EIKOの気まぐれ闘病日記 -192ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 「おい、身体は空いているか」

1本の電話から現場は動き出す。

舛田利雄(映画監督)らスタッフが三々五々と召集されたのは、1972年(昭和47年)の暮れである。

活動シャシン(映画の旧称)が三度の飯よりも好き。

撮影。証明。美術。録音。音響。スチール。小道具。大道具・・・・・。一家言をもっている。いいシャシンのためなら、どんな苦労も厭わない。独特の美学とプライドを持った職人集団である。

 映画制作の常連が東京・砧の東宝スタジオに続々と顔を出した。

一冊の台本が用意されている。

映画『人間革命』

原作は、創価学会の池田大作会長である。

舛田はアクション映画、戦争映画が十八番。70年には日米合作で真珠湾攻撃を題材にした『トラ・トラ・トラ』を大ヒットさせた。まったくの桁違いである。心中に期するところがあった。


 映画制作の現場には、不思議な魔力がある。

監督は主人公ばかりでなく、裏方の職人にいたるまで、人を熱く、のめり込ませる。

作り手が熱狂できない作品が、観衆を魅了できるはずがない。

映画『人間革命』が生まれた現場には、どんな葛藤や感動があったのか。映画人たちの眼に、池田会長は、どのように映ったのか。

 2006年も押し迫った12月20日、幕田は創価大学で講演を行っている、人気講座「トップが語る現代経営」である。

 武蔵野の冷え込みは、仙台市内とさほど変わらない。どれほどの学生がいるだろうかと、期待半分で大教室に入った。

 大拍手が頭から降るように聞こえてくる。場内は満員である。しかも最前列の机に、横断幕が張り出してある。

「創価大学へようこそ 幕田学長 東北出身者一同」

なんと同郷の若者が歓迎してくれていた。

創価大学には地方出身者同士のコミニティーとして県人会組織がある。なかでも、東北グループの結束が最も固いと言われる。

きょうも彼らが前列に陣取り、幕田を迎えている。

東北電力の相談役を務める幕田。多くの人を前に語る機会は多い。

眼光鋭く場内を見渡す。すこし勝手が違う。携帯をいじったり、居眠り、私語をする学生がいない。むしろ突き刺すような視線を感じる。

この熱意に応えなければ。講演に力が入った。


 後日、幕田は東北出身の創大生に、感動の思いを込めて、愛読書『孫子』を50冊贈った。

ちょっと今どきの学生に合うかどうか懸念したが、思いがけない反応があった。

「感想文を届けてくれてね。こんな・・・・・・」

表情がすこし緩むと、文集の大きさを指先で描いて見せた。学生が自ら、仙台まで届けに来た文集は、丁寧に装丁され、情熱漲る文面が綴られていた。

これほど「打てば響く」とは。

東北を代表する財界人として、人を育てる難しさは痛感している。

しかし創価大学には知・情・意を備えた人材が育っている。

しかも、うれしいことに「郷土愛」を持っている。これほど頼もしいことはない。

今日、東北の自然と人間性の豊かさが注目されはじめている。だが多くの若者が、郷土である東北を離れて就職している。

 幕田は、創価大学の教員が語っていたことを思い出した。

「学生たちの最大のエネルギーは、創価教育に流れる『師弟の精神』です」

なるほど。あの学生たちを育んでいる池田会長の情熱と努力に、深い感慨を覚えた。

池田会長が東北に築いた「人材の城」である。



      「人材の城」東北  終了

 キャンパスの木々が色づきはじめた、2008年(平成20年)の10月11日。創価大学の記念講堂は、朝から学生たちの熱気に包まれていた。

「創大祭」の開幕を告げる「創価栄光の集い」に引き続き、創立者の池田会長にフィリピンの市立マニラ大学から「名誉人文学博士号」が授与されたのである。

 同大学理事長で、マニラ市長を勤めるアルフレッド・リムをはじめ、来日した大学首脳とともに、日本の各界を代表する来賓も多数列席し、祝福した。

 学位記をを拝受した、池田会長が演壇に向かう。記念のスピーチは意外な一言から始まった。

「最初に学生の皆さんに聞きたい。親孝行している人?」

満堂から「ハイ!」と返事。

「うれしい。本当だね?」

ドッと笑いが起こる。

「学生の皆さんが親孝行であることが、一番うれしい」

会場の隅々にまで熱い視線を注ぎながら、繰り返し語った。

来賓席で、じっと聞き入っていた、福島民報社の会長・花田勉。式典が終わった後も、興奮が冷めない。案内した東北の学会幹部に語った。

「青年の成長を願う、池田先生の言葉に思わず目頭が熱くなりました」

「実は十数年前にも一度、創価大学を訪れたことがあります。きょう、キャンパスを拝見し、目覚しい発展ぶりに驚きました。池田先生の構想は本当に素晴らしい」


 仙台の北西にそびえる東北電力本店ビル。通称「エナジースクエア」。

地上28階立てで、塔屋の2階部分も含めると、仙台で最も高いビルの一つである。

2009年6月19日の午後。エレベーターに乗り込み、26階へ。20人程は楽に座れる広々とした応接室に通された。正面の窓からは、青葉山方面の市街地が一望できる。

 東北経済連合会の幕田圭一会長は一人で現れた。精悍な顔つき。軽く頭を下げると、大きな足取りでソファーへ進み、腰を下ろした。

 話題は自然と東北の経済情勢や電気自動車に。「百年に一度」と言われる経済危機は、東北も例外ではない。

 東北のブロック紙『河北新報』(2009年元旦号)で幕田は、増田寛也元総務省と対談している。

そこで、東北が誇るものとして人材を挙げ、人材育成こそ東北の活性化のカギと論じた。

 増田は、おもむろに口を開いた。

「創価大学は、いい人材を育てていますね」

創価大学での出来事が強く印象に残っていた。



一般的に、うつ病の最悪の症状と言えば「死にたい」と自殺を考えると思います。

しかし、私は信仰をしているので、自殺はいけないことだとわかっていました。

なので私にとっては、自殺=一人になることでした。

私の夫は仕事が忙しく、休日出勤などザラでした。たまに夫が休みでいることが、嫌で嫌で仕方ありませんでした。いつの間にか、私は夫に怯え、ビクビクするようになっていました。


私達夫婦は、私の両親と同居していましたが、私が家出しても、夫は実家から出て行ってくれません。


離婚届の証人の欄に両親にサインしてもらいました。


家出から7ヶ月後、離婚を渋っていた夫も、両親のサインを見て、やっとサインをしました。

離婚して経済的に困窮するようになりましたが、今でも離婚して良かったと思っています。

 良くなったり悪くなったりの波を繰り返しながら、だんだんと布団から出られるようになってきました。

 そうして日常生活を送る中で、だんたんとうつ病になった本当の理由がわかってきたのです。

うつ病を発症をした時は、何が原因でうつ状態になったのか、自分では分からないのです。


 一番初めに受診した医師から「うつ病が治るまでは、退職とか離婚とか重大な決断はしないように」と言われました。

 でも私がうつ病になった原因は、仕事ばかりで家庭のことを何も考えない夫が原因だったのです。息子に兄弟を作ってあげたくて相談した時、冷たい言葉を言われてとても悲しい思いをしました。自分で思ったよりもこの時のショックが大きかったようです。


 私のこの頃の心境は「誰もしらないところでひとりになりたい」との思いでした。

夫に離婚を申し出ましたが、中々離婚を承諾してくれません。

私は家族に何も話さずに、アパートを借りて家出をしました。ちょうど息子が小六の冬休みでした。息子が小学校を卒業したら、迎えにいくつもりでした。


 パートの仕事を見つけ、私の新生活が始まりました。

この時はうつ状態は治まり、予防のため服薬はしていました。