1974年(昭和49年)5月30日、午前。
イギリス領の香港。九竜駅は雨だった。中国との国境まで、列車で1時間ほどかかる。日本から中国への直行便は、まだない。
九広鉄路の車内。混雑していた。
窓から火炎樹が見える。別名、鳳凰樹。鮮やかな紅と緑を眼に焼き付けながら、聖教新聞論説部長の大原照久はつぶやいた。
「いよいよ、第一歩だ」
着いた。国境の手前、羅湖駅。
雨は上がっていた。
鞄を左肩にかけ、書類をつかむ。早足の池田会長を追って、少しひび割れたプラットホームに降り立った。
ブルーのネクタイに背広姿の池田大作。46歳である。扇子を右手に握り、悠然と先頭を進む。後ろに香峰子夫人がたちが続いた。
こちらの羅湖駅はイギリス領で、向こうは中国の深圳駅。その間、約100メートル。小さな川に鉄橋が架かっている。
池田は歩いて国境を越えた。
日中国交正常化から1年8ヶ月。初訪中の瞬間である。