りなす「完璧な宇宙」そのものでした。自分を包む「祭壇コート」を自らの手で縫い始める。それは、自分の運命の糸を、自らの意思で結び直す(ムスヒ)という神聖なプロセスの始まりでもありました。
2. 月下美人が告げた「無常」と「永遠」
レッスンの終わりに、裁縫の先生から思いがけない贈り物をいただきました。 「月下美人」の鉢植えです。
月下美人は、一晩だけ、深い闇の中で大輪の白い花を咲かせ、朝には力尽きる神秘的な花です。仏教の根幹にある**「諸行無常(しょぎょうむじょう)」**をこれほど鮮やかに体現する花はありません。
しかし、一瞬で消えるからこそ、そこには「永遠」が宿ります。先生の温かな慈悲と共に受け取ったその花は、私の細胞に「今、この瞬間を色づかせること」の尊さを教えてくれているようでした。
3. 量子力学的な「喪失」と、観測の揺らぎ
幸せな充足感に包まれての帰り道。しかし、世界は私に「試練」という名の余白を提示しました。 お気に入りのゴールドのピアスが、片方、ないことに気づいたのです。
驚いたのは、ピアスの「キャッチ(留め具)」だけが耳の後ろにポツンと残っていたこと。 本体だけがどこかへ消え、その「跡」だけが残っている……。
量子力学の世界では、私たちが「ある」と観測するまで、事象は確率の雲の中にあります。 「失くした」と確信した瞬間に、私の現実に「欠落」が固定されました。 「家にあるかもしれない」という期待と、「道に落とした」という不安が重なり合う**「シュレディンガーの猫」**のような状態。
心にぽっかりと穴があいたような感覚。でも、ここで私は「スピリチュアル自転車」の理論を思い出したのです。
4. スピリチュアル自転車のペダルを漕ぐ
「スピリチュアル自転車」とは、私の造語ですが、人生を動かす二つの車輪を指します。 前輪は**「意図(マインドセット)」、後輪は「行動(物理的な振動)」**です。
どちらかが止まれば自転車は倒れてしまいます。 私は、ピアスの喪失による心のざわつきを鎮めるため、まず「意図」を整えました。 「このピアスは、私の厄をすべて受けて、新しいステージへの余白を作ってくれたんだ」と。
そして次に、力強く「後輪(行動)」を回しました。 それが、激しいリズムに身を委ねる「ズンバ」のクラスです。
音楽に合わせて細胞一つひとつを激しく揺さぶり、重たくなった周波数を「喜びの振動」へと変えていく。量子力学的に言えば、自分のエネルギー状態(波動)を無理やり引き上げたのです。 「ない」という欠落のパラレルワールドから、「私はすでに満たされている」という充足のパラレルワールドへ、量子ジャンプを試みたのです。
5. 答えは「すでに纏っている」ものの中にあった
ズンバで思い切り汗を流し、スッキリとした気持ちで帰宅した時のことです。 今日一日、私を支えてくれた服を脱ごうとした、その瞬間。
足元で、カラン……と、小さな、でも確かな音が響きました。
あんなに探したはずのピアスが、なんと私が今日一日身に纏っていた「服の折り目」の中から、ひょっこり現れたんです。
ずっと、一番近くに、私と一緒にいた。 探していた光は、ずっと私自身が纏っていたのです。
これこそが、宇宙が私に見せてくれた最大の答えでした。 仏教でいう**「本来面目(ほんらいのめんもく)」**——私たちは、探し求めている宝物を、最初から自分の中に持っている。ただ、それに気づいていないだけなのです。
朝の盛り塩による浄化、12メートルの絹の宇宙への没入、先生からの慈悲の月下美人、そしてズンバによるエネルギーの反転。これらすべての連鎖が、私を「すでにあった光」へと導いてくれました。
エピローグ:ときめく瞬間で、溢れすぎないくらいに
一度「手放す」という覚悟をしたからこそ、再会したピアスの輝きは、失くす前よりも何倍も優しく、力強く私に語りかけてきました。
立春。 新しい春の光の中で、私は確信しています。 私たちの周りには、目に見えない連鎖が絶えず起きています。 たとえ今、何かを失ったと感じていても、それは新しいあなたが芽吹くための「美しい余白」に過ぎません。
また、 色めく、艶めく、 ときめく小道でお会いしましょう。
それでは、 あなたの時間が、 ときめく瞬間で、 溢れすぎないくらいに。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
失くしたと思うものは、実は「形を変えてあなたを守っている」だけかもしれません。 まずは深呼吸をして、あなたの「今」を揺さぶってみてください。 光は、すぐそばの折り目の中に、隠れているはずです。
身体の奥がざわつくとき人は『理由のある衝動』に出会う
身体が求める『120BPM』
先週から、少しだけ頭痛が続いています。
寝込むほどではありませんし、日常生活も普段通りに送れています。
けれど、身体の奥で何かが静かに動いているような感覚があります。
痛みというよりも、合図に近いものです。
40代の終わりから50代に入るころ、
こうした「はっきりしない違和感」を覚えることが増えた方も、きっと少なくないのではないでしょうか。以前の私は、こうした感覚を早く消そうとしていました。忙しさで紛らわせたり、気合で乗り切ろうとしたり。でも今は、少し立ち止まって、耳を澄ませるようになりました。
身体が何かを知らせようとしているときだと、感じるからです。
そんなとき、私の中で不思議なほど強く反応していたのが、アルゼンチンタンゴでした。上手くなりたい、という気持ちが先にあったわけではありません。新しい趣味を探していたわけでもありません。
ただ、音を聴いた瞬間、胸の奥がかすかに震えたのです。
この「震え」は、50代の身体が発する、とても正直なサインだと思っています。若い頃のような高揚感や刺激とは違います。もっと深いところで、「これは今の私に必要です」と伝えてくる感覚です。
タンゴの音楽は、決して派手ではありません。明るく軽やかなわけでもありません。
それなのに、なぜか呼吸が深くなり、肩の力が抜けていきます。
多くのアルゼンチンタンゴは、120BPM前後のテンポで刻まれています。これは、人が自然に歩くときのリズムや、少し心拍が上がったときの状態と、とても近いテンポです。
脳科学的に見ると、このリズムは自律神経が過度に緊張もせず、かといって眠りすぎることもない、ちょうどよい状態に入りやすいと言われています。
50代の身体は、「もっと頑張る」ことで整う時期を、もう終えています。代わりに、「本来のリズムに戻ること」を、静かに求め始めるのだと思います。
特に心を掴まれたのは、バンドネオンの音でした。
蛇腹が開き、閉じるたびに、空気が吸い込まれ、吐き出されます。その動きは、人間の呼吸そのもののように見えます。
スピリチュアルな視点で言えば、呼吸は「魂の出入り口」とも言われます。
一方でサイエンスの視点から見ても、呼吸は感情や自律神経と密接に結びついています。バンドネオンの音が胸の奥に届くのは、決して偶然ではないのだと思います。その音には、完璧さがありません。少し歪み、揺れ、感情がそのまま滲んでいます。
だからこそ、こちらも無理をしなくていい。取り繕わなくていい。言葉にしなかった感情。我慢して飲み込んできた思い。名前をつける前に、胸の奥にしまってきたもの。それらが、音に揺らされて、静かにほどけていきます。劇的に癒やされるわけでも、涙が溢れるわけでもありません。
ただ、「戻っていく」感覚です。
そして、タンゴには「アブラッソ」と呼ばれる抱擁があります。胸と胸を合わせ、相手の呼吸や体重移動を感じながら踊ります。
進化心理学の視点では、人は安心できる接触を通して、「ここは安全な場所だ」と脳が判断すると言われています。オキシトシンというホルモンが分泌され、過剰な警戒心が自然にほどけていきます。
40代、50代になると、
「わかってもらうこと」に、少し疲れてくることがあります。説明すること、理解されること、正しさを示すこと。
アブラッソの中では、それらがすべて必要ありません。
ただ、そこにいるだけでいい。
同じリズムを、同じ時間に共有するだけでいい。
そのとき、言葉より先に、身体が理解します。「今の私でいいのだ」と。先週から感じている頭痛も、今はもう、不調だとは思っていません。古いリズムを手放し、新しい周波数に身体が慣れていく途中。
そのための調整期間なのだと、受け取っています。
50代は、何かを足す時期ではありません。削ぎ落とし、思い出し、自分の中心に戻っていく時期です。どんな自分になりたいかよりも、どんなリズムで生きていたいか。アルゼンチンタンゴは、その問いを、頭ではなく、身体ごと、思い出させてくれました。
また、
色めく、艶めく、
ときめく小道で。
あなたの時間が、
ときめく瞬間で、
溢れすぎないくらいに。
時を超えて戻ってきた、小さな光の話
皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。どうやら雪が舞うらしいです。寒いはずです。
私たちは日々、役割や立場、正しさや効率の中で生きています。
気づかないうちに、「もう大人だから」「今さら選び直すなんて」そんな言葉を、自分自身に向けてしまうこともあるかもしれません。
けれど人生には、理由は説明できないけれど、胸の奥がふっと震える瞬間が、確かに存在しています。
それは大きな成功でも、誰かに評価される出来事でもなく、ただ「好き」「美しい」「なぜか忘れられない」そんな感覚として、静かに現れます。
3年越しの再会
実は先日、私の心がふっと揺れるような出来事がありました。
3年もの間、車のシートのレールの奥という、暗くて、ほとんど誰にも気づかれない場所に、ひっそりと隠れていたピアスを見つけたのです。
それは、私が24歳の頃に手に入れた、イタリア製の、繊細な花の細工が施された18金のピアスでした。
当時の私は、今よりずっと若く、人生の輪郭もまだやわらかく、「これが好き」という感覚を、誰に説明することもなく、大切にしていた頃でした。
収入や肩書きよりも、未来の保証よりも、ただ身体が先に反応するような「ときめき」を、信じることができていた時代。
そのピアスを初めて目にした瞬間のことを、今でもはっきり覚えています。「これ、好き」「これは、自分のために選びたい」理屈ではなく、考えるよりも先に、心と身体が動いてしまった。
少し背伸びをして、少し勇気を出して、それでも迷いなく手に取った、大切な宝物でした。
時間が価値を変えるということ
当時は、金が歴史的な底値を記録していた時代で、金の価格は1gあたり865円ほど。
今、ふと計算してみると、18金の価値は1gあたり19,000円を超えています。
地金の価値だけでも、当時の購入価格の2倍近く。もし同じものを今、手に入れようとすれば、10万円、いえ15万円を優に超えるような存在になって、そのピアスは、静かに私のもとへ戻ってきました。
けれど、この出来事で印象的だったのは、「価値が上がった」という数字の話以上に、時間が意味を変えてしまったということでした。
同じ物なのに、同じ形なのに、時間を重ねた今の私が手にすると、その輝きはまったく違って見える。
それは、私自身が時間を生きてきた証なのだと思います。
ときめきは「思い出」ではなく「身体の反応」
脳科学の視点で見ると、「ときめき」は、単なる感情や思い出ではありません。
それは、
視覚、触覚、当時の感情、そして自律神経の反応が一体となって起こる、身体全体の反応です。
特定の香りや音楽に触れたとき、一瞬で昔の感覚が蘇ることがありますよね。
それは「思い出した」というより、「再び体験した」に近い感覚。
あのピアスを手に取った瞬間、私の中で起きたのも、24歳の記憶を懐かしむことではありませんでした。
24歳の私が感じていた「これが好き」という感覚そのものが、今の身体に、ふっと流れ込んできたような感覚。
だからこそ、胸の奥が一瞬、色づいたのだと思います。
選んだときの意識は、残り続ける
スピリチュアルな視点では、物は単なる所有物ではなく、選んだときの意識を記憶する器だと考えられています。
特に、
・誰のためでもない選択
・純粋な喜び
・自分軸での決断
が込められたものほど、時間が経っても、その情報を失わない。だからこそ、再び手にしたとき、当時の「私」が、そのまま今に立ち上がる。
3年間、暗い場所にあっても、その輝きが失われなかったのは、きっと、そういう理由なのだと思います。
過去のときめきは、消えていない
量子力学の世界では、観測されていない状態の情報は、消えているのではなく、重ね合わされたまま存在していると考えられています。
この視点を人生に重ねると、とても示唆的です。過去のときめきは、失われたのではなく、ただ観測されずに、静かに待っているだけ。
そして、
再び出会った瞬間、過去と現在が重なり、ひとつの現実として立ち上がる。あのピアスとの再会は、そんな出来事のように感じられました。
タイムカプセルとしての「好き」
私はこの出来事を、24歳の私が、今の私へ届けてくれた小さなタイムカプセルのように感じています。
「今のあなたも、もっと自由でいい」「心が動くものを、 遠慮せず選んでいい」そんなメッセージが、言葉ではなく、輝きとして届いたような気がしました。
今を艶めかせるために
もし、あなたの引き出しや、クローゼットの奥に、かつて一目惚れした宝物があるなら。ぜひ、もう一度、鏡の前で合わせてみてください。それは、過去を懐かしむためではなく、今のあなたを艶めかせるためのもの。
年齢を重ねたからこそ、似合う輝きがあります。時間を生きてきたからこそ、深みを増す美しさがあります。












