昨日の「阿保親王塚古墳」のはなしのつづきです。
誤解なきように申し上げますが、阿保親王が、昔の人の古墳を横取りした、とかいうことを言ってるのではありません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200401/11/eiichi-k/8b/4e/j/o1080060714736986372.jpg?caw=800)
阿保親王の墓を拝みたいな、という人たちが、本物の墓がどれだかよくわからなくなっているので、適当に立派な古墳を「これじゃあないかな」って言って勝手に決めちゃう、ってことです。そうして言い伝えができてしまえば、もう、そうだということになります。
そんな原始時代でもない、平安時代の人の墓が、わかんなくなることがあるのか、これが意外と、そんなもんなんですよ。天皇陵でもなければ、いちいち墓守なんかいませんし、石碑なんかすぐに朽ちてなくなりますし。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/19/eiichi-k/e7/ff/j/o0548044014736712381.jpg?caw=800)
墓、というからには、「誰々の墓」と彫った石碑が建っているものだ、という現代人のイメージが、違うんですよ、たぶん。
たとえば古墳を作った古代人は、「これは誰それ大王の墓だ」なんてことはみんな当然知ってるし、文字もないかも知れんし。あっても庶民は読めないし。だから、石碑とか建てないでしょう。
すると、百年、二百年たつと、分からなくなっちゃうのが当然だと思うんですよね。大仙古墳くらい巨大なものだって、実は誰の墓か分かんなくなって、「たぶん仁徳天皇」って適当に決めるしかないんです。ましてや、子孫があんまり繁栄しなかった在原氏の先祖ですから。ホンモノの墓がどこにあるか知りませんが(ここ以外にも、いくつか阿保親王塚と言われるものがあるらしいです)、そんなに真面目に整備してなかったんでしょう。
そんな原始時代でもない、平安時代の人の墓が、わかんなくなることがあるのか、これが意外と、そんなもんなんですよ。天皇陵でもなければ、いちいち墓守なんかいませんし、石碑なんかすぐに朽ちてなくなりますし。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/19/eiichi-k/e7/ff/j/o0548044014736712381.jpg?caw=800)
墓、というからには、「誰々の墓」と彫った石碑が建っているものだ、という現代人のイメージが、違うんですよ、たぶん。
たとえば古墳を作った古代人は、「これは誰それ大王の墓だ」なんてことはみんな当然知ってるし、文字もないかも知れんし。あっても庶民は読めないし。だから、石碑とか建てないでしょう。
すると、百年、二百年たつと、分からなくなっちゃうのが当然だと思うんですよね。大仙古墳くらい巨大なものだって、実は誰の墓か分かんなくなって、「たぶん仁徳天皇」って適当に決めるしかないんです。ましてや、子孫があんまり繁栄しなかった在原氏の先祖ですから。ホンモノの墓がどこにあるか知りませんが(ここ以外にも、いくつか阿保親王塚と言われるものがあるらしいです)、そんなに真面目に整備してなかったんでしょう。
大仙古墳が誰の墓か分からなくなったのは、たぶん「河内王朝」というものが武烈天皇で断絶して、継体天皇による新王朝に取って変わられたからでしょう。前王朝の墓なんて、外国なら破壊されてもおかしくない。まあ、デカすぎるし、壊すほどの手間も無駄なので、放置されたわけです。
阿保親王塚と言われる塚も、たぶん現地のそこそこの実力者の墓だったんだと思います。なので、毛利氏が「これが和が先祖の墓に違いない、参勤交代の途中にあって墓参りに便利でもあるし、よし、これを拝もう」と決めたってのも、まあ、そんなところなんではないでしょうか。毛利氏がそこそこ大大名になってなければ、阿保親王の墓なんて、いまだに無いかも知れません。
嘘をついてもいいのは午前中までです。午後に種明かしをするのがルールです。みんな気をつけろ!