はじめまして
元短気・イライラ・自分責めメダリスト
現在は
ママの幸せ育児 応援団🌈
なかやえり です^^
↓↓↓
お母さんに
どんだけ甘えたかったんだ
切ない子どもの物語
前回のブログ
この投稿に関連して
今日はわたしのエピソードを紹介します。
都内から郊外に引っ越してきて
近所の子ども同士で遊び始めたのが
4、5歳のとき。
そこに親は付き添っていません。
昭和50年代の当時はそれが普通だったので
違和感は全くありませんでした。
ところが今回記事を書いたことで
何とも腑に落ちないモヤモヤが出てきたのです。
本当は
友達と遊ぶより
もっとお母さんのそばに
いたかったんじゃないのかな。
当時はよく仲間外れにあって
「もう帰る」と
泣きながらキレて先に帰っていました。
幼なじみに多少のしこりがあったのも事実。
けれど、実は
お母さんの元に
早く帰りたかったから
あれでちょうど良かったかも
しれない。
そんな思いが湧いてきたのです。
また6歳のときにはこんなことがあってね。
幼なじみのひとりが
「前に住んでいた家を見に行こうよ」と
補助輪付きの自転車で
母親に内緒で
隣町まで3人でガラガラ漕いで探しに行ったこと。
踏切や大通りを渡ることで
未知の場所に踏み込むことが怖くて怖くて
行きは「もう帰りたい」とべそをかき
帰りは「ママに会いたい」と号泣しながら
夕暮れの中、懸命に後を追って自転車を漕いだ。
子どもだけで遊ぶには、わたしにとって
まだまだ早過ぎたのかもしれない。
当たり前過ぎて気づかなかったけれど…
あのころ淋しい思いが
たくさんあったんだ。
あれから約30年のときを経て
母になったわたしは
子ども達を公園や児童館、
散歩に連れていくことに必死になった。
小さな子ども達と一緒に過ごすことに
誰よりも執着していたのは自分自身だった。
こだわりが強かったからこそ
外に連れて行けないときは自分を責めていた。
かつてのわたしみたいな淋しい思いを
子ども達にさせたくなかったんだな。
お母さんと
もっと一緒にくっついていたかったなぁ。
皆と遊ぶのが当たり前すぎて
なんか言えなかったんだろうな。
ギュッと抑えてしまったんだろうな。
ここにハッキリと気がついたのは
心の学びをしてから2年が経っていました。
わたしには忘れられない1枚の写真があります。
それは年長のころ。
初夏の散歩道でお母さんのおんぶを
嫌がって泣いている姿。
恥ずかしくて「降りたいー」と大泣きしたのを
鮮明に記憶しています。
けれど写真の母の表情は嬉しそうで
わたしを大切に思っていたんだなということが
よく分かった。
わたしは
自立を急いでしまったのかも
しれない…
長年の拗ねキャラは
「母に甘えたかった」ここに尽きるようです
「どんだけ甘えたかったんだよぉ」と
認められたことは安心感をもたらしました。
気づきのタイミングというのは
人それぞれのペースがあって、
準備ができたときにおのずとやってくる。
だからあわてなくていいんです。
今できることをコツコツとやっていけば
向こうからやってくるから。
自分が何を考えていたのかを知ることは
自分を好きになるきっかけになります。
自分を肯定できるようになると
人生が楽になるからね。
一歩ずつ、共に進んでまいりましょう
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