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えらっきーの日記

日常の出来事を日記のように書いていきます。

今朝の読売新聞の1面の記事に食品消費税の記事があったのですが、その内容に疑問を感じました。

0は割り算ができない特殊な数字なので、消費税率を0%にするとシステム開発に時間がかかる、

という内容です。

 

消費税率で割り算をする場面なんてあるのでしょうか?

唯一考えられるのは、消費税から対象の商品価格を求める場合ですが、そんなことをする場面なんか、ないでしょう。

 

商品価格に消費税率を掛けて消費税を求める。

それを商品価格に上乗せする。

取引のあったすべての消費税を集計する。

 

割り算なんか出てこないのに、割り算により生じるエラーを気にしてシステム開発するということ?

 

 

あと、税率に0を入れられないシステムもあると書いてあるのですが、これも不思議。

わざわざ0が入らないように設計しているってこと?

何を気にしてそんなことしているのでしょう?

 

 

記事に書いてあることが事実であれば、どんな場面で割り算が出てくるのか、どういう理由で0を入れられないシステムを設計したのか、というところまで説明しないと、0にする気がないので、適当な言い訳を書いているだけにしか感じられない。

仕事で部下などに教えていて、答えに近づいてきたと喜んでいたら、余計なことをし始めて、答えから遠ざかっていくのを経験したことがあると思います。

この状況、2次曲線の動きに似ているな、と思いました。

y=x^2をグラフで書くと、xがマイナスから0に向かうにつれ、曲線がx軸に近づいてくるが、それを超えるとまたx軸から遠ざかる。

これが、教えたことで答えに近づく様子と、そこから余計なことをされて、答えから遠ざかる様子に似ている。

 

本人は遠ざかっているとは思っていなくて、よりよい方向に向かっていると思っている。

だから間違いを指摘しても戻ってこない。

明らかにおかしくなっていても気づけない。

 

こういうのを観察していると、部下などの能力の高さがわかる気がする。

能力が高い人は、自分の今の位置がわかっているから、x=0の状態で完成とわかるが、

そうでない人は、さらにその先があり、自分は優秀だからそれに気づいている、と思って余計なことをする。

 

自分の今いる位置を理解できるのは仕事をするうえで大事だと思う。

(もちろん、その結果、残業時間も少なくて済むでしょうし)

東京マガジンで特集されていた川崎市の下水道事故で、周りへの説明では被害者に寄り添うと言いながら、被害者には一切寄り添っていないという内容の話がありました。

 

企業もそうですが、「寄り添う」という言葉を使う場合、多くが言っているだけで、寄り添っていません。

寄り添っていなから、寄り添うと主張しないといけないわけで、本当に寄り添っているなら、そんなことを言わなくても、周りが寄り添っていると感じてくれるはず。

 

寄り添うという人たちには、具体的に何をやっているのかを質問するとよい。

具体的な話をされたら、その裏を取れば、嘘か本当か、すぐにわかるわけだし、回答が出来なければ、口だけだということがわかるわけだから。

久しぶりに日曜のこの時間に家にいるので、噂の東京マガジンを見ています。

途中からですが、川崎市の下水道事故のことをやっていますが、川崎市の対応に唖然としています。

 

川崎市の過失で下水道事故が起き、店舗が休業→閉店という事態になったのに、川崎市が碌な賠償をしない。

賠償が税金から出されるから、というのもあるという話だが、適切な点検を行っていないので、税金をもらって働いているにもかかわらず、やるべきことをしていなかったということなのだから、自分たちが不適切な業務をして税金泥棒をしていたことを咎められるものではないかと思う。

 

被害を受けた人は1日でも早く助けてもらいたいのに、被害を与えた側がお金も払わなければ、対応も怠慢というのは、非常に問題だと思う。

 

川崎市に住んでいたことがあるけど、こんなひどい行政の町だったんだと思うと、川崎市から離れて正解でした。

駅の柱や壁は汚いというイメージだったのだが、最近はきれいなことが多いです。

スマホを使っている人が寄りかかって、彼らの衣服で拭いてくれているから。

 

背中で拭いて、肩で拭いて。

なので、きれいなのは中ほどのところだけだと思いますが。

自転車の逆走、乗り入れ禁止の場所への乗り入れなど、ルールを守らない人がいるから、自転車の立場が悪くなる。

しかも、会社名の入った自転車やバックを持ってルール違反なんて、論外。

 

さきほど、某ハンバーガーショップのカバンを背負った自転車が、

・橋の工事のため、一方通行になっている歩道を逆走

・自転車乗り入れ禁止なのに自転車に乗って通行

・その先の道路で信号無視

というルール違反のオンパレードで通行していました。

 

そのお店のデリバリーサービスで、社名の入った、その会社のデザインのカバンだから、きっと走行中は広告の意味もあるのでしょうけど、ルール違反をしていたら、逆効果では?

どういう教育をしているのだろう?

 

 

ちなみに、そのそばの信号では、親子が自転車で近付いてきて、子供が赤信号で止まったら、母親が

「この信号はわたっていいの」

といって、母親が渡っていました。

(子供はそのまま信号を守っていました)

赤信号を無視していい信号なんてあるのかしら?

もちろん、車が通る交差点で、たまたま車がいなかっただけです。

 

問題のある人が子供に問題行動を教育していくことで、ルールを守らない人が増殖していく。

ルールを守らない人が増えるから、ルールが厳しくなる。

厳しくなったら、行動が制限される。

でも、それを守るのはこれまでもルールを守っていた人たちばかり。

まともな人が損をする社会が、いまも継続中です。

石油の問題から、容器の価格上昇や容器そのものの不足が話題になっていますが、そうすると、底上げ容器もなくなるんですかね。

平らにするより多くの材料を必要とするし、薄っぺらい場合は面積を狭くして少し厚みを付ければ、同じ容量で材料は少なく済むはずだから。

 

それとも紙の容器にして、底上げ継続するのかしら?

「あなたは不正をしている」

と指摘されて、

「私は不正をしていない。だから不正はない」

と回答して、それを信じる人がどれだけいるだろうか?

 

このような話は政治の世界ではいつも起きているが、普通は、この政治家の主張を信じない。

なぜ信じないのかというと、客観性がないから。

第三者が調査して不正がないと結論を出したら、それを信じる人が増えるでしょう。

それは客観性があるから。

 

信じない人もいる。

その第三者が不正を疑われている政治家に関連している可能性があるから。

たとえば、報酬を受け取っているとか、圧力をかけているとか。

そういう疑いを持っているから。

 

その回答にどこまで客観性があるか、というのが問題の結論への信頼性に関わっている。

政治家はなぜか客観的な調査を拒むことが多いように思う。

潔白なら客観的な調査で証明してもらえばいいのに。

その理由は、逆算すれば想像できるけど。

今朝の日経の記事で、生命保険の健全性の話が書かれていたのですが、ソルベンシーの規制が変更になるのに、古いソルベンシーの話を書いていました。

まだ新しいソルベンシーの数字は公表されていないから仕方ないのですが、なぜこのタイミングでこの記事を書くのかが不思議でした。

 

古いソルベンシーマージン比率は、簡便な計算で求めているため、200%を超えているかどうか以外はそれほど意味はない。

だから、大きいからいいというものでもない。

 

今年の10月末から11月頭にかけて各社公表するであろう新しいソルベンシー・マージン比率は、古いものよりは意味があるが、やはり新しい基準である100%を超えているかどうかしか意味がない。

 

会社の健全性を1つの指標だけで判断するのは難しい。

いくつもの指標で基準を超えるかどうかを見て判断していくしかない。

 

保険会社の役員を含む多くの社員でも、意味を分かっておらず、値が大きい方がよいかのような理解をしている人が多いので、一般の人が正しく理解できなくても仕方がないかなとは思う。

ただし、今回の新聞の記事のように数字だけ注目されて、その大小が営業に影響するような事態になれば、無駄にソルベンシー・マージン比率を高めようという動きは起きるでしょうけど。

新しい規制は、会社の恣意性の働きやすい制度になるから、不正も起こると思う。

そういう意味でも、あまりこの数字に判断を左右されない方がよいと思う。

今の保険会社は、そんなに簡単につぶれないと思うし

(不正で経営が苦しくなることはあるかもしれないが、数字で表せないから、わかりようがないし)

 

雨の日の新聞は袋に包まれていることが多い。

濡れないように、という配慮だと思うが、このご時世、資源節約のためにも、袋に入れなくてもよいのでは?と思ったりする。

 

どうせ読んだら捨てるものなので、そこまでサービスしなくてもよいとも思う。

こちらはこのご時世とは関係なく。