世界の食料危機が叫ばれた1973年、
創価学会に「農村部」(現・農漁光部)が誕生。
農林漁業に汗を流して社会を支える友を
池田は励まし、人知れぬ労苦をたたえる。
その胸には、北風荒ぶ冬の海にも出て
家業の海苔づくりを手伝った
少年時代の原風景があった。
生命を尊ぶ文化の礎は農漁村にこそある──
「地域発の時代」を開く群像を追う。
辻村清一は花づくり一筋の農家だった。その日は慣れない背広に身を包み、池田大作の到着を今か今かと持っていた。
香川の綾歌町(当時)、1972年(昭和四十七年)六月十九日──
「父は事前に『訪問するかもしれない』と連絡を受けていたそうです」。息子の彰教(丸亀市、副支部長)が語る。
池田を乗せた車は、香川から高知へと向かう国道32号を南下した。辻村の花卉農園は、国道から脇に入った県道沿いにある。ゆるやかな起伏に富んだ大地が讃岐山脈へと続き、ため池が随所に設けられている。
四日間の四国指導の真っ最中だった。池田は前日、香川・高松市の屋島体育館で6000人との記念撮影に臨み、徳島大学会と香川大学会の結成式や、青年たちとの懇談にも出席した。
「お忙しいところお邪魔します」。
正午前、池田の声が響いた。辻村は準備していたとおり、まず自宅に案内しようとした。
「しっかり大掃除していたそうですから(笑)でも先生は、すたすたと花の温室の方へ向かわれたんです」(辻村彰教)。
「入ってもいいかな」。辻村夫妻とともにガラスの温室の中を歩いた。辻村と妻の貴三枝が手塩にかけ、胸元あたりまで伸びた菊の黄色、カーネーションの深紅、グラジオラスのオレンジが、緑の葉によく映えていた。
「花を切ってみてください」と辻村は勧めた。ハサミを手渡され、「切っていいのかい? 温室できれいなお花を切るなんて初めてだよ」と池田。辻村のアドバイスに従い、池田はカーネーションやグラジオラスを慎重に切って妻の香峯子に手渡した。香峯子は両手で色とりどりの花々を抱えた。
「カーネーションは、五月の『母の日』で出荷を終えて翌年の準備に入ります。しかしあの年、父は『もしかしたら池田先生に見てもらう機会があるかもしれない』と、一部を出荷せずに残しておいたんです」。