東奥日報社(青森)の塩越隆雄。
秋田魁新報社の小笠原直樹。
岩手日報社の三浦宏。
河北新報社(宮城)の一力雅彦。
山形新聞社の黒澤洋介。
福島民報社の渡部世一。
2009年3月、都内。東北六県紙の社長が一堂に会していた。異例のことである。聖教新聞社紙上での対談が行われた。
いずれも、県の木鐸として論陣を張る言論機関のトップ。それぞれ何を語るのか、互いに注目している。
満を持して語りだしたのは、山形新聞の黒澤だった。
「東北の人間観・文化観は、今後、世界をリードしていくと思えてなりません」強い確信には、根拠があった。
1965年(昭和40年)3月、駐日米大使のエドウイン・O・ライシャワーが、まだ雪深い山形を訪れた。
巨大な工場や高速道路で成り立つ日本の他に、山脈や大森林が広がり、村や町が点在する快適な生活空間をもつ「もう一つの日本」が存在することを知った。
後年、こう印象を綴っている。
─私は強く言いたいのです、山形を良い例として『もう一つの日本』を見落としてはならないと。将来において自然と人間が健全なバランスをとっている。そのような『もう一つの日本』に日本全体がなることを望みます─(ハル・M・ライシャワー)
ライシャワーの”山形観”は県民の大きな誇りになった。後に黒澤は、池田会長がライシャワーと二度(65、66年)会見していることを知る。
「池田会長の世界との識者との会見は、まさしく驚異としかいいようがない。対話力が、スバ抜けています」
つねずね会長も、地方で生き抜く人間を、もっと大事にし、強くしていくべきだと主張している。
「民主音楽協会や東京富士美術館が展開する企画は、山形の文化や生活が豊かになるきっかけです」
人の繋がりがバラバラになっている時代にあって、学会の人間と人間を信頼の絆で結ぶ活動に期待しています」