虹の素解散によせて 猪熊竜久馬 | Essence of Rainbow

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横浜の劇団。「虹の素」のブログです。
虹の素は2023年11月18日 解散致しました。永らくのご声援ありがとうございました。

ホームページ↓
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読んでくれてどうもありがとう。

虹の素の猪熊です。

 

というご挨拶をするのも、本日で最後になります。

 

今日、11月18日は、

私が高校在学中に、「虹の素」という団体名を掲げて、初めて校内で公演を行った日です。

今からもう15年も昔のことになります。

 

ちなみに、「虹の素」という団体名を思いついたのは、それよりも4ヶ月ほど前。

7月の16日。「ナナイロ」で虹の日でした。

 

そうして、卒業後に正式に劇団として旗揚げをし、

本日、その掲げた旗を降ろします。

 

今日は、これまで虹の素に関わってくださった皆様に、

感謝御礼を申し上げたいと思います。

 

この3ヶ月の間に、たくさんの人が連絡をくれました。

それと同じくらいたくさんの人が、気を遣って連絡を控えてくれました。

僕と直接の面識のない方々も、心配してくれたり、わかってくれたり、ぷんすかしてくれているということを、人伝に聞いたりしました。

どれもこれも、思いを馳せてくれてることが本当に有難いことだと感じています。

 

変わらずいつも通りでいてくれる人、

意図して敬遠する人、

手のひらを反す人、

一方的にしか見れない人、

全部包括して判断してくれる人、

自分の主観しか信じれない人、

駆けつけてくれるしばらく疎遠だった人、

 

この期間に声を届けてくれた人の言葉ではありますが、

「こういう時にこそ人間の本性が見えてくるよ」と。

そしてそれは、本当にその通りだなと。強く感じた日々でありました。

 

保育園の送り迎えで、自転車を漕ぐ私の背中に何か感じるものがあったのか、

保育園に着くまでずーっと背中をさすってくれた息子。

涙をこぼしながら自転車を漕いだこと、忘れません。

 

何日も寝たきりで身動きも取れない時も、

さすが山育ち、と思わせるほど一切動じずに、

本当にいつもと変わらずにいてくれた妻。本当にありがとう。

 

自分がこれまで歩んできて、築き上げてきたもの、積み重ねてきたこと、

取り組んできたこと、続けてきたことは、

 

顔も名前も知らないどこかの誰かじゃなくて、

一緒にごはんを食べたことのある人たちがちゃんと評してくれてるのだと改めて感じました。

そういう人たちがたくさんいることに、ただただ感謝しています。

お陰様で、潔く歩き始められた自分がいます。

 

時間は前にしか進まないし、道も未来へとしか延びていないので、

ゆっくりと歩いていこうと思います。

 

この3ヶ月で、演劇に対する熱はすっかり冷めてしまいました。

今は、演劇をやりたいとも観たいとも思いません。

緊急事態宣言の自粛の最中、演劇ひいては芸術は不要不急のものではないと強く信じてやまなかった自分も、

今はもう、特段必要なものであるとは思わなくなりました。

 

元々令和になってから、演劇に対しての自身の在り方にずっと悩みながら過ごしていました。
父親になったこと、ソーシャルディスタンスになったこと、
コロナ禍で次々に解散していく団体や演劇から離れていく仲間を目の当たりにしたこと、

このままではいけないと思いながらも、外出自粛や子育てを理由に、演劇に重きを置けなかったこと。

マスクに顔の大半を覆われ、離れましょう大声出すのはやめましょうの中で、

どう子供たちと関わったらいいのか誰も答えを見出せなかったこと。

 

まだやりたい、と、もうやめよう、を行ったり来たりしながら、

なんとかしがみついてやってきました。

 

これで終わりにしてもいいかな、という気持ちでのぞんだ、2021年の失恋博物館Ⅵ

大倉山記念館に、演劇の神様が観に来てくれました。

 

 

 

来ちゃったんだよなあ。

 

 

元々客席と舞台の境目がないという構造も相まって、館内が一体感に包まれた。

あんな幸福な空間、20年演劇やってても滅多に出逢えるものじゃない。

そんな瞬間に出逢ってしまった。ああ、演劇の神様、なんで今来てくれちゃうんだ。

まだ続けたいって思っちゃったじゃないか。

またみんなを愛したいって思っちゃったじゃないか。

 

おかげでここまで来ることができた。

おかげでここまで来てしまった。

 

6月編「オルテンシアの種」の千秋楽の拍手は、本当に本当に温かかったです。

7月編「ダーフォの国」もそれに近い拍手をいただきました。

 

この先続けていれば、どんな拍手がいただけたろうと、思わないこともないけれど、

終の公演としては十分過ぎるほど愛していただけたと感じております。

 

それも過ぎた話であり、

色んなものに限界を感じていたのに、それを見て見ぬ振りしていたのだということに、

自覚はしていたけれど、後になってやっぱりそうだったんだなとも思います。

 

さて。

この3カ月。いろいろなことがありました。

それまで過ごしてきた15年、ひいては演劇を初めてからの20年のことが、

文字通り吹き飛ぶくらいには、いろいろなことがありました。

 

そしてその一つ一つが、まるで神様から与えられたメッセージかの様に、

非常に示唆に富んでいて、私はそれに抗わずただ身を任せて流されていく。

そんな日々を過ごしていました。

 

 

 

虹の素の軌跡は、

このブログにあがっている記事を読んでもらえたら大体分かると思います。

10周年の節目に、振り返ってみたりしてますが、

そこからさらに3年経った今も、想いはほぼ変わりません。

 

 

というよりも、演劇関係の資料や持ち物などを断捨離している中で、

高校内で公演したことについて、学校誌に載せてもらったインタビュー記事が出てきたのですが、

当時から同じようなことを語っていて、

良くも悪くも、変わっていない自分がいました。

 

小学6年生の時好きだった女の子(私が演劇を始めたきっかけの子です)が、

卒業アルバムに私のいいところを書いてくれて、その良さをずっと無くさないでください。って書いてあって。

中学3年生の時の卒業アルバムにも、まったくおんなじこと(私のいいところと、その良さをずっと無くさないでという言葉)を書いてくれてて。

良くも悪くも、変わっていない自分がいます。

でもそんな自分を誇りに思います。

 

色んな人から連絡をもらい、

色んな人から、ありがとうと言ってもらいました。

一人ひとりからいただいた、今まですべての「ありがとう」が宝物です。

本当にありがとうございます。

 

最後に、演劇をやっていて、物語という作品をつくってきて、

身に染みてわかっていることがあります。

 

人生とは、決して順風満帆ではないということ。

山あり谷ありで、困難がつきものであるということ。

そしてそれを、自分の力で超えていければ、きっと今より少し強くなった自分に出会えるということ。

全ての人に等しく愛されるということなどあり得ないということ。

味方もいれば、敵もいるということ。

カーテンコールになれば、主役も悪役もみんな笑って並んでお辞儀をするということ。

誰も彼も、人生という大きな一つの物語の登場人物であるということ。

 

人間て、誰かに傷つけられるものだし、

また反対に誰かを傷つけてしまうものだし、

そこから救ってくれる人もいるし、

どこかで救ってきたこともあっただろうし、

 

嬉しいという感情も

哀しいという痛みも、

愛しいという想いも、

憎いという気持ちも、

 

この地球に生まれて、生きているから。

人が心を持てるのは地球のおかげ。

「Heart」は「Earth」のアナグラム。

 

これからも、図らずも誰かを傷つけてしまい、

また誰かに容赦なく傷つけられ、

その度に誰かに救われ、

また人知れず誰かの救いになっていく。

 

嬉しい時は喜んで、

哀しい時は泣いて、

赦せない時は怒って、

苦しい時は苦しいと叫んで、

 

ただ信じて、ただ愛して、

愛した分だけ哀しみを喰らって、

たくさんの痛みを抱えて、時と共に癒されながら、

生きていけたらいいなと思います。

 

虹の素で作品をつくってきた今までからこれまで、

その時々で、共につくる仲間も、客席で応援してくれる方々も、

たくさん入れ替わってきました。

そのすべてが、ここまでやってこれた自分の支えであり原動力でありました。

みなさんがいたから、ここまでやってこれました。

それだけは紛う方なき事実です。

 

あの時、一緒にいてくれてありがとう。

あの時、力を貸してくれてありがとう。

あの時、応援してくれてありがとう。

あの時、劇場に足を運んでくれてありがとう。

 

 

 

お送りしましたのは、

僕の大好きなアーティスト、槇原敬之さんで「どーもありがとう」でした。

 

ありがとう。ありがとう。

本当にありがとう。