明治の元勲たちは、なぜ芸者さんを妻にするのか? 今でいえば「政治家が女優を妻にするようなもん」? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

京都の料理旅館「幾松」が、新型コロナの影響で閉店する、というニュースがありました。

この「幾松」というのは、桂小五郎(木戸孝允)の妻・松子さんの、芸妓時代の名前ですね。

この料理旅館は桂と幾松が住んだ屋敷が残っている重要文化財で、新選組に襲われたときに、幾松が逃がした抜け穴とか残ってるとか? ふーん、いっぺん見たかったな(建物は壊すってわけじゃないらしいけど)。

 幾松は京都ナンバーワンでの人気者だったそうですが。

そういえば、伊藤博文の妻・梅子さんは、女流歌人でもあるけど、もとは「小梅」という下関の芸妓だったと。

芸者さんを妻にしている明治の元勲って、多いですよね。

大久保利通も京都妻「おゆう」さんも、祇園の芸妓ですね。大河「せごどん」では内田有紀がやってました。

もちろん鹿児島には本妻(美村理江)がいたんで彼女は一般に「妾」と言われますが、当時の武士は一夫多妻が当たり前であって、幕末の偉人って大抵、故郷に妻がいても、京都や江戸に出てくると平気でもうひとり「妻」をつくっちゃうんですよ、都会の女をつかまえて。

近藤勇も、故郷に妻がいたけど、京都で普通に太夫を身請けしてます(このひとは元勲じゃあないけど)。

幕末の志士なんてのは、のちに元勲になるっていっても、所詮はもと田舎の若造ですから、都で「こんなイイ女に惚れられたぜ」てのは、箔がつくっていうか、自慢になった、ってところはあったろうと思います。
それに、そういう世知があり社交に長けた女性をパートナーにしとけば、現実の活動に役に立ったりもする。志士が実力がモノいうなら、その妻も恋人も、能力がなきゃ勤まらないんです。

そういえば、渋沢栄一の継室(後妻)も芸者あがりの女性でしたね、「青天を衝け」では大島優子がやってた。

芸者だの太夫だのいうと、風俗産業の女性かよ、と現代人は思ってしまうかも知れませんけど、当時の感覚としてはアイドル歌手とかモデルとか、つまり「芸能人」をゲットしたみたいなイメージだと思ったほうがいい。現代の政治家が女優と結婚するようなもんで、むしろ勲章です。
貧乏な下級武士の時代に地元で貰った妻より、京都や江戸の芸者のほうが、圧倒的に教養も社交力のあるわけです、「元勲」の妻としては相応しいといえます。

大久保は、明治になって東京に移住するとき、京都妻を連れてきて一緒に住んでましたが、鹿児島から本妻も出て来てしまって、ちょっと大変だった、てのが「せごどん」でやってました。

大河ドラマも、妻と妾がカチ合う修羅場をやるようになったか、と感慨深いモノがありましたが。

この場合、正しい妻と不倫の愛人、というふうに考えるのは間違いです(現代の一夫一妻制の常識で観てはいけないんです)。どっちも「妻」であり、早い者勝ちでもないんです。

東京のおゆうさん、明らかに「奥様」ですよね。息子も普通にいる。西郷も、問題なく認めています。

このひとを「愛人」とか「妾」とかいうのは、実際のところ間違いでしょう。

 

 

 

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