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EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 池田会長のもとには、世界各国から招聘状が届く。

 現ローマクラブ会長であるヨルダン王子ハッサンのように、会見を望む各国王族の声も後を絶たない。


 一つの見方がある。

 イタリアのボローニャ大学は、1994年(平成6年)6月、池田会長に名誉博士号を贈った。世界中の王家、宗教者と、幾百年の交流をもつ欧州最古の学府である。

 副総長リナルディは述べている。

「池田会長のように、世界の全体観に立ち、しかも人間一人ひとりに細やかな心遣いをしている指導者はいない。事実上、民衆の王の役割を果たしています」

 英国皇太子チャールズ、スペイン国王フアン・カルロスにも名誉博士号を授けた大学首脳の言である。

 2002年5月16日。SGIの代表団がカンボジア・プノンペンの王宮を表敬した。

 国王ノロドム・シアヌークと池田会長の会見写真を持参した。1975年(昭和50年)4月18日、北京での撮影。

「これは懐かしい!」

 内戦のカンボジアから中国に亡命。折から訪中していた会長が表敬したのは、祖国も王室も最も苦境の時期であった。

「北京でしたね。素晴らしい出会いでした」。王妃と二人で写真をながめ、思い出話はつきなかった。


 翌日の朝一番。カンボジア文化会館に緊急連絡があった。

「王宮にいらしてください」

 何事か!身支度をして、車を用意しなければ。

 間を置かず、再び電話が鳴った。

「宮内庁長官がお待ちしています。急いでいただきたい」

 会館にあったのは軽トラック。荷台に乗り込んだ。Tシャツ姿の者もいたが、やむを得ない。王宮が見えてきた。厳重なチェックがあるはずだが、止められるどころか、衛兵がこちらに敬礼してくる。前日と打って変わり、ほとんどノーチェック。いったい、どうなっているのか。

 黄色い屋根の玄関についた。国王夫妻が両手を広げている。

「このようにまた、皆さんとお会いできるのを嬉しく思います。私どもの池田閣下への深き尊敬の念と親愛の情を、重ねてお伝えしたかったのです」

 二日続けての謁見。国王夫妻の出迎え。長年、仕えてきた儀展長が驚いた。

「異例中の異例です。いまだかつてありません」

 タイのラーマ九世(プーミポン・アドゥンヤデート国王)は2006年、在位60周年を迎えた。表敬は3度。

「とくに3回目の会見は忘れられません」(池田博正)。

 1994年(平成6年)2月8日、バンコクのチトラダ宮殿。階段が一段落し、会長が過去2回の場合と同様、国王の予定を気にして辞去しようとした。すると寡黙で知られる国王が、教育論を滔々と語り始めた。

「子供は吸収するエネルギーをもっています。そのエネルギーの方向づけをしてあげるのが、親、そして教育者の責任であると思います」

 王女のシリントーンが計算に興味をなくした時期があった。そこで国王は実用的な問題を出して、関心をもたせようとしたという。

「男の人がお金を借りに来た。何度も借りにきて、積み重なった。足し算していくらになるか」

「借りすぎて返せないほどの金額になり、遊びのために借金するようになった。予算をなくてはならない。どうすればよいか」

 生活に即した原理、考え方を身につける契機にしてもらいたかった──そう語るラーマ九世の表情は、すっかり愛娘を思う父親のそれになっていた。

 タイ国王は、国民の尊崇を一身に集める。プライベートな側面に自ら言及することは、きわめて例外に属する。池田会長と同年(国王が1927年12月、会長が1928年1月の生まれ)という親しみもあったか・・・・。

 会長は応じた。

「国王は、偉大な教育者です。具体的で分かりやすい。しかも重要なポイントをついておられる。牧口初代会長、戸田第二代会長も教育者でしたが、今のお話は、恩師から学んだことに通じます」

 会見は予定時間をはるかにオーバーして、1時間半に及んだ。


 英国のタプロー・コートは、ラーマ九世の祖父君であるラーマ五世チュラロンコンが滞在したことがある。そうした縁から91年にはタプロー・コートでラーマ九世の写真展が開催された。

 さらにはラーマ九世作曲の特別演奏会(93年、創価大学記念講堂)、国王即位50周年特別展(96年、東京富士美術館)が行われるなど、交流が結ばれてきた。

「池田会長とタイ国王の交友を通じて、両国の文化交流が重層的に結ばれ、広がってきた。これは紛れもない事実だ」(アジア外交の評論家)

 フィリピンのニノイ・アキノ空港。同国外相のシアゾンが、貴賓室に駆け込んできた。授与式から二日後、池田会長一行が搭乗便を待っている。

 シアゾンは駐日大使の経験があり、日本語も堪能である。

「スペイン国王の飛行機が遅れており、国王一行も貴賓室に入られます」

 外相が国王を先導してきた。

「おお、あの時の!」

 フアン・カルロスのほうから気づき、相好を崩した。ワイシャツ姿の、くつろいだ姿だった。

「今、こんな格好なので、すぐ背広を着てきます」

「いいえ、どうぞ、そのままで。気さくで英邁なスペイン国王のご訪問を、フィリピンの各界の人々は、本当に喜んでおられました」

 国王は日本語で答えた。

「ドウモ、アリガトウ」

 一同、哄笑の一幕となった。


 キアンパオの姿が見えない。空港に向かう途中で交通渋滞に巻き込まれていた。

「何とかならないのか!」

 ドライバーも困惑顔である。時間は刻々と過ぎていく。とうとうフライト時刻を過ぎてしまった。

「なんてことだ」。歯ぎしりをした。

 皮肉にも渋滞原因は、スペイン国王警備のための、交通規制によるものだった。だが、空港で国王と会長が鉢合わせとなり、再会できたことを知る。

「そうか!それはよかった」

 後悔などすっかり忘れ、会長が飛び立った空を仰いだ。