Essence of Rainbow

Essence of Rainbow

横浜を拠点に活動する劇団。「虹の素」のブログです。
学生公演「青の素」の活動の様子も更新中!


アントワーヌドサンテグジュペリの星の王子さまを知っているだろうか。とても有名なのでほとんどの人は知っているでしょうが、

幼少期に触れたものは人格を形成するのに大きな影響力を持ちます。僕もいくつか挙げられる中で、サンテグジュペリの星の王子さまもその一つです。

 

『大切なものは目には見えない』

 

この言葉は、今の社会にとても広めたい言葉です。なんでも可視化が求められる社会で、むしろ窮屈になりつつある世界で、

目に見えないものを大切にしているのが僕たちの仕事なんじゃ無いかなと思っています。それが今不要不急と言われ淘汰されかかっている。守らなければいけないと思います。

 

 

 

 

 

 

昔女性に『どうして私と一緒にいるの?』と言われたことがあります。

理由を一つ一つ述べればあまりに月並みで、それでも言ったところで満足するとは限らないなかなか進むも地獄退くも地獄みたいな窮地の質問ですが、僕は星の王子さまで例えました。

 

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

 

王子さまは自分の星に咲いていた一輪のバラを、世界に一本のバラだと思い大切に水をあげて育てます。

しかしバラはわがままでした。バラのわがままに嫌になった王子さまは星を出て行ってしまいます。

様々な星を訪ね色々な人に出会い、最後に地球にやってきました。

そこで沢山咲くバラの園を見て、大切に思っていたあのバラはたった一本の花ではなく沢山のバラの一本に過ぎないことを知り、王子さまは悲しみました。

そんな王子さまに地球で出会ったキツネは言います。

『きみのバラが、きみにとってかけがえのないものになったのは、きみがバラのために費やした時間のためなんだ。人間は、このたいせつなことを忘れているんだよ。尽くしたものに対しては、いつまでも責任があるんだ。守らなきゃいけなんだよ。』

 

いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い、一生懸命世話をしたバラはやはり愛おしく、自分にとって一番のバラなのだと、王子さまは気が付きました。

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

 

最初から特別なものなんてなくて、それが特別になるには自分がいかに想って水をあげて大切にしてあげるか、そして大切にしたものは理由なんて無く特別なんだと、

男性はぜひ言い寄られたら使ってみてください。ロマンティックでしょう?

 

 

 

http://jp.womany.net/blog/7944

 

 

 

時折、どうして〇〇を続けているんだろう…とモチベーションを見失うことがあります。

特に長く続けていることは、そのうち息を吸うように自然なことになっていき、理由を見失ってしまうことがあります。続けている理由もわからないのに、離れられない。離れられない理由もまたわからない。そんな時、僕は星の王子さまを思い出します。

劇団員の知られざる素顔に迫る、金曜日の虹ブログ。
今日の担当は教育部の山田大志(いっくん)です。


昨日、髪を切ってきました。(自撮りは載せません)

みなさんは、どのくらいの頻度で散髪されますか?
長さを保っている人なら1か月おき、短くしたり長くしたりを繰り返す人なら、もうちょっと長いのでしょうか。(すいません、この分野ぜんぜんわからないです)

お芝居をやっていると、本番に合わせて演出家と相談して……という人も多いかと思います。

高校の友人に、半年くらいめいっぱい伸ばして、一気に坊主近くまで刈り、また半年伸ばして……というのを繰り返している人がいます(最近どうしているのか知りませんが)。
手間のかからない坊主頭なら1000円未満の超格安でやってくれるお店があり、そこへ年2回しか行かないのでかなり節約になるそうです。



さて、昨日はちょうど1か月ぶりでした。
わたしはだいたい1か月半くらいの間隔なのですが、この先少し忙しいので前倒しました。
ただ、わたしは正直、散髪はなるべく低頻度にしたいと思っています。



節約のためではありません。
何を隠そう、わたしは床屋さんが苦手なのです。



~床屋の苦手なところ!~

①オーダーが難しい

わたしが床屋を苦手とする理由! 8割はこれに尽きます。

どのくらい切ったらちょうどよくなるのか、正直わかりません。
仕方がないので、なんとなくうまくいったときのオーダーを、呪文のように唱えます。
それでも、床屋さんから予期せぬツッコミが入ったり、わからないことを聞かれたりすると怖くなって、また床屋へ行く心理的障壁が高くなるのです。悪循環。
わたしが気にしすぎなだけですが……。


【ケース1】
いっくん「2~3センチ切ってもらえますか」
床屋「2と3、どっち? 2.5センチ!?」
い「じゃあ、そのくらいで……」

【ケース2】
床「もみあげはどうしますか?」
い「(どうできるんだ……?)どうとは……?」
床「普通にするか、自然な感じか」
い「(普通は自然じゃないの!?!?)し、自然で……」


それぞれ別々のお店ですが、本当にあった話です。床屋さんとのコミュニケーションむずかしい……。

それから、切り終わった後に「ご確認をお願いします」といってうしろで鏡を広げてくれますが、「なんか違うな……」と思ってもどうしたらいいのかわからないので言い出せません。

言えば何か提案してくれるのかな……。


②つい力む

他人に髪を触られたり、顔の近くに刃物があることが特別怖いとは思っていないつもりですが、髪を切ってもらっている間、無意識のうちに全身がこわばっていることがよくあります。


③スケジュール

切った髪の毛があちこちに落ちるので、わたしはなるべくその日の行程をすべて済ませてから、最後に床屋さんへ寄ることにしています。
でも夕方から夜ってけっこう混んでいることが多くて、どうしたものかなあと。

最近は、ほかに何も予定がない日の昼間に行くことが多いですが、チャンスが限られているので億劫な気持ちを振り払って家を出るしかありません。

髪は忙しさに構わず伸びてきます。



そんなわけで、またネガティブなことばかり書きましたが、子どもの頃に比べれば克服できた点も多いと感じます。


以前はバリカンの振動がどうしてもくすぐったかったものですが、呪文「後ろは刈り上げない程度で」を習得したことで、本体が首筋に触れることがなくなり、だいぶ楽になりました。

顔面に落ちた細かい毛が気になっても、唇の形を工夫してどうにか吹き飛ばそうという行動は(さすがに)やめました。やめたら、気にならなくなりました。

長い待ち時間も、本を読んでいればどうってことないですね。



最近、オーダーの「呪文」の精度が上がって、おおよそ満足いくようにやってもらえることが多くなりました。

しかし、これは冒険していないことの裏返しでもあります。

手入れが面倒な髪形を避け続けて24年。
やがては願っても生えなくなるであろう髪の毛を、文字通り切り捨ててゆくだけでいいのでしょうか。

友人から「染めれば?」と言われても「面倒くさい」。
「パーマかければ?」と言われても「ぜったい変」。

どれも結局、怖いだけなんですよね。

Instagramで「美容院行ったー!!」ってテンション上がった投稿してる人が、正直ちょっとうらやましい。



わたしの行く床屋さんでは、終わった後に「何かつけていかれますか」と聞いてくれます。(ワックスか何かをつけてくれるのだと思います)

散髪に楽しみを見出したいと思う今日この頃。

「これから自宅の浴室に直行なのに、意味ないじゃん」
ではなく、素直に委ねるところから始めてみてもいいのかもしれません。



タイトルは大好きな槇原敬之さんで「遠く遠く」より
2番のサビの一節



始まりなのか、終わりなのか。
終わりなのか、始まりなのか。


そんなことをぐるぐるしながら考えています。




どうも、金曜日です。







いやいやなんか俺が金曜日みたいになってしまった。



今週の金曜日の虹ブログの当番はくまぽんぬです。




2021年、みなさんいかがお過ごしですか。

熊手はですね最近感じていることがあります。


それはですね、
今年になってなんだか17歳の自分が会いに来ているな~ってことです。


どういうこっちゃ、って思う人もいると思います。
時間って一方通行だから、前にしか進まないのは当たり前なんだけど、
だから人間て振り返ったり懐かしがったりするんだけど、

でも時々、こっちが振り返ってるわけじゃないのに、
向こうから顔をのぞかせてくるというか、そういうことがあるんです。


RPGでもそうじゃないですか。
時々、序盤の街に戻ったりするじゃないですか。

 


空けられなかった宝箱とかが空けられるようになってたり、

 


最初に通ったときは行けなかった道に進めるようになってたり。

もしくは、この先に進むために、いったん戻って取ってこなくちゃいけない
アイテムとかミッションとかがあったり。

 

先へ進むための手掛かりを求めて、

一旦立ち返ってピースを集める作業ってのが、

人生にも同じようにあるんだろうなーと思います。


熊手、30歳。
思いっきり立ち止まってます。




人生に攻略チャートは、無い。



熊手、30歳。
17の自分が会いに来てます。





年明けすぐには、
17歳の時の友達に話したいことがあると久しぶりに呼び出され、
何事かと聞いてみたら「結婚したいけど相手がいない」という相談からはじまり、

高校を辞めた時のことを元にして書いた台本の上演許可申請が来て、
読み返してみたらなんだか思った以上に心にぶっ刺さったり、


また別のところでしばらく前に書いた、
高校を辞めた時の想い出を書いた記事を読んでは、


勇気をもらったと感想が届いたり、


家系的に高血圧でいつも血圧高いのだけど、
病院で血圧を測ったら、生命維持に必要な最低レベルの数値が出て、
「不登校の子供たちは大体こんな数値ですね」とお医者さんに言われたり、
(まさに高校を辞めたがっていた頃の自分)


2~3年に一度くらいの頻度で数学が解きたくなるのだけど、
ちょうどそのタイミングが来て、数2の問題集を広げていたり、




なにより、一番「あ~~~~~」って感じたのは、
今の自分の状況が、あの頃にとってもよく似ているなと気づいたんです。



高校を辞めて、次の高校に入る前の期間。



1月31日付で高校を退学したんです。
そして2月の頭に願書を出して、受験して、合格して。
そして4月に入学して新しいスタートを迎えたんですけど、


その、退学してから入学するまでの約2カ月間は、
今こうして振り返ると「無の期間」

というより「何者でもなかった期間」だったなと思います。



あの時、確かに俺は何者でもなかった。



そして今、30歳にして、
似たような感覚の中にいます。


いや、今の自分は「何者でもない」わけではないんだけど。


でも似たような感覚の中にいます。



終わりは始まり。
始まりは終わり。




俺にとって17歳は、「終わり」の印象が強い年である。




最近、よく、何かにケリをつけた人のインタビューとか記事とかをよく見ます。
音楽を辞めた人。
プロ野球や、サッカー選手を引退した人。

人それぞれ、考えていることや感じていること、理由も様々です。
けど、それまで人生の大半を捧げて情熱の炎を燃やし続けていたものに、
区切りをつけるとはどういうことなのか。ということを、
最近は強く意識するようになっています。



昨年「現役でいること」という記事を書きました。
https://ameblo.jp/element-of-rainbow/entry-12597311199.html?frm=theme

演劇だから、プロのスポーツ選手とは違って、
現役とか引退とかそういうものはないけれど、

でも、プロ意識をもって、と云うならば、
「現役引退」という言葉もあって然るべきだと思っていて、

いつまでもだらだらと続けるのはそれは趣味というんだよ。と俺は思う。


本気で居続けるには区切りがつきまとう。
そして自分はそれを意識するようになった。


昨年、虹の素は10周年を迎えた。
次の10年へ、なんて言ってみたりもした。


けど、10年後も虹の素が今と同じような活動形態でいることはたぶんできない。
というより、そうしてはいけないと思う。

40歳になった自分が、30歳の自分と同じでいてはいけないように。



だからといって今すぐ何かを辞めたりするわけではない。
引退するにはまだ早い。
まだやるべきこと、できることがある。と思っている。

それがあるうちは続けるし、

いつか現役を退く時が来るということを頭の片隅に置いて、肌で感じながら、
だからこそ今を全力でプレイできることにつながる。きっと。






そんなわけで、


17歳の自分に会いに行っている。
当時のブログを読み漁っている。
あの頃なにを感じていたかな。
どんなことを考えていたかな。


辞めたがっていた頃。
辞めた頃。
何者でもなかった頃。
新しくスタートした頃。



そうしたらね、有ることに気づいたんだ。



虹の素を始めたのは17歳だった。

新しい高校で、有志を集めて公演したんだった。



そうだった。

そこがスタートだった。



団体名、何にしようかなって考えて、

虹の素に決めた日のことが書いてあった。


7月16日だった。


ナナイロの日。虹の日だった。


たぶんそんなこと、当時はぜんっぜん知らなかったと思う。
そんなこと気にもせずに、虹の日に、虹の素ってつくったんだ。

なんか運命じみたものを見つけた。




17歳。終わりの年だと思っていた。


17歳。始まりの年でもあった。





終わりは始まり。始まりは終わり。



シェイクスピアの凄さって、やっぱり言葉のキレだなと思う。
シンプルなのに強烈。


Fair is foul, and foul is fair.


きれいはきたない。きたないはきれい。



変わっていくことは変わらないこと。
変わらないことは変わっていくこと。




なんだろう。きっと。





終わりは始まり。始まりは終わり。って、
英語にしたらどうなるんだろうと思って、調べた。



「終わり」にもいろいろある。
「end」「finish」……

あ、「over」っていいかもしれない。
(ちゃんとした用法とか知らんけど)


「始まり」は、「start」「Biginning」「opening」……




あ、




あった。







「Dawn」



意味は、「夜明け」




そこから派生して、幕開け、黎明、始まり、とか。



ちなみにこれは2013年の公演後に深夜に精算作業をして一段落して、

屋上に出て夜明けの桜木町を眺めながらタバコを吸っている俺。





ああ、そっか、、、、、


Dawn is over, and over is dawn.


なんだね。きっと。

 

 

 

金曜日です。

2月になりましたね。
昨日は春一番も吹いて、季節がまた1つ変わってきてるなと感じます。

今週の金曜日の虹ブログの担当は僕。
木之枝棒太郎です。

思えば2021年初登場かもしれない。

みなさん、あけましておめでとう⛩
きっと縁起がいいと思うので、今年入って1番すごかった寝癖の画像を載せておきますね↓
一体どういう寝方をしてたんだろう・・・
まあ、こんな僕ですが今年もどうぞよろしくお願いいたします!

さて、もう2021年も1月が経ってしまったのか!?という感じです。
なかなか「縁起」という言葉よりも「延期」や「中止」という言葉にばかり縁があって、なんだか最近すっかり「気」が滅入っております😅

ちょっとだけ供養させてください。
1月に入って3本、中止と延期のお知らせをしました。

①おおぐま座
神奈川かもめ短編演劇フェスティバル
高校生飛翔枠「星見る2人」(1/10本番予定)
→1/8。リハーサル前日に中止決定。

12月の虹の素「失恋博物館Ⅴ」や客演と舞台監督予定だった「冬物語」 の稽古を合間をぬって高校生たちと稽古し、夜中に台本書いて、音も編集して、最終稽古でいいものできて、さあいざ、本番!という時に中止。めちゃくちゃ悔しかった。
本当に怒涛の日々の中、色んなことに気をつけながらがんばって作ってた。

精神的ダメージ🤛
ぐはあ!

② YOKOHAMA NEW CLASSIC
シェイクスピア「冬物語」 
→公演延期。本番1週間前。集中稽古の初日でした。演出の中山さんの漢の涙。
「これは、一時撤退だ」という言葉が忘れられません。この作中では16年間の長い冬の後に、奇跡が起こり、春がきます。
「冬来たりなば、春遠からじ」

公演延期決定後に、
みんなでPCR検査を受け、全員陰性を確認し、
3日間だけ稽古をしました。僕たちのここまでやってきたことを形にして残そうと、動画撮影をして、終わり。お客さんの目に触れることはなく。

僕の出演シーン↓
  
わくわくするよね。見せたかったよね。
この座組でこの作品を。

まだ希望が残ってるけど、これも本気で作り、準備をしてきたので、またもや精神的ダメージ👊
ぐふっ。

③TAK in KAAT 虹の素10周年公演「夜明け」
→公演中止のお知らせ。
会心の一撃!!!うわあん(><)
これがね、本当に1番応えた。
というか、本当に色んな感情と想いがぐるぐるぐるぐるぐーるぐる。してます。

でも、人のせいにせず、前向きに、大人になろう。自分よりも大変で、悲しくて、辛い人は沢山いるんだから。

しかし、それでも一月は全身全霊を懸けてた作品の3連続中止がきまりました。

舞台は1本作るだけでもかなりの時間と精神力とエネルギーを使います。それを毎月、何本も掛け持ちで続けてきて、やってきて、やり切ってきた。ずっと、気を張っていた。

そんな最中の3本の中止は、本当にきっつい。
努力は水の泡にはならないとは思ってるけど、やはり火が消えてしまいそうになる。

けど、そんな中、1月はなんとか1本だけ舞台をやることができました。

第3回江戸まちたいとう芸楽祭参加作品
外組公演其の十参『むつみや』
無観客。配信公演。
半年前から無観客での配信公演を決めていた外組さんは先見の目があるのかもしれない。
そして、たくさんの挑戦。カッコ良かった。

舞台監督と実は少しだけ出演もさせてもらっていました。これが今年の初出演😭泣笑

それで実はですね、この外組の荷返しが終わった次の日の1月19〜27日頃まで体調崩してずっと寝込んでました。熱に、吐き気。頭痛と首の痛み。咳に鼻水、喉の痛みにずっと悪寒。

本当ならこの週は「冬物語」の本番週だ。
体調なんて崩すわけにはいかない。

ずっと体調が悪かったので、これはもしかしたら、、遂にきたか、、??

と、流石にやばいなと思い、PCR検査を受けました。もうこの1か月で受けるのは3回目。


なんとか陰性でしたが、症状はずっとよくならず悪いまま。

張りつめていた「気」が抜けてしまった。
油断したのか、弱っていたのか。

病は気からとよく言いますが、まさにその通り。
やる気、根気、負けん気、正気、覇気、陽気、、etc、、

「気」とつく言葉って結構あるのね。
他にも沢山あるのだろうけど、「気」が完全になくなってしまった1月後半でした。
SNSなどもやっと今日からやる気が出てきました。

あ、体調は1月末からすっかり良くなり身体は元気ですよ。本当に。
まずは身体を健康に。その後に心を。

美味しいものを食べよう。
これは先週、藤沢税務署に用があり、その帰りにいった藤沢のタイ料理屋さんのランチ。

CHAPSTOCKというお店のガパオとラープとコーヒーとデザート。

…神がかってた。こんな美味しいお店があるのか。病み上がりだったのもあるのかもしれないが本当に本当に美味しかったので、ぜひ藤沢に立ち寄った際には、皆さん食べに行ってくださいな。
僕はもう3回もいきました。1週間で。
デザートと珈琲も本当に格別。え、こんな美味しい珈琲初めてかも。
25年間も藤沢に住んでいたのにこのお店を知らなかったのは本当に損してた気分。
そしてがんばれ個人飲食店。

人って、美味しい食べ物食べるだけでも幸せな気分になれる生き物なんだなあ。
複雑なように見えて、きっと単純。

「気」の話も調べてみると色々面白い。
そして単純。気の持ちようですね。

さあ、気を取り直して、2月からまたがんばっていこうと決めた棒太郎でした。

病み上がってから最近、筋トレとバッティングセンターと1人カラオケのルーティンを平日はやっています。何でも上手くなるぞー。

ちなみに今の自分に想い入れが強すぎるこの歌を、3日前に歌って、1人カラオケボックスで泣いていました。


実は今日から、僕は小屋入りしています。
舞台監督と美術です。

このご時世、現場があるだけでもありがたい。
虹の素の宮本悠我も客演しています。
皆さま、お気に入りかけて頂けたら幸いです。

「まいっちんぐマンガ道ー希望への扉ー」

大好きな藤子不二雄さんのお話。ドラえもんの誕生秘話など。実話盛り沢山の素敵なお話。

ドラえもんの香りのする、舞台セットもできました。笑
志を持ち続けること。守ること。場所と人を大切にすること。


今日思ったこと。
自分は好きなことをやってるのだから、大変なことがあっても、嫌なことがあっても笑顔があり続ける現場にしようということ。
だって好きだからこの仕事やってるんだから。
大変だけど、好きだから。

楽しもうよ。楽しまなきゃ。
僕らは人を楽しませるために、喜ばせるために、素敵な気持ちにさせるために「演劇」をやることを選んだんだから。

全ては「気」の持ちよう。
受け取りかただ。

明日から池袋通いの日々。
本当に沢山のことに気をつけながら、この公演を無事に終えます。



久しぶりにきたシアターグリーン。
目の前の通りが綺麗になってた。
いい劇場、いい人たちだ。

いい演劇人でいよう。

これを読んでいる皆さんは、当然小学生くらいではないと思います。

下は中学生くらいから、上は全然大人が読んでいただいていらっしゃると思うのですが、きっとみんな一度は感じたことがあるんじゃないのかなあと思うのは自分に自信がない男の現実逃避でしょうか。

 

このブログは普段言わないことや、見せない(見れない)一面だったりがブログを読んで切れている人だけに垣間見えるのがいいところだと思うのでせっかくなので赤裸々に書きますが(この前もそんな感じだったけど)

 

 

 

 

僕は誕生日を迎えるのが好きじゃありません。いつから好きじゃなくなったのかは覚えていませんが、小学生高学年くらいにはすでに『誕生日』という記念日に対して感情は薄かったです。いつもの日常の1日。

 

なんでかっていうと小学生くらいの僕にとって、歳を重ねることって死に一歩ずつ近づいていっている気がして、当時の僕にはとても恐ろしいことで、まして祝うなんて気にはなれなかったからです。

誕生日に食べるケーキや、年間にそこくらいしか鳴らさないクラッカーは好きでしたが。

 

『誕生日がめでたいもの』って、もう割と『刷り込まれた感情』じゃないですか?(極論というか偏見というか、ですが。)

『キリストの誕生日は素敵な日』のように、『誕生日とはめでたいもの』という固定概念が刷り込まれている気が僕はして、子供心ながら反発したくもなったのかもしれません。

 

高校生~高校卒業した頃くらいの僕は別の理由で誕生日が嫌いでした。今も割と継続した感情です。

大人になると背負うものが多く大きくなっていったり、成長を余儀なくされるから。15歳で10できていたものが20歳で10ではいけないから。

成長しなきゃ行けないのが嫌でした。プレッシャーで。誰でも一度は感じたことあると思うし、でもそんなこと言うのもダッセーから誰も言ってないだけで。僕もそんなこと(誰でも感じているし自分だけじゃないから)言うのダッセーので一回も言ってこなかったですけれど、

今成長が求められる節目の時期を迎えていて、それがすごくプレッシャーです。

小学生の気ままで毎日友達と遊びに駆けていた毎日。

中学生の一生懸命に打ち込んで、仲間と絆で繋がっていた毎日。

高校生の責任感を持って望んで大人の一員と思ってやっていても、本当の意味で大人と同じだけの責任を背負っていたわけではなかった毎日。

 

成長ってなんだろう。どうやってするものだろう。10代なんて放っておいても成長する。心と体が成長し、色々な人と触れ合い、人格形成期ですから。

 

でもある程度動物として育ちきったここから、人間としてどうやって成長していくか。新しいところに飛び込んでいく必要があるのかなと感じています。具体的に何をするつもりなのかは今後の動向を見守って頂けると幸いです。

 

時々どうしようもなく昔が愛おしくて、何も難しいことを考えなくてよかったあの頃に戻りたくなることがあります。

それでも応援して欲しいのです。背中を押して欲しいのです。そしてきっとまた帰ってくる時に快く迎えて欲しいのです。だからまた会える日までどうぞ忘れないでいてください。

 

 

 

 

 

いやあ、読み返してみるとダッセーなぁ。かっこいい男なんて僕には無理だな。ガラじゃないしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は『ブレイブストーリー』がとても大好きで、その主題歌の『決意の朝に』が本当好きでよく聞いて、勇気をもらっています。

ぜひ、『ブレイブストーリー』、見てください。

 

https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiQz_ST48DuAhWIdd4KHceMCxAQyCkwAHoECAIQAw&url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DmLMluQow_TA&usg=AOvVaw1DXmRwHaDLpw1pTZ3NstI6

 

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どうせならもう ヘタクソな夢を描いていこうよ

どうせならもう ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を

「気取んなくていい かっこつけない方がおまえらしいよ」

 

 一生懸命になればなる程 空回りしてしまう僕らの旅路は

 小学生の 手と足が一緒に出ちゃう行進みたい

 それもまたいいんじゃない? 生きてゆくことなんてさ

 きっと 人に笑われるくらいがちょうどいいんだよ

 

 心の奥の奥 閉じ込めてた本当の僕 生身の36度5分 飾らずにいざwe don't stop

 けどまだ強がってるんだよ まだバリアを張ってるんだよ 痛みと戦ってるんだよ

 

 辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕達は強がって笑う弱虫だ

 淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ

 僕だけじゃないはずさ 行き場のないこの気持ちを 居場所のないこの孤独を

 抱えているのは…

 

 他人の痛みには無関心 そのくせ自分の事となると不安になって

 人間を嫌って 不幸なのは自分だけって思ったり

 与えられない事をただ嘆いて 三歳児のようにわめいて

 愛という名のおやつを座って待ってる僕は

 アスファルトの照り返しにも負けずに 自分の足で歩いてく人達を見て思った

 動かせる足があるなら 向かいたい場所があるなら この足で歩いてゆこう

 

 もう二度とほんとの笑顔を取り戻すこと できないかもしれないと思う夜もあったけど

 大切な人達の温かさに支えられ もう一度信じてみようかなと思いました

 

 辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕達は強がって笑う弱虫だ

 淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためだけど

 過ちも傷跡も 途方に暮れ べそかいた日も 僕が僕として生きてきた証にして

 どうせなら これからはいっそ誰よりも 思い切りへタクソな夢を描いてゆこう

 言い訳を片付けて 堂々と胸を張り 自分という人間を 歌い続けよう

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜