「平家」の末裔はその後、続いたのか? 自称だけなら世の中に山ほどいる、小松帯刀も。織田信長も。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

平頼盛(池禅尼の次男、清盛の異母弟)は、早くから「平家」と離れて鎌倉方につきました。、「天下大乱のときは必ず一族が分裂する」というのは、ここでも当てはまります。

頼盛は幕府の御家人となり、「池」という名字で存続しました。

のちに男系子孫は断絶しましたが、その財産は女系の子孫「久我」家に相続されました。

この家は村上源氏ですが、鎌倉時代から室町前期にかけて「源氏長者」の称号を保持していました。公家、華族として続き、昭和には女優の「久我美子」がいます。

平重盛(小松殿)の次男・資盛は、壇之浦で入水せずに九州に逃れた、という伝説があります。そこで、資盛の子孫を自称する家は数多くあります。
幕末モノのドラマによくでてくる薩摩藩の家老・小松帯刀は、重盛ー資盛の子孫だそうです。


それと織田信長も資盛の子孫だと言っています。

本当かどうかは知りません、ていうか百パー嘘でしょうが。

平資盛は「先祖にしたい有名人ベスト3」に入ってくる人物です。

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