EIKOの気まぐれ闘病日記 -181ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 結核・肺がん検診(胸部レントゲン)と、健康診断に行ってきました。


会場に着くと、早くもレントゲンには長蛇の列が出来てましたガーン


追加の検診なのにもかかわらず会場は大混みでしたガーン


おじいちゃん、おばあちゃんに混じって、尿検査、血圧、身長、体重、採血などを調べ


ました。

 

ショックだったのは、BMIと腹囲が標準よりオーバーでしたガーン


完全にメタボですガーン


来月結果が出ますが心配です。



 これを悔しがった人物が、かつてスペイン領であったフィリピンにいた。

 ホセ・リサール協会の会長キアンバオ。旧宗主国の君主との会見を実現したい。一案を巡らせた。

 1998年(平成10年)、リサール協会はフアン・カルロス国王に「リサール大十字勲章」の受章を決定した。そのプレゼンターを、池田会長に要請したのである。

 池田会長も同勲章の受章者である。おりしも同協会第一号の「リサール国際平和賞」の受賞のためフィリピンに滞在していた。

 2月11日。会場のマニラホテル。

 キアンパオは、池田会長の装いを見て、にこにこした。

 フィリピン男性の正装「バロン・タガログ」ではないか。よく似合っている。並んで国王を迎えた。

 会長の第一声。「創価学会の池田です」 

”池田会長は、いつもと全く変わらない”とキアンパオ。

国王との念願の橋渡しができた。こんなにうれしいことはない。


 相手が誰であれ変わらない。

 こんな場面があった。

 1975年1月、ワシントン。米国務長官キッシンジャーとの会見前夜。創価学会会長としてのスタンスが話題になった。

「今回は、文化・教育次元での交流だから、あえて宗教は表に出さないほうがいい」との声もあった。

 ひと通り、スタッフの意見を聞いた上で、会長の結論は明快だった。

「相手が誰だろうと、どういう場面だろうと、私は創価学会だ。私が創価学会だ。それでいいじゃないか。隠す必要なんかない。『アイ・アム・ザ・ソウカガッカイ』堂々と胸を張っていこうじゃないか」


 スペイン国王ファン・カルロスの場合。

池田会長の友人に、ローマクラブ現名誉会長・ホフライトネルがいる。スペイン人。国王フアン・カルロスの側近であった。

 二人の出会いを願い、SGIの渉外担当者に王室の窓口を紹介した。

 王室には王室の方針があり、判断基準がある。事実「民間人との会見は難しい」との意向だという。だがホフライトネルはあきらめず、国王側近の侍従長にあたれ、という。

 「駄目もと」だ。SGIの担当者は思い切って切り出した。

 侍従長。意外な言葉を返してきた。「国王陛下が、池田会長とお会いになるのは当然です」

 えっ?

「確かに民間の方です。しかし、会長は民間人の代表でいらしゃいます」

 侍従長もまたトインビー対談を読んでいたのである。

 会見の段取りはトントン拍子で進む。1995年(平成7年)、マドリードのサルスエラ宮殿を表敬する日程も決まった。

 しかし事態は急転。会長の欧州訪問事態が延期となった。

 なぜ欧州の王室が、東洋の一民間人と交流を深めてきたのか。それぞれのケースの背景を探る。


 【ケースⅠ 英国アン王女】

 元ロンドン市議のドナルド・チェズワースは一冊の書籍を手にして驚嘆と疑問を抱いた。『Choose Life』(チューズ・ライフ)(邦題『二十一世紀への対話』)。英国の歴史学者トインビーと池田会長の対談集である。

 チェズワースは、ロンドン大学の学寮長。同大学が誇る名教授トインビーの学識も、人物眼も熟知している。

 何しろ対談の内容に敬服した。敬服したぶん疑問がわいた。なぜトインビーが宗教団体のトップと会ったのか。

 1988年(昭和63年)、来日。会長と会談し、疑問は氷解したという。

 英国に帰国後「これはアン王女にお伝えしなければ」と思い立つ。王女はロンドン大学の総長。チェズワースにとって社会運動に献身する盟友でもあった。


 【ケースⅡ チャールズ皇太子】

「皇太子殿下、展示会は池田会長の尽力で、大成功に終わりました。

 公爵レディングの報告を聞き、チャールズは労をねぎらった。1989年10月、東京富士美術館で行われた「英国王室のローブ展」。同展はチャールズ皇太子財団の活動の一環として開催されている。

 レディングは、ローブ展の名誉総裁。皇太子に会長との会見を強く望んだ。


 チャールズには、ダイアナとの間に生まれた二人の王子がいる。ウィリアムとヘンリー。

 この二人に”後見人”がいる。アメリカの実業家アーマンド・ハマー。

 ハマーは晩年、池田会長と親交を深めた。90年、多忙な中で時間をこじ開け、創価大学に来学。会見後は、自家用ジェット機が待機する成田まで、創大グラウンドからヘリコプターで飛び立った。今も語り草になっている。

 教育家でもある、チャールズと池田博正が初めてあいさつを交わしたユナイテッド・ワールド・カレッジのアメリカ校は、彼の創立である。

 レディング・ハマー。皇太子が信を置く二人が、それぞれ共鳴する人物こそ、池田会長だった。


 【ケースⅢ グスタフ国王】

 豊かな北洋漁場に恵まれたスウェーデン。水産加工会社を営む実業家がいた。スモークサーモンの輸出で屈指の業績。国王と懇意である。

 息子がSGIメンバーになった。父は猛反対。熱心なチベット教信者で、ダライ・ラマを信奉していた。息子は食い下がった。

「池田会長という人物を見てもらいたい」

 元来、父は東洋の宗教者に興味がある。著書や発言録を読めば、真価がわかる。読んでみた。人類に普遍的な示唆がある。来日し、会長に会った。感銘した。

 宗教の枠を超え、人間としての敬意から、国王と会長の会見を熱望するに至った。

 


 「どうして日本でナポレオン展を開催するのですか?」

 東京富士美術館の渉外担当者は、強い口調にたじろいだ。

 プランセス・ナポレオン。フランス皇帝ナポレオン一世の実弟にして、ウェストファリア王だったジェロームの直系子孫の夫人である。身長170センチを優に超える貴婦人。あたりを払う威厳がある。ピクリとも眉を動かさず詰め寄ってくる。

 何が目的なのか。ナポレオン家を利用するつもりなのか。

 担当者は額に汗を浮かべ、正面突破を試みた。

「もちろん日本でも、ナポレオンに対して賛否両論はあります。しかし、ナポレオンの波乱万丈の生涯には日本人が学ぶべきロマンがある。それが美術館創立者・池田会長の信念です」

 表情がやわらいだ。分厚い壁に、穴が開いたようだった。

「協力しましょう」。賛意を得た。

 1993年(平成5年)10月、東京富士美術館「大ナポレオン展」の開幕式。彼女は、フランス皇帝直系の代表として出席してくれた。

 開幕式の後、池田会長と大いに語り合ったことは言うまでもない。


 来日中、こんな場面があった。東京に到着してから「知り合いのところへ行きたい」。車を走らせた先は皇居であった。

 皇居?担当者は”そんなに簡単に入れるはずがない”と首をひねった。

 しかし、皇居の門をくぐると車を降りた。つかつかと大股で玉砂利の上を横切っていく。警備に制止される様子もない。さる皇族が出迎え、建物の中に消えた。

 欧州の王族、名族の人脈に驚きながら、後ろ姿を呆然と見送った。