高松塚古墳 復元木棺 ─ 橿原考古学研究所附属博物館 令和5年12月12日 ─ | タクヤNote

タクヤNote

元mixi『東大寺』『南都七大寺』コミュニティ管理人で、
現在は古都奈良の歴史文化の紹介、
アメーバピグや、配信アプリ『RIALITY』で知り合った人の
アバターの絵を描くなどの自作イラスト紹介をしています。

うちで取っている産経新聞の12月9日の朝刊を見ると、橿原考古学研究所が高松塚古墳の木簡を復元したというニュースが載っていました。

 

 

「これは注目すべきニュース」と思った小生は、復元木簡が橿原市考古学研究所附属博物館で一般公開されると記事に書かれているのを見て、ニュースが報じられた3日後の12日に、考古学の殿堂・橿原考古学研究所の附属博物館へと出掛けました。

 

 

橿原市考古学研究所は昭和13年(1938)年、橿原神宮外苑整備事業に当たって、その考古調査のために設立された調査機関がその創立。その名を一躍有名にしたのが昭和47(1972)年に極彩色壁画が発見された明日香村の高松塚古墳の発掘調査でした。

 

高松塚古墳  撮影:2017年7月18日

 

高松塚古墳については2017年に壁画修理作業室で壁画の実物を見学していて、そのことを2017年8月7日の記事で書いています。高松塚古墳についての解説もそちらで書いていますので、とりあえずはそちらを読んでいただければと思います。

 

12月12日の附属博物館での復元木簡鑑賞の話に戻しますと、復元木簡は受け付けから入ってすぐ、常設展示室の前の特別展示室で展示されていました。

 

 

展示は広い展示室の中央に復元木棺が一点だけ。壁に解説のパネルが並んでいるというシンプルな展示内容となっていました。

 

 

高松塚古墳 木棺とはどのようなものか、現地での展示パネルを始めとして、現地でいただいた復元木棺のパンフレットと、6年前に高松塚古墳に隣接して設営されている『高松塚壁画館』で購入した案内本をタネ本として解説して行きます。

 

 

昭和47年の発掘で高松塚古墳の石室内からは鏡・太刀金具・玉類などの副葬品が発見されましたが、実は副葬品のほとんどは石室に安置されていた木棺関係の遺物だったのです。

木棺は長199cm、幅58cmの棺の底板と上部の断片という状態での発見でした。

 

出土状態の木棺底板  画像引用:高松塚壁画館 案内本

 

この時代の棺は麻布を漆で固める“夾紵棺”が主流でしたが、高松塚古墳の棺は心材に木材を使い漆で塗装された“漆塗木棺”という、この時代では特徴的な技法で作られていました。

木材と共に多くの棺関連の金具も出土し、その中でも特に美しいのは『金銅装透飾金具』で、直径10.8cmで唐文化の色が濃い遺物です。

 

金銅装透飾金具  画像引用:高松塚壁画館 案内本

 

金銅装透飾金具以外の木棺関連金具は、金銅円形状金具・六花形座金具などが出土しています。

 

木棺関連金具  画像引用:高松塚壁画館 案内本

 

これまでの調査研究結果を踏まえて橿原市考古学研究所は東京藝術大学、奈良文化財研究所、東京文化財研究所とタッグを組んで木棺の復元実験が行われました。『令和4・5年度共同研究 高松塚古墳をめぐる東西交流』と銘打った2ヶ年計画で、復元木棺が完成したのに合わせてこの特別展示となったのです。

 

昭和47(1972)年は高松塚古墳極彩色壁画および木棺の発見から昨年はちょうど50周年で、昨年には同博物館で、極彩色壁画のコロタイプ印刷の微細プリントパネルなどが展示された50周年記念の特別展も開催されています。

 

画像引用:奈良県観光公式サイト なら旅ネット

 

画像引用:朝日新聞DIGITAL

 

今回の特別展の展示パネルは主に、復元の行程を解説するものでした。

 

 

復元木棺は現物同様に杉材で製作されましたが、無垢材では狂いが生じやすいということで、寸法の小さい木材を接着剤で接合して再構成するという近代的な“集成材”が用いられました。

木棺表面は黒漆塗りで、丁寧に5回塗りされました。また、内面は朱塗りで鉛白で下塗りした上に水銀朱で仕上げられました。

小生が鑑賞した特別展示では棺の蓋は閉ざされていたため内部を見ることは出来ず、パンフレットの写真で様子を知るにとどまりました。

 

蓋が開いた復元木棺  画像引用:橿原市考古学研究所パンフレット

 

金具は金銅製(青銅に金メッキ)で復元され、3Dプリンタで出土金具の型を作り、その型で成形し金具が鋳造されました。

六花形座金具や円形状金具は鐶座金具(金属製のリングを取り付ける金具)として木棺に取り付けられています。棺や蓋を持ち上げるためにヒモを通していたと推測したのでしょうか。

 

 

そして金銅装透装金具は出土したのは一具だけでしたが、二具復元され棺の両小口に取り付けられました。

中央には出土品には無かった赤い琥珀の玉が取り付けられ、緑色の玉虫の羽が装飾に用いられました。赤と緑の対照的な色は生と死の輪廻転生を表し、死者の再生を願ったのではと意図しての復元となったのです。

 

 

そして、棺を乗せる金箔張りの棺台も復元されました。棺台の遺物は発見されなかったのですが、棺底板の裏面に金箔が付着していたことから、金箔張りの棺台に乗せられていたのが盗掘で失われたとの推測から、棺台も復元されました。

黒漆と金箔の豪華絢爛な棺は、王侯貴族の権威の象徴として製作されたことを察するに易しいです。

最初に今回の特別展示のことはネットニュースで見つけたのですが、そこには被葬者が誰かについてのコラムもありました。

しかし、今回の木棺復元で被葬者の特定に近づけたという感はありませんでした。墓誌も記録も無い現状では被葬者の特定はなかなか難しいのでは無いかと思われますが、高松塚古墳について研究解明が進めば進むほど、その被葬者についての興味はより深まることは間違いないことです。

 

 

アクセスカウンター
コーヒーメーカー通販ホームベーカリー通販デジタルブック