「すわりのいい船だ」 ①
農漁業に携わる人々と池田の交流史を辿ると、池田の少年時代の原風景──「海」に行き着く。
「幼き日
母が語りし
ロマンかな」
1984年(昭和五十九年)に発刊された『羽田の漁師』という絵本に、池田が揮毫した句である。脇に「故郷の思い出」と書き加えた。創価大学の「池田文庫」の一冊として、これまでも展示されてきた。
海に生きる人々に、池田は人一倍の思い入れがある。その思いに間近に触れた一人が、北海道の学会草創期を支えた船大工、佐賀久五郎である。
北海道・駒ヶ岳を望む学会の函館研修道場。この地で池田は周囲の求めに応じ、小さな船に乗ったことがある(1978年六月二十二日)。それは佐賀久五郎が建造したものだった。大正生まれの久五郎は、小学校を出るとすぐ奉公に出された。オホーツク海やベーリング海に出る木造船を作り続けた。池田の乗った船は、この道50年の久五郎が退職記念に手がけた一艘だった。
「父は長年、『先生に一度、自分の船に乗ってほしい』と願っていました」(長男の久吉。函館市、副ブロック長)。夢がかなったその日、久五郎の船を、息子の久吉が操縦した。湖岸に立った久五郎は、池田を乗せた小舟が、風の拭き抜ける大沼を滑るように走る光景に目を細めた。
湖上でのひとときの憩いを終え、岸に戻った。池田は船から降りて、おもむろに「船縁」を両手でつかんだ。何度か船を揺らした。「『すわり』のいい船だね」と池田から褒められ、そばにいた久五郎は驚いた。
そのなにげない池田のしぐさは、「漁師が船の善し悪しを調べるやり方と同じ」だったのだ。