「すわりのいい船だ」 ②
朝採った海苔は、その日のうちに干さなければ質が落ちてしまう。「太陽が昇る前」が勝負だった。
「最盛期は冬。まだ星のきらめく夜明け前から仕事を手伝った。羽田沖の空が白むにつれ、一つまた一つと星座が消えていく大宇宙の運行は、実に幻想的であった」(2003年1月21日付「聖教新聞」)
冬の1日は「海苔切り」から始まった。池田は2枚刃の包丁4本を備えた「海苔切り機」を器用に使った。細かく刻んだ海苔は父の子之吉(ねのきち)が水に溶かした。
次に「海苔付け」である。葦を編んだ「海苔葦」の上に、20センチ四方ほどの大きさの木の枠を置き、升で掬った海苔を流し込む。
今も東京湾で海苔養殖を行う実形博行(千葉・木更津市、ブロック長)は「午前2時か3時頃、遠くから聞こえるコンコンという音で目が覚めるんです。父親が四角い木枠に升を打ち付けて『海苔付け』をする音でした」と語る。
そして「海苔干し」である。水を切った海苔葦を、晴れた日は野外に出す。少年時代の池田はこの「海苔干し」もよく手伝った。何千枚もの巨大な「海苔の壁」が、どこまでも続いた。
「たしかに海苔干しは子どもの役目でしたね。つまようじを大きくしたような『目串』を使って、海苔葦を干し場に止める作業もありました」(実形)。
北風の激しい日は「いいあんばいで」とあいさつを交わした。「寒い」は禁句だった。
「いい海苔は、凍てつく北風がつくってくれる」と池田は記している。寒風が強いほど海苔の色つやがよくなると言われていた。