富雄丸山古墳の蛇行剣 ─ 橿原考古学研究所附属博物館 令和6年3月30日 ─ | タクヤNote

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ニュースにもなっている富雄丸山古墳から出土した蛇行剣の実物が初めて一般公開されるということで、3月最後の土曜日となる30日に日本考古学の殿堂・橿原考古学研究所の附属博物館に行って来ました。

今回はその橿原考古学研究所附属博物館で行われた『特別公開 富雄丸山古墳の蛇行剣 ─ クリーニング作業が明らかにした巨大鉄剣のすがた ─』のレポを記事に書きます。

 

画像引用:橿原考古学研究所附属博物館HP

 

この日は博物館のある橿原市に向かう前に、まず富雄丸山古墳へ行きました。これまで数回現地説明会も行われていますが、小生が富雄丸山古墳に行くのは初めて。現地説明会に蛇行剣などの出土品の公開はされなかったと聞いていたので、博物館での公開を待って行かずにいたのです。

富雄丸山古墳があるのは奈良市の西南部、丸山の住宅地区の中に緑豊かな丘。最近は自家用車での奈良入りが続いていたのですが、この日は電車とバス。富雄丸山古墳へは、学園前駅から出ているバス(奈良交通 学園前若草台線)若草台中央バス停で降ります。

 

 

現地到着は午前8時、周辺には古墳への案内がいくつもあり、歩道の上にもこんな感じで案内が書かれていました。現地は児童公園になっていて、古墳はそのフェンスに囲われた裏山という感じで整備されています。

 

 

 

富雄丸山古墳についての説明の看板は、その公園のフェンスに設置されていました。以下にこの古墳について解説をします。

 

 

富雄丸山古墳は円墳、昭和47(1972)年の測量では径86mとされましたが、その後の測量で現在の発表では径109mとされ、それまで日本一とされていた埼玉県行田市の丸墓山古墳の105mを抜いて日本最大の円墳と言われています。ただ、小さな造り出し部分があることから、小生は円墳と言うより奈良県桜井市の纒向古墳群に多く見られる『纒向型前方後円墳』(別名・帆立貝型古墳)とするべきでは無いかと思っています。

纒向古墳群が3世紀後半から4世紀前半という最古の古墳であるとされているのに対し、富雄丸山古墳は出土品の特徴などから、少し時代の下った4世紀後半に築造されたと推測されています。径100mを超える古墳は1号墳で、その東には2号墳、3号墳も見つかっています。

 

航空レーザー計測に基づく立体地図 画像引用:2022年10月現地学習会ハンドブック(pdf)

 

 

富雄丸山古墳は江戸時代後期の文献には藤原帯子(桓武天皇 皇太子時代の妃)の墓と書かれるなど、既に古墳であることは知られていました。明治時代には盗掘の被害に遭い、その際に掘り出されたと伝えられる玉製品や鉄製品は国の重要文化財に指定され、京都国立博物館の所蔵となっています。

 

伝 富雄丸山古墳出土品[重文](京都国立博物館所蔵)

画像引用:京都国立博物館 館蔵品データベース

 

その後、周辺地区の宅地化に伴い昭和47(1972)年の第一次から令和6(2024)年の第七次までの発掘調査が行われ、目を見張る調査結果によって大変に注目される古墳となったのです。

小生も、その発掘現場を見るために、公園から階段になっている墳丘に登りました。

 

 

墳丘は径100mの富雄丸山古墳と、2号墳・3号墳との間が道になっているのですが、墳墓はフェンスで入れなくなっていました。注目の富雄丸山古墳でこの3月16日・17日に行われた、現地説明会での見学者の誘導案内などがまだ残っていました。

 

 

階段を登り切ると、フェンス越しに富雄丸山古墳の発掘調査現場が見えます。右奥の青いパーティーションに囲われた建物が、この3月に現地説明会が行われた第七次発掘調査現場を覆う覆屋です。現地説明会には多くの見学者で賑わい、16日には2,200人が集まりました。覆屋の手前には、その時の見学者の誘導整理のために張られたロープも残っていました。

左の白いテントの中には警備員か現場職員が駐在されていて、小生が訪れた時にも人がおられ、カメラを向ける小生に対して、テントの中の人から丁寧に「おはようございます」と声かけをされてしまいました。

 

 

この覆屋で覆われた発掘調査現場は円墳と造り出しの間の部分にあたります。ニュースにもあった蛇行剣や鼉龍文盾型銅鏡が発掘された下から、全長5.6mもある大きな木製の棺が発見され、3月の説明会ではこの木棺が開けられて内部が見える状態で公開されました。

 

木棺出土状態 画像引用:第七次調査現地説明会パンフレット

 

木棺は現在も現地で保存されているようです。ほとんどは朽ちてしまう古墳時代の木製品としては異例の保存状態の良さで、古墳時代の木棺の構造などを知る一級品の発見であります。

 

約一時間ほど富雄丸山古墳を一通り見学した後、小生は橿原考古学研究所附属博物館のある橿原市に移動です。このブログでは現地説明会では無い富雄丸山古墳レポですが、現地説明会の時も注目の出土品は取り出され、現地で実物は見ることが出来なかったそうです。

小生は事前にそのことを聞いていたので、これまで現地説明会に行かなかったのですが、今回は出土品の中から蛇行剣の実物が、橿原考古学研究所附属博物館で初公開されるという情報を聞いて、これはぜひ見ようとこの日足を運んだのです。

富雄丸山古墳の現地から、近鉄橿原線で移動するため、もう一度近鉄奈良線の学園前駅に戻ります。古墳のある現地はバスは本数が少なく最寄りの駅まで歩くのも覚悟していましたが、たまたま上手く時間が合って行きも帰りもバスに乗ることが出来ました。それでも橿原考古学研究所附属博物館へは、バスや徒歩の時間も含めて一時間ほどを要し、午前10時頃に着きました。

 

 

博物館の入口に行くと、何と…

 

 

入口の外に並ぶ入館者が。さらに「入館制限」のパネルを手にした職員まで。この行列は館内のエントランスから続き博物館入口の外まではみ出しているということなのです。

今回の特別公開は3月30日(土)~4月7日(日)の約一週間という短期公開。小生が訪れたのは3月30日の初日の午前中、しかも土曜日ということもあって入館者が集まり、行列が長くなっていたのです。

 

 

ロビーの窓際に設置されたテレビモニターでは、今回特別公開となった蛇行剣のビデオ映像が放映されていました。TBSのニュース報道番組『報道特集』で2023年7月8日に放送された『“国宝級の発見” 巨大蛇行剣の謎』の番組VTRが、富雄丸山古墳と蛇行剣を紹介するビデオとして放映されていたのです。

 

 

 

結局展示室に入るまで、30分強ほど並びました。

蛇行剣が展示されていたのは、受付から入ってすぐの『特別展示室』。昨年12月にこのブログで紹介をした高松塚復元木棺が展示されたのと同じ展示室です。入館制限が功を奏してか、展示室内は人がごった返すという感じにはなっていませんでした。

 

 

展示室入口には『カメラ・スマートフォン・携帯電話による撮影可。フラッシュ撮影、三脚・自撮り棒の使用、ビデオ撮影は禁止』というパネル掲示が。このパネルによるお墨付きをもらったということで、ここからは展示室内の写真をいっぱいアップして行きます。

 

 

…と言っても、この特別公開での出展物は蛇行剣一つだけで、他は全て写真パネル展示という特別展示でした。四角い展示室の三面が全部ガラスケースで、時計回りでパネル展示を一通り鑑賞した後、最後に蛇行剣の展示コーナーに至るという内容でした。

パネル展示はまず富雄丸山古墳の解説パネルから始まり…

 

 

発掘現場での出土状況は発掘作業の模様を撮影した、記録写真の解説パネルが続き…

 

 

博物館での調査やクリーニング、保存処理の記録写真パネルが続きます。

 

 

作業現場の記録写真の他に、蛇行剣のレントゲン写真や、3DスキャンモデリングによるCG画像のパネルの展示もありました。実物大のパネル展示には、蛇行剣の巨大さを実感させられました。

 

 

 

蛇行剣は円墳の造り出し部に、木棺の上に覆い固められた粘土槨の中から、鼉龍文盾型銅鏡と共に出土しました。蛇行剣も盾型銅鏡も主要埋葬部とされる円墳に対して横向きに埋められており、まるで結界のように埋葬者を護っているようです。

 

蛇行剣・鼉龍文盾型銅鏡 出土状態(第六次発掘調査)

画像引用:第七次調査現地説明会パンフレット

 

蛇行剣(だこうけん)は全長237cmという世界的に見ても最長の剣。並状にうねり曲がっていることから、蛇行剣と分類されています。蛇行剣は西日本を中心に多くの出土例がありますが、もちろん2メートルを超える剣は富雄丸山古墳しかありません。

蛇行剣と同時に発見された盾型銅鏡は一般的な丸い鏡では無く、盾の形をした鏡。長さ64cm・幅31cmというサイズも出土した鏡としては日本最大となります。他に例の無い形状と大きさの鏡で、全く未知の発見となりました。今後の調査研究には大いに期待します。

 

鼉龍文盾型銅鏡 画像引用:第六次調査現地説明会パンフレット(pdf)

 

蛇行剣も盾型銅鏡も発見されたのは昨年の第六次発掘調査でありましたが、調査や保存作業が1年にわたって慎重に行われていたのです。今回の特別公開では鼉龍文盾型銅鏡の公開はまだでしたが、蛇行剣は保存作業が完了し、満を持して公開される運びとなりました。

蛇行剣はたくさんの写真パネルと同じガラスケースでの展示となっていて、目玉展示に入館者も集中していたのでガラスに近寄らないと見えないような状況でしたが…

 

 

一瞬でしたが、ガラスケースの前に人がいないタイミングがあって、その一瞬にシャッターを切る幸運に恵まれました。これが長さ2メートルを超える、蛇行剣の全容です。

 

 

全体の撮影は出来ましたが、とにかく細長い遺物なので、一枚の写真で見せるのはなかなか大変。やはりこの剣は下の画像のように、真正面より横からの撮影の方が見やすいかも知れません。

 

 

1年間の調査を経て、この剣は木製の把が付けられ、木製の鞘に納められていたことがわかりました。把や鞘などの木製部は朽ちてしまっていましたが、奈良文研の調査研究で刀身に付着した多くの木片が検出されたのです。

 

蛇行剣復元図 画像引用:蛇行剣特別公開パンフレット

 

把は大きなくさび形柄頭が目立ちます。5世紀以後の刀に多く用いられた把のかざりで、この蛇行剣はくさび形柄頭としては最古の例になるそうです。

把の部分は黒っぽくなっていますが、これは把部分に塗られていた漆です。木製部はほとんど朽ちて無くなっているものの、出土時に黒い漆が木製の把や鞘に塗られた状態で、薄皮のように残っていたそうです。

 

 

この漆の薄皮によって剣の把の形状が残されていたわけで、保存には漆の形の保護に重点が置かれました。発掘当初からこの今にも壊れてしまいそうな薄皮になってしまった遺物の保存には細心の注意が払われたのです。

発掘時には剣は周囲の土ごとウレタンで包んで慎重に取り出され、丹念な保存作業で壊れる寸前の遺物の強化処理がなされ、今回の特別公開にこぎつけました。公開まで1年を要したのも納得です。

 

ウレタンで包まれた、取り出した状態の蛇行剣

画像引用:蛇行剣特別公開パンフレット

 

鞘の先端には、金属製の18.5cmの金属製の突起が付いていました。剣を立てて置く時に用いられる『石突き』と推測されています。槍や長刀の柄などによく見られる装備品ですが、古代の刀剣での石突きはこれまで例がありませんでした。蛇行剣がどのように使われたのかを知る、大きな手がかりと言えます。

 

 

蛇行剣という国宝級とも言われる出土品の特別展示のフィーバーにあやかる感じの博物館鑑賞となりましたが、行った感じ解明されていないことがあまりにも多いという印象でした。それだけに、未知のロマンが深まります。

蛇行剣はどういう用途でどのように使用されていたのか、その全ては謎。日本全国で70本もの出土例があり、すべては西日本、しかも九州、特に九州でも南部に集中しているそうです。

今回、ヤマト朝廷のあった大和国の地から日本最長の蛇行剣が出土したことにより謎はさらに深まり、富雄丸山古墳に目が離せなくなりました。

この特別公開では出展されなかった、鼉龍文盾型銅鏡や木棺の今後の特別公開が待ち望まれます。

 

 

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