EIKOの気まぐれ闘病日記 -194ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 2箇所目の診療内科を受診した半年後、うつ病が長期化しているという理由で1ヶ月半入院しました。

 入院した部屋は6人部屋でした。

入院してから1週間程、点滴治療と服薬治療が始まりました。入院時は様々な薬を試していきます。

 入院生活では、強い睡眠導入剤を服用しているのに、ほとんど眠れずとても苦しい思いをしました。

 医師の指示で、午前と午後の2回散歩に出ていました。それでも夜は眠れませんでした。

 医師になんとか早く退院させて欲しいとたのみ、早めに退院しました。


 しかし、薬の種類が睡眠導入剤も含め10種類に増えてしまいました。

アモキサンカプセル、デプロメール、ラシックス、トリプタノール、パシキル、プルセニド、サイレース、ベノジールカプセル、ハルシオン、セロクエル です。


 約2ヶ月後に少し薬は減ったのですが、アモキサンカプセル、デプロメール、リタリン、ラシックス、パシキル、プルセニド、サイレース、ベノジールカプセルと、8種類の薬を2週間分もらっていました。

 2週間分の薬代だけで、5千円を超えていて経済的にも大変でした。

しかも院長の診察は、患者の話をほとんど聞かずに3分で終わりでした。


 この病院に通院している時、あることに気がつきました。

会計時に、数百円しか払わない人がいるのに対し、私は1500円ほど支払っていました。同じ診察なのに何故だろう?

そして調べた結果、自立支援医療制度を知りました。

 ブナ、カツラ、カエデ・・・・・・。葉脈まで透けてみえる若葉が頭上をおおい、奥入瀬渓流は緑の光に染まっていた。

 2007年(平成19年)5月20日、英国グラスゴー大学の博士マンローは、あこがれの場所までやってきた。

「ワンダフル!故郷のスコットランドのように美しい!」

マンローは池田会長に同大学の名誉博士号を贈る時「滝の詩」を引用している。(94年6月)

「その人格を表しています。勇敢に、継続的な努力を惜しまずに進む。池田会長のイメージにぴったりです」

「滝の詩」に魅かれて、奥入瀬まで来たのである。しかし、いざ会長が立ち寄った「白糸の滝」を前にしてみると、切り立った岩場から白い糸のように水が落ちている。たしかに優美だが、詩を貫くダイナミズムとは程遠い。

 しかし詩は心の世界の表現である。

 白糸の滝は確かに細いが、渓流の音は、岩や樹間に反響して、壮大なシンフォニーのようになって、降り注いでいる。そこに浮かび上がる滝を詩人はとらえたのか─。

 マンローは母国と日本の交流に思いをはせた。地元の学会員に語った。

「川が流れ、すばらしい滝になるように、人間交流は、挑戦する精神、知性、才能、経験を高め、エネルギーとなり、それが栄光となって表れるのです」

「いつの日か、奥入瀬の滝のイメージこそ、創価大学とグラスゴー大学の流れをつなぐシンボルとして、歴史に輝くと確信します」


 奥入瀬渓流に近い東北研修道場。

訪問したマンローを、学会員の壮年の一団が迎えた。

合唱を始める。勇壮な音律に合わせて、男らしく堂々と歌いあげた。

あの「滝の詩」に曲をつけた歌だと聞き、マンローはいたく感激した。

曲は、会長が「滝の詩」を詠んだ数年後に誕生した。奥入瀬の地元の会員数人が知己に当たり、作曲してもらったのである。

 以来、奥入瀬の会員は30年にわたって大切に歌い継いできた。

 この日の合唱を機に、池田会長も曲の存在を知った。収録されたCDを、繰り返し聞いた。さらに全国の会員が集う会合で「ぜひ、皆さんにも、お聴かせしたい」と、自ら曲を紹介した。

 参加者は一同に驚いた。「こんな曲があったのか!」

「滝の詩」は一躍、全国で愛唱される歌となった。

奥入瀬の会員は沸き立った。

「私たちの小さな歌声を、先生は聞いてくれた。それが嬉しくて、嬉しくて」

 私が精神科を受診して、服薬治療を始めたのが平成10年の11月でした。


レスリンとソラナックスに始まり、アナフラニール、デプロメール、メイラックスなどを服用しました。

母は当時、私が寝てばかりいることを心配していましたが、医師曰く、寝ていることで神経が休まるので、心配はいらないと言っていました。


 ところが、翌年の3月にうつ病の症状はすっかり治まったので、自分で勝手に通院を止めてしまったのです。

5月にうつ病が再発してしまいました。勝手に通院を止めたり、服薬治療を止めたりすることで、返ってうつ病が重症化しやすいことを、後から知りました。

私が闘病に13年もかかっているのは、この時から始まっている気がします。


 最初の病院に2年ほど通院した頃、母が近所の人から、「○○病院がいいらしいよ」と聞いてきたことがきっかけで、違う心療内科に転院しました。

しかし、この転院は今考えれば失敗でした。

 この病院は典型的な、服薬治療を重視する病院で、一つ症状を言えば1種類薬が増える病院でした。


 最初の精神科で処方された薬が、デプロメール、メイラックス、アモキサンカプセルの3種類だったのに対し、2箇所目の心療内科では、アモキサンカプセル、デプロメール、ドグマチール、メイラックス、レンドルミン、ハルシオンでした。

 睡眠導入剤を含め3種類も薬が増えました。

そして母がまた近所の人から、院長先生が上手だと聞いてきたので、途中から院長先生に担当医を変えてもらいました。


 そして通院してから半年が経った頃、うつ状態が長く続いているので、入院した方がいいと言われ、入院することになりました。

 1971年(昭和46年)に記念撮影会の舞台になった青森山田高校。今や文武両道の名門学園である。ボクシングの畠山隆則(元世界チャンピオン)、卓球の福原愛、テニスの錦織圭なども学んでいる。


 池田会長を迎えた日、高校側の受け入れ担当者だった木村隆文は現在、学園理事長(同校校長)。忘れがたい記憶がある。

「あの日、今度、遊びにいらっしゃい、と声を掛けられたんです。びっくりして、どこにですかって聞くと、東京の信濃町ですよって言われましてね・・・・・・」

 後日、信濃町の学会本部を訪ねた。

「まだ暑い日でした。池田先生は応接室で迎えてくれました。あの時は、お世話になりました、と丁重にお礼を言われました。ずっと年下の私に対して、まったく偉ぶらない。こっちのほうが恐縮しました」

 

 記念撮影会の終了後、卓球大会が行われた。会長もワイシャツをまくり上げてラケットを握った。木村は、会員の中に飛び込んでいく姿に魅せられた。

「巨大な団体を束ねる人は、人脈といい、知識といい、五体から醸し出される魅力的な光がありますね。人間として重みがある。重厚な人柄を感じました」

 40年近くたった今なお、その思い出を大切にしている。

 私には元々、甲状腺機能低下症(橋本病)の持病があります。


橋本病の治療のために通っていた大学病院の内科医に相談し、紹介状を書いても


らい、同じ病院の精神科を受診し、服薬治療が始まりました。


 最初の診察は1時間くらいの時間をかけて行われました。


どんな症状がでているのか、家族構成など、いろいろなことを聞かれました。


 一番最初に処方された薬は、レスリンという抗欝剤と、ソラナックスという抗不安剤


でした。抗欝剤の効果が出るのは、2,3週間後です。又、口が渇くなどの副作用が


出ます。


 精神科の治療では、抗欝剤の効き方を見ながら他の抗欝剤に変えながら、患者に


会う薬を探していきます。


 私の場合は、副作用の少ないSSRI系の抗欝剤のデプロメールなどを処方され、


少しずつ強い罪悪感や自己嫌悪がだいぶ楽になりました。