平清盛が「覚えてない」と言ったのは、頼朝を助命したのが「悔しくて仕方ない出来事」だったからだ! | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

大河「鎌倉殿の13人」第2階の冒頭、平清盛(松平健)のもとに、息子の宗盛(小泉孝太郎)が「東国で頼朝がトラブルを起こしてます」みたいな報告を持ってきました。

「誰だそれは」「負けた義朝の子です」「そんなやつ、なぜ殺さなかった」「父上が助けたんです」「知らん。東国のことなど東国で始末をつけろ、いちいちワシのところに持ち込むな」「・・・申しわけございません」

いやいやいや。

私に言わせれば、清盛が、、頼朝のことを忘れるはずがありません。

この件についてだけは、この清盛は嘘をついているんだ、でなきゃおかしい、と私は主張せざるを得ません。
だって、平清盛は、頼朝を「殺そうと思えば殺せたのに、気まぐれで(仏心を起こして?)助けた」のではありません。状況的に「どうしても殺せなかった」のです。その件については、ここに詳しく書いてます

頼朝の処遇については、清盛は「たいへん不本意な決定」を下さざるを得なかったんです。誰のせいで?後白河が糸を引く「王家人脈」という抵抗勢力のおかげで、です。
この件について清盛は、自分の意志を通せず、切歯扼腕したに違いないんです。「覚えていない」はずはありません。

ドラマの脚本を好意的に解釈するなら、清盛は、あまりに不愉快な記憶なので思い出したくもない、だから自分の意識から頼朝を消しているんだと解釈しましよう。

それで、わざわざ「そんな些事をいちいち俺に報告するな!」と怒ったりしてるんです。あの不愉快な話を思い出させるな! ということです。たぶん、そうです(?)。

京都には、源氏だ平氏だ、という武士側の区分けとは全く別の次元で、天皇・上皇を中心にした「王家サークル」とでもいう上級国民の輪があり、頼朝はその内側にいたから、殺されなかったんです。清盛は(平治の乱の直後には、まだ)その外側にいたから、頼朝を殺せなかったんです。

その件については、ここに詳しく書いてます

これは、清盛にとって屈辱の記憶なんですよ。たぶん。

そういうことを三谷幸喜は書いているのである! と私は敢えてここに主張します(・・・買いかぶり、かも知れんけどね。あのひと単なる歴史マニアで、歴史研究者じゃないから)。

頼朝は母のコネで生まれながらの上級国民だったから、兄二人が平治の乱で殺されたのに、自分だけ助命されて生き残ったんです。

それは、頼朝本人だって分かってるはずです、

でも「俺は上級国民だから助命されたんだ」とか言ったら反感を買うから、政子や義時にはわざと「兄たちが殺されたのに、自分だけ助かったのは、運が良かっただけだ」とか言って、同情させようとしてるんですよ。 

ウブな義時も、「賢くない」 政子も、なんかコロッと感動してましたけどね。

頼朝、たいしたタマですよ、さすがに京都政界で揉まれた経験があるだけに、何枚も上手(?)です。

だんだん、構図が見えてきました。なるほど、これはそういうドラマですな。

・・・そうか?

それはそれとして、三浦義村(山本耕史)。こいつ、バンクォーですね。

 
 
 
 

 

 

 

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