大老、老中と側用人は、どちらのほうが偉いのか? 偉いというのは権力を持っているということとは違う | えいいちのはなしANNEX

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室町幕府の将軍には、戦国時代、ほとんど権力はなかった。でも「権威」は一番だったわけで、その権威を文字通りに信じていたから、若き十兵衛くんは織田と今川に和睦の命令を出して貰うために、逃亡中の将軍を追っかけてきたわけだけど。

この向井理の将軍は、本当のところ、どこまでやる奴なのかな?

では、江戸幕府では、どうだったのか。
ちゃんとしていた江戸幕府では、将軍がちゃんと権力を持っていたのか? いやいや、という話をします。

「大老、老中より、側用人のほうが偉かった」という人がいますが、さてどうでしょう。
偉い、というのが「位が高い」という意味なら、それは大老、老中のほうが偉いに決まっています。

ただしエライというのを、権力を持っている、決定権がある、という意味で使う人が多いのが問題です。これは間違ってます。「偉い」ことと「実際に権力を握っている」ということはまるっきり違う、これが分かれば日本史が分かる、っていうくらいの大問題ですのでお気をつけください。


この国でいちばん偉いのは天皇で、次が摂政関白で、将軍サマはその次で、その家来でいちばん偉いのが大老で、そのつぎが老中で、側用人なんてのは将軍の使い走りに過ぎません。「偉さ」の順ではこのとおり。

ところが、実際に政治を取り仕切る権限を持っているかどうかを見ると、綺麗にこの逆になっているのが、日本って国の面白いところです。
この国では、「偉い人」というのは政治というヨゴレ仕事にはなるべく触らないようにして、仕事はぜんぶ下の者が引き受ける。引き受けた者はまたその下に任せる。

こうすれば「偉い人」は手を汚すこともなく、失敗したときの責任を取る必要もなく、「偉い人」という面目(神聖さ)を保っていられます。
これを「権威と権力の分離」といいます。こうしないと組織は上手く回らない。逆にいうと、本当に偉い人ほど、決定権を持たせてもらえないんです。


江戸幕府でいえば、将軍サマは神聖な存在ですから、自分から政治に手を出すことは事実上、できない仕組みになっています。

大老、というのも多くの場合名誉職で、幼い将軍の代わりにどっしり構えているのだけが仕事です。
実際の政治はすべて、老中(複数の御家老様)が相談して決めます。その老中が決めたことを、将軍に上奏して裁可を貰うわけですが。
このとき将軍は滅多なことでは「ダメ」とは言えないことになっています。老中が決めたことを将軍が否定すれば、老中は即謹慎、免職、下手すると切腹でもしなきゃなりません。そんなことが滅多やたらに起きたら組織がなりたちませんから、将軍は老中の決定をそのまま認可しなくちゃいけないんです。これが江戸幕府の仕組みです。


しかし、なんとか政治に自分の意志を通そうとした将軍綱吉が、「側用人」という役職を新設しました。
老中は、まずこの側用人に連絡してからでないと将軍に会えません。そして、老中が「こう決まりました」というのを側用人に伝えると、「いやあ、それでは上様はご納得なされますまい」といって、上奏をセッテイングしてもらえないことがある。これは事実上「差し戻し」ということで、将軍の意を汲んだ側用人が「拒否権」を握っているということになります。
老中は、側用人が「はい、これなら将軍様が納得してくれるでしょう」と言ってくれる案を作って、持っていかなければならない。事実上、側用人が老中以上の発言権を持ってしまう、ということです。


側用人は、あくまで「将軍の意を汲んでいる」から発言力があるのであって、その地位自体は決して「偉く」はありません。
ですから、幕府の権力関係は、将軍、側用人、老中それぞれの能力によってケースバイケースです。意欲的な将軍と有能な側用人が組んだら、老中は何も言えなくなりますが、江戸時代を通じて常にそうとも言えません。

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両国駅の「スモー エクスピリエンス」、行ったことあるよ、シアターX行った帰りに。ちょうど、しょっきりみたいなショーをやってたな。