EIKOの気まぐれ闘病日記 -172ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 「こんにちは!」

 流暢な日本語が響いた。

 池田たちを最初に出迎えた中国人は3人。ヨウケイヨウとインレンギョク。ともに中日友好協会の一員である。そして広州市の関係者が一人。

 深圳駅の控え室。広州行きの列車を待つ。

 インレンギョクは、ある日本語の一節を暗誦してみせた。北京外国語学院を卒業したばかり。大勢の日本人を前に少し緊張していた。

 しかし、よどみなく口にした。


 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」


 小説『人間革命』の主題である。

 驚いたのは学会側だ。

「すごい!書いた私でも、覚えていないんですよ」

 池田のユーモアに笑いが弾ける。同行メンバーの、「中国は怖い」という思い込みが吹き飛んだ。ヨウケイヨウもまた、『人間革命』を熟読していた。広州へ向かう車中、対話が弾んだ。

 のちにインは述懐している。

「池田先生にお会いしたとたん、大変な親しみを感じたのです・・・・言葉を教えていただきながら、いろいろなお話をしました。

 その時、先生が言われた”自分のありのままの姿で”人民に人生を捧げていくのです”との言葉を私自信の支えとして中日友好一筋にやってきました」

 人間は、わかり合える。国境、言葉、イデオロギー。人類を分断する多くの壁を超えて、池田はただ「人間」を見つめていた。

 随行記者の大原は、のちに記している。

「(初訪中の際)北京の宿舎で、(池田)名誉会長は『私はことあと、ソ連に行く』と語った。その時中国とソ連の関係は最悪だった。

 その言葉に続いて、静かに、しかし、毅然と、不動の信念で語った。『ソ連にも人間がいる。民衆がいる』」


 初訪中の7日目。

 池田は「万里の長城」を歩いていた。正午前。緑がまぶしい。急な坂も多い。白いポロシャツが汗ばんでくる。中日友好協会のキンソジョウ理事が、一行を丁寧に案内した。

 はるか彼方まで、うねる石の砦。池田は、キンに語り始めた。

「私の師匠である戸田城聖先生は、生前、よく私に『いつか二人で中国に行き、万里の長城に立ってみたいな』と言われました。

 今日は、先生と一緒に、ここに立っている心境です」

 静かに話を続ける。

「今から5年前。私は小説『人間革命』で、『日中平和友好条約』の締結を訴えました。

 あの当時、日本国内の状況は、どのようなものだったか──」

 キン理事は深くうなずき、耳を傾けていた。


 1974年(昭和49年)5月30日、午前。

 イギリス領の香港。九竜駅は雨だった。中国との国境まで、列車で1時間ほどかかる。日本から中国への直行便は、まだない。

 九広鉄路の車内。混雑していた。

 窓から火炎樹が見える。別名、鳳凰樹。鮮やかな紅と緑を眼に焼き付けながら、聖教新聞論説部長の大原照久はつぶやいた。

「いよいよ、第一歩だ」

 着いた。国境の手前、羅湖駅。

 雨は上がっていた。

 鞄を左肩にかけ、書類をつかむ。早足の池田会長を追って、少しひび割れたプラットホームに降り立った。

 ブルーのネクタイに背広姿の池田大作。46歳である。扇子を右手に握り、悠然と先頭を進む。後ろに香峰子夫人がたちが続いた。

 こちらの羅湖駅はイギリス領で、向こうは中国の深圳駅。その間、約100メートル。小さな川に鉄橋が架かっている。

 池田は歩いて国境を越えた。

 日中国交正常化から1年8ヶ月。初訪中の瞬間である。

冷戦下の沖縄。北京など中国の主要都市を射程におさめる核ミサイルが配備されていた。悲惨な地上戦の記憶も生々しい同地を訪れた一人の青年。彼の胸中から、祈りにも似た情熱が、ほとばしり出ようとしていた。


 詩人は謳った。

「民衆は海である」

「常に民衆とともに歩め」


 ここに、一人の人物がいる。

 池田大作。

 1928年(昭和3年)生まれ。

 19歳、太平洋戦争の敗戦から2年後の夏。師と仰ぐ人に出会い、「民衆の海」へ船出した。

 いまだ、誰も成し遂げたことのない大航海。

「こんな島国で、そんな絵空事を」

 嘲笑う人は数知れなかった。

 32歳の5月、師の後を継いで立った。

 以来、50星霜を超える。

 嵐の朝も、霧の夜も、舵を取り続けた。

「それが師匠との約束だから」と。

 迫害があった。中傷があった。裏切りがあった。分断を謀る者たちが。無数のレッテルが貼られ、デマが飛び交った。

 ──しかし、ある文人は綴った。

「虚構は、事実を以って粉砕される」

「乳液のように曇らされた磨硝子のむこうの歴史を、可能なかぎり鮮明に呼び戻そう」と。

 船の名は「創価学会」。

 その航跡を辿ると──

「日本」が見えてくる。

「世界」が見えてくる。

「人間」が見えてくる。

 池田大作と、その時代。

 歴史の真実を求める旅へ、読者の皆様とともに出発したい。


 まず、池田のライフワークである小説『人間革命』をテーマに据える。『人間革命』は、池田の師・戸田城聖の伝記小説であり、創価学会の歴史が綴られている。

 その連載の日々は、それ自体が、人間の生命そのものの変革=人間革命によって、具体的に平和の国土を創ろうとする挑戦であった。

 本稿第一回の舞台は、『人間革命』で論及された一衣帯水の国「中国」、そして執筆開始の地「沖縄」。

 では、物語の扉を開こう。

 いつも私のブログを読んでくださり、ありがとうございます<m(__)m>


 今日で、「平和・行動と祈り」の連載が終了しました。


 次回からは、「民衆こそ王者」より、「小説『人間革命』と沖縄」を連載予定です。


 どうぞ、宜しくお願いします <m(__)m>


 成田空港の到着ロビーに、白人の老紳士が姿を現した。

 戸田記念国際平和研究所の森田博は、身体を精いっぱいに伸ばしながら目印のプラカードを掲げた。

「ハロー、ドクター!」

 紳士が相好を崩した。米平和学者のグレン・ペイジ(ハワイ大学名誉教授)である。

 2001年(平成13年)10月30日。創価大学で行われる記念行事に出席するため来日した。

 東京の宿舎へ向かう車中。

 池田会長の知己であるペイジは、7年ぶりの再会を控え、気分が高揚しているらしい。饒舌に語りかけてくる。

 「モリタ。聖教新聞の発行部数は、どれくらいだい?」

 「では、一部あたりの価格は?」

 「学会員の数は?それから・・・・・・・」

 妙なことに関心をもつものだなと思いながら森田は応じる。ペイジは電卓を取り出し、計算しながら感嘆している。

 ペイジは学生時代、大学を休学して朝鮮戦争に参加している。多くのアメリカ人同様、軍事力の必要性を認めてきた。悩み抜いた末に「非暴力」と「不殺生」という終生のテーマに辿りついた。

 現実というものの重みを知っている。大国が無理を通せば道理が引っ込む。それが、この世界である。その冷厳な現実の前で、平和平和と唱えるだけの空しさを嫌というほど見てきた。平和運動?理想と現実と政治の狭間で際どいバランスを取りながら堅実に運動を進めていくことが、いかに至難か。

 人件費、移動費、会場費・・・・・・シンポジウム一つにも、資金面で辛酸をなめきってきた。

「多くの平和運動を見てきた。どの団体も、必ず経済的な次元で苦労する。立派な理念を掲げても、肝心の原資が確保できない。理念だけでは平和を現実にする力にならない」

 森田は膝を打った。

 聖教新聞の部数を聞いてきた意味がわかる。

「池田会長は、これだけの組織をつくり、大部数の新聞を発行し続けている。確固とした”トータルマネージメント”のうえに、平和運動を進めている」

 車は平日の首都高速を加速していく。遠くに新宿のビル群が見えはじめた。

「会長こそは・・・・・・」

 研究歴40余年の平和学者は結論した。

「ジーニアス(天才)だ」