コルトーの弾くショパンのワルツの映像。これは貴重。

コルトーはナチの前で演奏したりしたため、戦後は不遇だったようだが(とばっちりは弟子のハイドシェックにも及んだ)、演奏は素晴らしい。

1950年代にパリに留学していた遠山一行によると、演奏の真のすばらしさを感じさせてくれたのはフルトヴェングラーとコルトーだったそうである。

 

 

 

先日、叔母がなくなりました。明日が告別式です。

告別式には、叔母が好きだったベートーヴェンの交響曲第6番「田園」とシューベルト「冬の旅」を流す予定です。

 

 

 

 

ベートーヴェン交響曲第5番「運命」の冒頭の比較。

聴き比べると、鬼神のフルトヴェングラー・狂気のワルターという言葉を思いつく。もっとも、フルトヴェングラーが鬼神というのは誰かが言っていたと思うので、新しさは特にないだろうが。

 

どんなに鬼気迫る表現をしても、フルトヴェングラーは高貴であり、崇高である。この演奏も、「苦悩を通じて歓喜へ至れ」というベートーヴェンの思想が伝わってくるような演奏である。

一方のワルターの演奏は、まるでベートーヴェンがのたうち回っているようだ。「温和」とも言われるワルターの演奏だが、どんなに温和な表情をしていても、裏には狂気があると思う。

それにしても、ジャケットのワルターはおそろしい形相だ。

 

 

 

4月以来の更新です。今日、スレザークが歌うシューマンの「くるみの木」(1928年録音)を久しぶりに聴き、感動を新たにしたのでブログにアップしました。

 

レオ・スレザーク(1873.8.18 - 1946.6.1)は、チェコスロバキア生まれのオーストリアのテノール歌手。たしか中学生の頃、ラジオで流れた、このシューマンの「くるみの木」に心がとろけるような感動を覚えました。その後、ずっとこの演奏が忘れることができず、CDを探していましたが、スレザークの復刻版は発売されておらず(発売されていたとしても見たことがなく)、大変残念に思ったものです。

それから後のことです。東京に就職して間もないころ、友人から誘われてFレコ―ド社に行きました。そこで、博物館でしか見たことがないSPレコードなるものが売られているのを初めて目にしました。ワルター、メンゲルベルク、ティボー、クライスラー、コルトー・・・そうそうたる巨匠たちのレコードがところ狭しと売られていました。すごいレコードが売られているものだと、びっくりしたものです。

とその中に、このレコードを見つけました。視聴が可能だったので、さっそく店員さんに再生してもらいました。視聴しながら、涙が止まりませんでした。

あまりの感動に、レコードプレーヤーもないのにそのレコードを買いました。

そんなわけで、私にとって、この演奏は大変思い入れがあります。

 

音楽評論家の宇野功芳氏が、スレザークについて「二十世紀最高の声楽家の一人であり、英雄的なテノールとして一世を風靡した」と、次のように評しています。

 

 電気録音が発明された頃はすでに声が衰え、音程が下がったり、高音が硬くなったりしているが、それでもドイツ歌曲におけるロマンティシズムの権化といいたい陶酔的な歌い方は、麻薬のように聴く者の心をとろかしてしまう。

 テンポやリズムの思いきったくずし方、はなはだしいポルタメントの乱用は、指揮のメンゲルベルクと好一対であり、とくに甘美なピアニッシモは一度耳にしたら絶対にわすれられない。(『名演奏のクラシック』講談社現代新書)

 

この「くるみの木」もまさに「ロマンティシズムの権化」と呼びたい絶唱。ロマン派の曲には、ロマンティックな演奏が似合います。

 

 

 

 

それ故ベートーヴェンは全作品を聾者として作ったのだといえるのである。(ロラン)

 

ロランの『ベートーヴェンの生涯』でその事実を知った時は衝撃だった。

このピアノソナタ第1番を作曲していた時に、ベートーヴェンはすでに難聴だったわけだ。なぜ第1番のピアノソナタに、ヘ短調という悲劇的な調性を選んだのか・・・この曲の悲劇性からは、そのようなベートーヴェンの苦悩を感じないわけにはいかない。

この曲には、苦しみをじっと耐え忍ぶようなバックハウスの演奏が似合うと思う。

 

 

オーストリアの指揮者カール・ベーム。1894年生、1981年没。

ちょうど、ベームが亡くなった頃に、私はクラシック音楽を好きになった。当時は、テレビやラジオ、雑誌等で盛んにベーム特集が組まれていた。クラシック好き、ベーム好きの兄の影響もあり、私もベームの演奏はよく聴いたものだった。

多感な少年時代、ベームの演奏に接することができたのは、本当に幸せなことであった。

 

今回アップしたベーム指揮ウィーンフィルの「未完成交響楽」は、兄が買ってきたレコードで愛聴した演奏である。

そういう思い入れもあるかも知れないが、このベームとウィーンフィルのによる演奏は、数ある「未完成交響楽」の中でも、とびっきりの名演だと思う。

 

威厳に満ちた第1楽章、澄みきった第2楽章、いずれも素晴らしい。低弦が奏でる冒頭から、すでにただならぬ緊張感に満ちている。シューベルトは病気のため、つねに「死」を意識していたそうだが、この曲が「死」と「闇」を内包していることを実感させられるような演奏である。

そして、何よりも、この演奏の魅力は、今は失われたウィーンフィルの高貴な音色ではないだろうか。

ベームとベルリンフィルとのコンビによる「未完成交響楽」も素晴らしかったが、ウィーンで生まれウィーンで死んだこの作曲家の演奏には、ウィーンの音色がよく似合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は父の月命日。早いもので、亡くなってから4か月が経った。まだ、父のいた施設から電話がくるような気がする時が時々ある。

 

今日は、モーツァルトの「フリーメーソンのための葬送音楽」をブルーノ・ワルター指揮コロンビア響で。モーツァルトの慟哭がきこえてくるような名演である。

 

 

 

2022年2月22日は、猫の日。語呂合わせで、ニャーニャンニャンニャンニャンニャンとなるそうだ。猫好きにはたまらにゃい。

 

さて、俳句で猫のことを詠んだ句がどのくらいあるだろうか?

角川学芸出版編『覚えておきたい極めつけの名句1000』(角川ソフィア文庫)には、1000の名句が収められているが、「動物」の章があり、その中に「猫」という項目が設けられている。そこには猫の句が8句掲載されている。(ちなみに「犬」の項はない)。やはり猫好きの俳人も多いものと思われる。

 

その中で、今の季節と言えば、次の句を選ぶことになろう。

 

恋猫の恋する猫で押し通す         永田耕衣

 

永田耕衣(1900~1997)は、「いつも遍歴者のような表情で立っている。坐り心地の悪い椅子を求めて歩いているように思える」(東川紀志男)と評されており、事典を読んでも、その全貌はよくわからなかった。

この句に関しては、山本健吉の評を紹介したい(『現代俳句』(角川文庫))。「根源俳句」という言葉は、私は山本の本で初めて知った。

 

 ここ一、二年来毀誉褒貶の的になっている耕衣の根源俳句の見本として示した。(略)要するに存在の根源(生命の根源)を追求する「根源精神」によって貫かれた句であり、素材的には一元俳句の方向を取るほうへ傾くと思っていれば、だいたい間違いなかろう。

 

すなわち、作家の意志として決意として言われた根源追求が、ここでは俳句の方法として一元俳句というものに転化してしまっているのである。決意としての根源精神は、およそ偉大な芸術は生命の源泉に触れているのであってみれば、反対すべきいわれもないし、したがってスローガンとして掲げる意味もなくなってしまう。だが、方法としての一元俳句になると問題が出てくる。

(略)

 根源俳句も突きつめるとそのような結果になりかねないのである。一元俳句を表現の上でつきつめて言うと、AはA’なりかAはA’ならずかの二つになる。AはA’なりでは意味ないから、第二の表現を取ると、いわゆる白馬は馬に非ずとか、エレアのゼノンの飛ぶ矢は不動なりとかいう一種の詭弁となり、そこに一種のおもしろさが出ないこともない。それは俳句詩型を方法論的につきつめると、寓意とかイロニイとか滑稽とかいうものに突き当たる、そのところに触れてくるからである。

(略)

だが要するにそれらは詭弁であり、言葉のレトリックであって、論者が言うような非合理的精神ではない。(略)結局「雨の降る日は天気が悪い、犬が西向きゃ尾は東」と言ったのと同じで、「絶対無」たらんとしてただの野狐禅に終わってしまう。そこには根源追求は一かけらもなく、方法としての一元的追求の形骸だけがをとどめることになる。

 

なお、山本は掲句に関しては、「『恋猫』の句は、『恋猫』は『恋する猫』に非ずという概念が前提となって成立する。そこに一つの滑稽をとらえており、成功した例の一つである。」と、「成功」を認めてはいる。

はたして、永田自身はどこまで「一元俳句」にこだわっていたのだろうか。意外と、本人は「遍歴者」のように、するっと「一元俳句」から抜け出したんじゃないだろうか。だが、それは、永田の俳句と俳論を読まなければ、答えが出せない問題である。

 

それはともかく、将来、隣の件が解決したら、猫を飼いたい(隣は猫嫌い)。

 

 

 

今日2月17日は、往年の名指揮者ブルーノ・ワルターの命日。

ワルター最後の録音の一つ、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲を。

ワルターは、モーツァルトが軽視されていた(大人が演奏会で発表するものではない、と言われていた)時代から、モーツァルトを積極的に取り上げていた。

そこにはモーツァルトの「誤ったイメージ」を払しょくし、「本当のモーツァルト」の姿を聴衆に伝えようとする、崇高な意志がある。

 

ワルターにとって「本当のモーツァルト」とは「オペラにおけるシェイクスピア」を指していた。

 

この録音は、晩年になってなお、モーツァルトのスコアを筆写し、研鑽に励んでいたというワルターの、いわば「遺言」というべき演奏である。

 

 

 

ショパンの「幻想曲」の第一印象は、「雪の降る町よ~」に似ているなあ・・・程度。あまり印象に残る作品ではなかった。

何種類かの演奏を聴いてもピンとこなかったのである。

 

認識を改めたのが、ショパンコンクールでの牛田智大の演奏を聴いたとき。こんなに心打つ作品だとは思っても見なかった。

それから、ユーチューブで数人の演奏を聴いてみたが、ホロヴィッツの演奏に最も感動した。

曲にショパンの魂が吹き込まれていくさまが、手に取る様にわかる気がしたのである。

 

ショパン(に限らないが)を演奏するためには、ショパンと同化するだけの「心」と、それを「音」にするだけの技術が必要なのだろう。

ホロヴィッツのこの「幻想曲」を聴くと、そんな当然のことが、改めて強く思われる。