御大典記念 特別展 よみがえる正倉院宝物 ─ 奈良国立博物館 令和2年7月11日 ─ | タクヤNote

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今回の記事は7月4日から奈良国立博物館で開幕した、『特別展 よみがえる正倉院宝物』を紹介します。

コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、日本全国の博物館・美術館は休業を余儀なくされていました。奈良国立博物館も例外では無く、政府の要請を受けて2月27日より休館となっていました。

 

 

その政府の休業要請も5月末の非常事態宣言が解除され、それにともない、6月2日から『なら仏像館』での常設展示が再開されました。そして、7月4日からは『御大典記念特別展 よみがえる正倉院宝物 ─ 再現模造にみる天平の技 ─』が開催となったのです。

 

 

奈良時代の天平勝宝8歳(756年)、崩御した聖武天皇の遺愛の品を東大寺に献納したことに始まる約1,300年前の文物を今に伝える正倉院。その唯一無二の貴重な正倉院宝物の再現模造は、修復事業の一環として古くは明治時代から行われているのです。今回の特別展はその再現模造をテーマとし、毎年秋に正倉院展が開催される奈良国立博物館を皮切りに、全国8ヶ所(内、長野県松本市美術館での開催は残念ながら中止に)を巡回される予定です。

元々の奈良国立博物館での会期は4月18日~6月14日で、休業要請期間と完全に重なり「開催は難しいのでは」と思っていたのですが、会期を7月4日~9月6日に変更することで開催にこぎつけたのです。そのかわり、長野県松本市での開催は中止、7月18日~9月22日が会期予定だった『開館125周年記念特別展 奈良国立博物館仏教美術名宝展』が来年に延期という残念なことに…。

でも、プレス発表があった時から観たいと思っていた特別展だったので、とりあえず中止にならずによかったと思いました。『再現模造』と聞くだけで「本物じゃないの!?」と失望される人もいるかも知れませんが、小生は再現模造をテーマにした展覧会は、本物の展覧会とは別の魅力があると好きなのです。それについては後述します。

 

小生が奈良国立博物館に行ったのは4月11日の土曜日。ちょうど開幕から1週間経っていました。この頃は毎日毎日天気が悪く、この日も傘が手放せない一日でした。

 

 

ようやく始まった特別展ですが、やはりこれまでと同じという訳には…という感じです。正面入口では係員がフェイスシールドをして、入場者の検温検査をするという物々しい状況での展覧会の開催となっていたのです。あらためて事の大変さを実感することとなりました。

 

 

それでも、ずっと止まっていた博物館がようやく動き出したことは喜ばしいことであります。小生には昨年12月の『特別陳列 法隆寺金堂壁画 写真ガラス原板』以来の7ヶ月ぶりの奈良国立博物館。そもそも博物館・美術館自体が2月末に観に行った大阪・あべのハルカス美術館での『国宝東塔大修理落慶記念 薬師寺展』以来4ヶ月ぶりです。

 

以下、出展品は図録から画像などを引用して解説をします。なお、復元模造された宝物の模造元の原品の宝物の写真は、10年連続で鑑賞している正倉院展の過去の図録を蔵出しして来ました。引用画像のキャプションには、オリジナルの宝物には、再現模造にはと記します。

 

 

今回の図録を見た率直な感想は「でかっ!」 図録のサイズは欧米のレターサイズに近い280×225㎜。ページ数は224ページで、正倉院展図録の144ページの1.5倍以上‼、背綴じを見てみても、そのぶ厚さは一目瞭然です。価格も2400円で、正倉院展図録の1300円より900円も高いっという声もあるとか無いとか。

 

 

これだけ図録が分厚くなったのもうなずけるわけで、その会期も2ヶ月におよび、出展された再現模造品の数も128点。昨年の正倉院展は会期が2週間ほどで出陳されたも宝物の数は41点(そんなに少なかったのかと、調べてちょっと意外な印象)。模造品とはいえ正倉院宝物を体感できる展覧会としては、いずれも正倉院展の4倍のボリュームとなる大規模な特別展なのです。

 

特別展は東新館・西新館の全展示室を会場とし、再現模造品の種類に分類された6つのコーナーに分けられています。

まず、第一のコーナーは『楽器・伎楽』。毎年正倉院展の目玉になることの多い楽器や、正倉院に多く伝わる伎楽の面などの再現模造品です。

 

まず紹介するのは、『金銀平文琴』(きんぎんひょうもんきん・北倉)。昨年・令和元(2019)年の正倉院展の目玉として出陳された宝物。木地に黒漆を塗り、金銀の文様を施した正倉院宝物でも有名な一品として知られます。

 

 画像引用:令和元年 第71回正倉院展図録

 

今回の特別展に出展された再現模造品は、明治12(1879)年に製作された140年以上前の古いものです。これほど早くから模造がされたのも、この琴が特に名品として評価されていたからでしょう。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

図録にはこの琴の特徴である槽の頭部、方形の枠に施された金の平文の部分の拡大写真が掲載され、両方を比べると、当時の名工たちの手によって忠実に再現されていることが確かめられます。

 

 

左:                            右:

 

そして、『楽器・伎楽』のコーナーには今回の特別展の目玉となっている、螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ・北倉)の再現模造品の展示されています。現存唯一のインド由来とされる五弦琵琶は、聖武天皇遺愛の品として国家珍宝帳に記載のある宝物。熱帯の植物やラクダを表わした螺鈿細工はシルクロードの文化を伝えます。

 

 画像引用:平成22年 第62回正倉院展図録

 

正倉院宝物の代表の一つとされる『螺鈿紫檀五弦琵琶』は、一つの宝物に対して二面の再現模造品が出展されています。

一つは明治31(1898)年、約120年前に製作されたもの。非常に忠実に再現されていますが、表面の木部はオリジナルよりやや明るい、裏面は暗い色目になっています。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

もう一面の『螺鈿紫檀五弦琵琶』の再現模造品は、正倉院事務所によって完成した、最も最新の復元された宝物です。明治の修理前の天平のオリジナルの形を取り戻すことと、楽器として演奏が出来る再現を重点とし、8ヶ年の制作期間を経て再現されました。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

図録には『螺鈿紫檀五弦琵琶の再現プロジェクト』と題して、平成の五弦琵琶の復元についてのコラムが書かれています。ワシントン条約で取引が禁止されている玳瑁(べっ甲、ウミガメの甲)やインドネシアなどで輸出制限となっている紫檀など材料確保の苦労話。X線調査など最新の科学調査など専門家による研究調査の話など、五弦琵琶製作のエピソードが詳しく紹介されています。

 

 

文化財としての価値があるとは言えない再現模造品の特別展に小生が注目するのは、まさにここであります。世界的にも貴重な文化遺産である正倉院宝物、再現模造とはその学術研究そのものなのです。再現模造の本来の目的は、かけがえのない宝物という文化財を後世に伝えることであります。戦争などの火災や自然災害などによって失われた歴史のことを考えたり、経年によって劣化するという必然的な生じる問題に対し、現品を忠実に再現した模造品を製作することは、オリジナルのバックアップとして宝物を後世に伝えるという意味があります。

しかし、再現模造を行うということは、原品を徹底的に研究調査することであり、材質や製造方法をつぶさに解明することであり、さらにはその宝物が作られた目的や使用した人の思想信条まで、天平文化そのものを宝物を通じて探求することにつながって来るからです。奈良時代について学術研究を記した書籍は数多くありますが、再現模造品は形あるモノとして天平文化の研究結果を見ることが出来る最高の資料と言えるのです。

 

伎楽面も会期中の入れ替え分も含めて複数の再現模造品の出展されます。紹介するのは『伎楽面 迦楼羅』(ぎがくめん かるら・南倉)。迦楼羅(ガルーダ)は古代インド神話に登場する霊鳥で、仏教では仏教を守護する天龍八部衆の一神に数えられます。正倉院に伝わる迦楼羅の伎楽面は5面。キリ材製で極彩色が印象的です。

 

 画像引用:平成22年 第62回正倉院展図録

 

正倉院に残るのは面の他、衣装の一部も伝えられており、再現模造では正倉院に伝えられる他の装束なども参照し、全身が再現され『伎楽人形』として展示されていました。昭和37(1962)年に奈良国立博物館に納品された再現模造品で、本来の伎楽装束のイメージを伝える好例となっています。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

第二のコーナー『仏具・箱と几・儀式具』は、宗教色の高い道具を中心とした宝物の再現模造品が展示されてます。

『紫檀木画箱』(したんもくがのはこ・中倉)は数々の宝物を収める多くの箱の一つ。色目の違う多種の木材や象牙や錫などを薄く切り、モザイクのように貼った木画装飾としています。

 

 

 画像引用:平成12年 第52回正倉院展図録

 

20年前の平成12(2000)年の正倉院展で観た時はかなり黒ずんでいる印象のある箱でしたが、昭和後期に製作された再現模造品は、とてもきれいで微細な木画もくっきりと見ることが出来ました。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

 部分・拡大

 

『仏具・箱と几・儀式具』コーナーで一番目を引いた宝物が『漆彩絵花皿』(うるしさいえのはながたざら・南倉)の再現模造品です。方形の非常に特徴的な形の方形の脚付きの皿で、供物を盛るための台と考えられています。この皿は唐招提寺に類似した形容の残欠が伝えられ、鑑真ゆかりの品との指摘もあります。

 

 画像引用:平成25年 第65回正倉院展図録

 

上の写真のように原品は残念ながら経年によって劣化が著しいのですが、平成に製作された原品を丹念に調査の上に復元された再現模造品では、天平時代さながらの花葉文も色鮮やかによみがえりました。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

 

:部分                            :部分

 

第三のエリアは『染織』、正倉院に伝わる布織物を再現模造して展示されています。

『七条織成樹皮色袈裟』(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ・北倉)は正倉院宝物リストである『国家珍宝帳』の筆頭に上げられている、聖武天皇遺愛の品。天平勝宝元(749)年に聖武天皇はまだ鋳造中だった大仏を前に「三宝の奴」と称したと記録され、この時に出家し僧侶になったと考えられ、正倉院に伝えられるこの袈裟は僧形となった聖武天皇が着ていたものと考えられます。

 

 画像引用:平成23年 第63回正倉院展図録

 

再現模造品は平成年間中に復元されたものです。原品では一部が欠損していますが、再現模造では正倉院や東京国立博物館が所蔵する同・袈裟のものと伝えられる断片から復元され、飾り紐(修多羅)も表裏に付けられました。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

平成23年度の正倉院展では、『七条織成樹皮色袈裟』と同時に、この袈裟が収められていた箱および、箱を包んでいた包みも『袈裟箱』(けさのはこ・北倉)、『袈裟箱袋』(けさばこのふくろ・北倉)として、宝物として出陳されていました。

 

 

 画像引用:平成23年 第63回正倉院展図録

 

今回の特別展では、この箱と包みの再現模造品も出展されていました。箱は牛革を木型で箱の形に形成し、漆を塗って仕上げるという、現代では途絶えた漆皮の技法で作られています。また、包みは版型で蝋を型押しして模様にする蝋結染です。

これらの再現模造品は平成23年の正倉院展でも袈裟と同時に出陳されており、小生は9年ぶりに鑑賞することとなりました。

 

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

どの再現模造品でも言えることですが、特に染織品は糸の染められ方、錦の織られ方、模様の染められ方など、単に見た目だけではなくその技法まで復元することが模造の目的であります。糸の織られ方まで細かくなされた研究の成果が、これらの再現模造品なのです。

 

 

 部分・拡大  左:『七条織成樹皮色袈裟』           右:『袈裟箱包』         .

 

この『染織』のコーナーには、小石丸の蚕の繭から製糸された生糸の展示もありました。正倉院宝物の再現模造に使われる絹糸は日本種の蚕『小石丸』の繭から製糸され、その繭は皇居内の『紅葉山御養蚕所』で上皇后陛下が皇后であった時に育てられた蚕の繭なのです。

 

 

小石丸の繭と製糸された生糸  画像引用:平成21年 第61回正倉院展図録

 

紅葉山御養蚕所で小石丸の蚕の世話をされる上皇后陛下(当時・皇后) 画像引用:日本経済新聞2018年5月21日 

 

宮内庁が所轄である正倉院、その宝物の再現模造にも皇族が深く関わられているのです。

 

第四のコーナーは『鏡・調度・装身具』、天平時代の王侯貴族の生活用品とも呼ぶべき宝物の再現模造品の展示です。これらは天平時代の人々の生活がリアルに見える、タイムカプセルのような宝物であります。

 

『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡』(ごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう・南倉)は、平成12年第52回正倉院展の目玉として出陳された宝物。銀の鏡胎に七宝焼で彩色されているという豪華そのもの。製造方法もあり劣化も少なく、原品も再現模造品も違いを感じないほどです。

 

 画像引用:平成12年 第52回正倉院展図録

 

再現模造は平成年間に行われ、試作を繰り返し七宝焼の技法の再現が試みられました。背面と鏡面に二枚の銀板を打ち出して接合し、色ガラスの粉を高熱で溶かして仕上げています。大陸より伝来した技法と考えられていますが、中国で七宝焼きが盛んに製造されるようになったのは元代以降で、『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡』は世界でも最古級の七宝焼きの遺物なのです。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

『鏡・調度・装身具』のコーナーには『赤漆文欟木厨子』(せきしつぶんかんぼくのずし・北倉)の再現模造品も展示されていました。高さ100㎝、幅83.7㎝のこの大きな厨子は、聖武天皇の曽祖父である天武天皇ゆかりの、現存する正倉院宝物最古の遺品で、天武・持統・文武・元正・聖武・孝謙の六代天皇に継承されたという特別な物。

 

 画像引用:令和元年 第71回正倉院展図録

 

そのような特別な由緒のせいもあってか、目立った装飾などは無い宝物にもかかわらず、再現模造は古く明治31(1898)年に製作されています。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

とても豪華で華やかなのが『紺玉帯』(こんぎょくのおび・中倉)。動物の革に黒漆が塗られ、バックル部分は銀に鍍金、裏座の金具も銀製で、際立つ紺玉の装飾はアフガニスタン産のラピスラズリが使用されています。

 

 画像引用:令和元年 第71回正倉院展図録

 

原品には欠損部分が多く、宝物名も『残欠』と付きますが、再現模造品は残欠部分を補い本来の帯を甦らせています。昭和年間に復元されました。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

『紺玉帯』は収められていた箱も伝えられ、『螺鈿箱』(らでんのはこ・中倉)という宝物となっています。木地螺鈿(貝の真珠部分を用いた装飾)の上にまず黒漆を塗り、それからその漆を模様の形に剥ぎ起こしてから螺鈿(貝の真珠部分を用いた装飾)を埋め込むという、『漆地螺鈿』の技法が取られています。

正倉院宝物の螺鈿細工のほとんどは先に螺鈿を木地に直接貼り付け、螺鈿を残すように漆を塗る『木地螺鈿』の技法が用いられ、この帯を納めていた箱は正倉院宝物の中でも、『漆地螺鈿』も珍しい例となっています。

 

 画像引用:令和元年 第71回正倉院展図録

 

昭和の後半に製作された再現模造品は、その『漆地螺鈿』の技法が忠実に再現され作られました。また、箱の内側に貼られている錦は昭和初期に模織されたもので、箱の復元には旧年に織られた錦が活用されています。このように、正倉院宝物の再現模造品の多くには、何年・何十年という制作年月が費やされているのです。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

第五のコーナーは『刀・武具』です。

正倉院には本来武器庫も兼ねて多くの武器が所蔵されていたそうですが、天平宝字元(764)年、国政を二分する『仲麻呂の乱』が勃発した時に正倉院の武器の多くが持ち出されたために、そのほとんどは今に伝えられていません。

その中でも特に装飾性の高い刀剣として名高いのが『金銀鈿荘唐太刀』(きんぎんでんかざりのからたち・北倉)。第63回平成23年正倉院展に出展され、この年は“蘭奢待”の異名を持つ香木『黄熟香』(おうじゅくこう・中倉)や、創建時の東大寺境内図を描いた正倉院宝物の中でも一級歴史資料である『東大寺山堺四至図』(とうだいじさんかしいしず・中倉)など、正倉院を代表する宝物が数多く出展される中、『金銀鈿荘唐太刀』はそれらをおしのけて目玉となりました。

 

 画像引用:平成23年 第63回正倉院展図録

 

この金銀の太刀が再現模造が製作されたのも、明治時代です。特別展で観た復元模造品は9年前に大勢の入館者と展示ケースの前で行列を作って観た原品と遜色無い素晴らしい物で、その出来の良さには驚かされました。

 

 画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

『金銀鈿荘唐太刀』の再現模造品が製作されたのも、再現模造事業が始まった初期の明治時代。銀製鍍金の唐草文金具にガラス玉が散りばめられた、正倉院宝物の中でも豪華さでは群を抜いている唐太刀。その復元には、原品へのリスペクトと再現への情熱が伝わって来たように思います。

 

 

:部分                            :部分

 

そして最後、第六のコーナーは『筆墨』、正倉院に伝わる奈良時代の文書の再現模造品の展示です。正倉院に伝わるのは経典や書画などもありますが、今回の特別展での展示は官庁による公文書の再現模造品に絞っての展示となっていました。

 

 正倉院古文書正集第三十八巻(筑前・戸籍)  画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

 正倉院古文書正集第十五巻(尾張・税帳)  画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

特に古文書正集 第七巻は東大寺初代別当の良弁や、民間出身の僧でありながら天皇の座に就こうとした怪僧・道鏡など、奈良時代の歴史に名を残す有名な僧侶の直筆の文書が集められている貴重な文書となっています。

 

 正倉院古文書正集第七巻(法師道鏡牒)  画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

再現模造品の展示のレイアウトが本家の正倉院展と同じで、最初は目玉となる美術工芸品から始まり、後半に染織、そして最後は文書という構成となっていました。ただ、今回の展覧会に文書が出展されているのを見て、少々意外だったというのが感想です。本展覧会は今の名匠たちがその技術の粋を集めて、世界的遺産である正倉院宝物を再現し、古代人の工芸技術の真相を究明するというテーマでした。その中で工芸品とは言えない筆墨が出展されるとは思っていなかったのです。

博物館の中で小生は「書家が正倉院文書を複写したのか」と展示を見て思っていたのですが、そうではありませんでした。これらの再現模造品は実は写真印刷。そしてその再現をしたのは、京都の老舗美術印刷の会社『便利堂』だったのです。

便利堂と言えば、戦前に法隆寺金堂壁画の写真撮影を行ったことで一躍有名になり、小生も今年1月29日に便利堂の直営店にお邪魔したことは、2月4日のブログ記事で紹介をさせていただきました。

 

京都三条・便利堂直営店  撮影:2020年1月29日

 

今回の特別展に展示されたのは、便利堂が誇るコロタイプ印刷で刷られたものです。コロタイプ印刷については上記の2月4日のブログ記事に詳しく解説をしていますが、ガラス板に焼き付けたネガ写真を直接原版にし印刷をするという技法。オフセット平板印刷のように網点を使わずに中間調を出すのが特長で、微細な描画と原品と同じ色のインクを使用することにより、原品に極めて近い印刷物を刷すことが出来るのです。

今回の特別展が正倉院宝物を現代の技術の粋を駆使して模造し、再現して後世に伝えるというテーマで開かれていることに則り、印刷物ではありますが模造技術の一つとして出展されたのです。

 

今回楽しみにしていた『特別展 よみがえる正倉院宝物』を鑑賞しました。出展された再現模造品には文化財としての価値は少ないのですが、それでもぜひ観に行きたいと思ったかは、一つは前述した「宝物の復元は、最高の宝物研究」という考えでありました。そしてもう一つの理由として挙げたいのが「季節外れの正倉院展」であったということです。正倉院宝物は現在鉄筋コンクリート造の新宝倉に保管され、開封されるのは10月11月の2ヶ月間だけ。現在でも天皇の勅命が無ければ開封が出来ないという規律があって、正倉院展の期間外に宝物に接する機会は誰にも無いのです。

だから、せっかくの世界的文化遺産と言っても季節外れであれば、全く関わることが出来ないのが正倉院宝物。しかし、再現模造品ならば勅封が解かれなくても、我々はこの文化遺産に接して天平文化を肌で感じることが出来ます。

前々から思っていることですが、再現模造品に常時展示施設を開設出来ないものでしょうか。たとえ展示が10程度しか無い小さな展示施設であっても、正倉院展で無くても正倉院宝物に接する機会となる施設を設けることはとても意義のあることと小生は考えます。

 

最後に紹介する再現模造品は『正倉院宝庫模型』です。西新館の一番西の通路脇に常時展示されていて、西新館での展覧会がある時に、入館者は必ず前を通って観ている正倉院正倉の模型。あまり知られていませんが、この模型は奈良国立博物館が開館する明治28(1895)年の20年前の明治8(1875)年に作られたという、実はとても古い物なのです。正倉院展の前身である、東大寺大仏殿回廊を会場に開催された『奈良博覧会』のために作られたものです。

 

正倉院宝庫模型  画像引用:よみがえる正倉院宝物図録

 

展示のされ方は変わっていませんでしたが、『特別展 よみがえる正倉院宝物』では、展示物の一つとしてカウントされていました。今回の特別展ではオブジェ感覚で見ていたこの模型も、文化財として鑑賞してみてはと思います。

 

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