書き手 吉崎エイジーニョのブログ -95ページ目
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「海外組宣言」したはいいが・・・

kitanaiheya

部屋が全然片付かなーい!!



サラリーマンのように、辞表に「海外組になります」

なんて書いて、提出することもない。


だから、普通に仕事をしながら(執筆ね!)、チンタラ引越しの

準備を進めた。新宿からほど近い、上落合のボロアパートの環境

を捨て、華麗に海外移転を決めなければならない。


これが、かなりのストレスになった。

ちびちびと、3回に分けて茨城・日立の広い家に住む

大学の後輩の家に荷物を運んだ。

すると、レンタカー代、高速代がバカ高で、合計10万以上かかった。


絶対、業者に頼んでやったほうが割安だった・・・

けど、荒れに荒れた部屋は、チンタラ片付けるしかなかった。


変わるためには、先のことを考えるだけじゃなく、

過去のツケも清算しなくちゃいけない。


5月に決心して、8月中旬の段階で写真の状態。

かなり焦ってきた。








応援してくれた人 その2

training

コンディショニング・トレーナーの坂詰真二先生(右)

おもっくそバイクを漕ぐのが筆者


やっぱ、欧州で戦うんなら、体も鍛えなくちゃ!!

ということで、気鋭のトレーナー・坂詰真二先生の指導を仰ぐことにした。


指導の前に、体のサイズを測ると、167cmで体重は65Kgだった。

体脂肪率は、アスリートとしては完全アウト。

一般人としてはギリギリセーフなのだとか・・・

こんなんで、向こうのデカデカ男に囲まれても、大丈夫か?


先生には、正しいフォームでの筋力トレーニングをみっちり教わった。

指導の途中で、ポロリと言ってくれた言葉に、ホロリときたぞ!

「いやぁ、原チャリでも、最初の5メートルはベンツより速いですから。

鍛えて、一歩めのスピードを上げましょう」


うんうん、勇気づけてくれるお言葉です。

そんでもって、アウトバーンを逆走するくらいの勢いで行こう!!


筆者のように、おもいっきり怠けていた人ほど、筋トレの効果は出やすいそう。

ピッチ上での変化は1ヶ月で感じ、2ヶ月めからは、見た目も変わるそうだ!!


見てろよ、世の姫方。

ついでにナイスバデーになって、見返してやる。


先生の近著

「勝利をつかむコンディショニングBOOK(ベースボールマガジン社)」

もヨロシク!!















んで、ヨーロッパで通じるの?

top

韓国ではちょっとした「海外組」経験があるんです


筆者がこんな職業(サッカーライター)をやっているのは、ちょっとした武器があるから。

大学は大阪外国語大学朝鮮語科を出た。んで、韓国語がペラペーラなのだ。

(大学はヘヴィーな世界でした。

2年時には、"朝鮮民主主義人民共和国憲法の購読"なんて授業が、必修だった!)


4年の頃(97年)には休学して、ソウルの大学に留学。

その時から、韓国人に混ざってボールを蹴っていたのだ!!


ヤツらには随分ヒドイめに遭わされた。

「日本人なんか、弱い」ってハナっから思ってるから、「左サイドをやりたい」

って申し出ても「中盤の真ん中で遊んでろ!!」なんて言われたりして。


でも、この時の経験は、絶対にヨーロッパでも役に立つと思う。

監督やチームメイトが、何を言ってるかさっぱり分からないのも、

「味方が敵」っていう状況も初めてじゃないんだ。


写真は、05年6月、雑誌「GOAL」の韓国特集号の記事「韓国草サッカー潜入記」の取材で。

韓国でわざわざ日本代表風ユニフォームを着て、ボールを蹴るところがエグイでしょ?

これ、東大門市場で2万5000ウォン(約2500円)でゲットしたもの。




















応援してくれた人 その1

tokyoclub

日本での所属クラブ FCBASEのみんな(渋谷区)


代々木公園・小公園で毎週土曜日に練習中!

渋谷にあるBarに集うヤツらのチーム。

確か、雑誌の編集の人の紹介で知り合ったと記憶している。


2年間ぐらいプレーしたこの草サッカーチームから、

ドイツにレンタル移籍することにした。


「オレ、海外組になってくるから」と、チームメイトに伝えると

何人かは「プロになんのか?」と返してきた。


Nein,Nein,Nein(=No,No,Noのドイツ語)。

プロじゃなくても、「海外組」には違いはないんだよ。

ただ、オレは下手だから、10部ってだけだ。


ここの連中には、最後の半年はずっと「シュート打ち過ぎ!」って突っ込まれてた。

オレはずっと、海外に行くことを考えてたわけ。

ヨーロッパ仕様のプレーをしてたまで(!?)なのだ。


まぁ、10ヶ月後にレンタル移籍から戻ってくるので。よろしく。


(写真の正面左、ダイヒョーの10番が筆者)








 

ドイツ行きを決意

saisho

ドイツ行きを決意した頃の筆者。2005年4月現在。


重度の花粉症、ハウスダストに苦しんでいた。執筆のプレッシャーでカフェイン中毒にもなり、ずーっと眠りが浅い。家の日当たりは悪く、部屋のなかはぐちゃぐちゃ。毎日コンビニ飯で腹回りはゆるい。


んでもって、彼女がいなくて、雑誌から連載を打ち切られて、独り言が多かった。

つまり、イケてなーい。


この時期、取材のため韓国・ソウルに出張し、

「東京には戻りたくねー」と強く思う。

外国で生活して、ちと悪い流れを変えようと誓ったのだった。

変な話だけど、言葉が通じないくらい不便なところに行って、

考えを改めよう、と。


独身で身軽だし、ちょっとだけ仕事が途切れたし、もう30代だし。

どこかにフラフラと飛んでいく時期としても、人生最後のチャンスだろうし。


行くんなら、W杯開催国のドイツだな。

現地で執筆を続けながら、「海外組」になりきってやろう。

海外でサッカーをする。これが、ケツ青き日の夢だったんだ。

そんで、この挑戦自体も、原稿にしていこう。


「Number」で始まったばかりのコラム担当者に相談し、この枠内での企画としてOKをもらう。

早速、準備をはじめた。ごくごく、チンタラと。




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