源義経は「合理的な武将」であったか、どうか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 いわゆる「源平合戦」で活躍する源義経は、当時の常識を破った「合理的な」戦法で勝ち進んで、平家を滅ぼす、という素晴らしい成果を挙げた、といわれます。
 でも、これ、どうなんだ、って話を、以前にも何度かしたことがありますけど。改めて論じてみます。二度にわたって義経を演じた神木龍之介くんにはたいへん申し訳ないんですけど。
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 戦争は、勝ちさえすればいい、ってもんじゃあないんです。
 と言ったら、反発される人もいるでしょうか? でも、そうでしょう。
 近代戦であれば、損耗は織り込み済み、兵の半分が戦死したって結果的に拠点が取れれば作戦成功です。戦死した者は仕方ない、靖国神社かアーリントン墓地で眠ってもらいましょう。それが軍隊であり、それが戦争である、と。
 でもね、源平時代の合戦は、全然違うものなんです。参加している坂東武者たちは、それぞれ土地を治める独立した農場経営者であって、義経の家来じゃないんです。
 彼ら関東武士が戦う目的は「関東独立」であって、平家と戦うのはその手段に過ぎません。義経の戦法は、 一ノ谷の鵯越にしても、嵐の中で四国に船を出させるにしても、「家来が半分死んでも、勝てばいい」というもので、つまり兵隊を人間として見ていません。道具です。
 近代の戦争なら、そうでしょう。兵隊は道具だ、と割り切らないと指揮官は務まりません。でも、この時代の戦争を、近代人の目で見てはいけません。
 当時の「常識」として、こんな戦い方を強いる大将はありえません。
ある常識が通用している社会で、常識を無視した「斬新な」戦法で戦えば、そりゃあ勝ちますよ。だけど「ルールを無視して勝ったやつ」は戦上手とは評価されません。
 こんな戦法を続けてまで「平家を滅ぼす」ことを求められていたのか? そこを考えてください。

 ちょっと遠回りですけど、義経が戦ったこの一連の戦争の「意義」は何だったのか、を考えてください。その「意義」の達成方法において、義経は「合理的」であったか。
 「源平合戦」といわれる戦いの本質は、農場経営者として力を蓄えた関東武士団の「独立戦争」です。ただ、それだと分かりづらい(一般ウケしない)ので、「この戦いは、平家に親を殺された源頼朝公の仇討である」という看板を掲げているに過ぎません。
 実のところは、「頼朝の挙兵に関東武士が味方した」のではなく、「関東武士の挙兵に、頼朝が旗頭として担がれた」のです。このことは当の頼朝が、いちばんよく分かっていました。
 ところが、これを全く誤解していた無邪気な男が、あとから参加してきた義経です。京都の貴族社会で育ち、「関東での生活経験」が全くないのだから仕方ないのですが、最初から「平家を滅ぼすことが戦争の最終目的である」と勘違いしています。
 頼朝の命令で義経に付けられた軍勢は、義経の「仇討ち」をお手伝いするために命がけで戦っているわけではありません。
 「関東独立」という大目標からすれば、平家が西国に落ちて勢力をなくしたのなら、ムリして皆殺しにする必要なんてないんです。追い詰めたところで降伏させて、三種の神器と安徳天皇を無傷で取り返したほうが、よっぽどいいに決まっています。
 安徳天皇を生きたまま奪還する、三種の神器を無傷で奪還する、これがどんなに重要なことか、分からなければ日本人ではありません。
 「平家を滅ぼす」なんてのは、義経の私怨、つまり、親の敵を討つという「わたくしごと」です。そんなことのために「天皇家の正常な継承」という国家にとって最も重要なテーマを二の次にする馬鹿はいません。いるはずないんです。そんなこと、誰が言わなくたった分かってなきゃダメです。
どうして、安徳天皇を生かして取り返させねばならないか。
 それは「安徳天皇の手から、直々に、三種の神器を後鳥羽天皇に譲り渡す」という儀式をきちんとやって、はじめて「誰にも文句の言われない継承」となり、「天皇家の神聖」が保たれるからです。
 京都の後鳥羽天皇は、三種の神器がないため、まるで「仮の天皇」みたいにみられています。これを本当の天皇にするには、どうすればいいか。前の天皇を殺して、力づくで三種の神器を奪って持ってくればいいのか。ダメです。それでは「覇道」になってしまいます。天皇位は、「王道」で継承されなければなりません。もちろんあくまで形式の問題ですが、平和裏に、きちんと正式な手続きで譲位がなされて、はじめて「正統」といえるのです。
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 三種の神器も、天皇も、いわばサッカーやラグビーのボールみたいなものなんです。何でもいいからゴールに叩き込めばいいわけではありません。途中でオフサイドの反則があったら、ゴールは無効です。
安徳天皇を、三種の神器と一緒に京都に連れ帰り、正式な譲位をさせなければいけません。そのうえで出家させるなり幽閉するなり島流しにするなりすればいいのです。
 「安徳天皇を殺して神器を強奪する」という結果は、最悪バッドエンドなんです。そうならないように上手くやってこそ戦上手です、というか、最低限の義務です。
「私はまだ天皇だ」と言っている状態で死なせてしまうのが、どんだけマズイことか、分からない人間が戦争してはいけません。
 平家一門だって、それが分かっていたから、幼い子供を巻き添えに海に叩き込んだんです。つまり、あてつけです。「これでもう永久に天皇家はニセモノだ、さまあみろ」というわけです。そうでなければ「この子の命だけは助けてください」というのが筋でしょう。普通、そうすると思いませんか? 誰が好き好んで一族の幼子を無意味に殺します? でも、殺さなきゃならなかった。何故なら、 「安徳天皇を生きて奪還させなければ、義経の負け、源氏の負け」だからです。
 頼朝としては、安徳天皇を死なせたという失態で、御白河法皇に対して巨大な「借り」を作ってしまいました。どうでもいいことではないんです。ここからは「政治」、かけひきの季節なんです。
 義経は、そのことが全然分かっていなかった。壇ノ浦は、実は源氏にとって「大失敗」だったのです。
そのことが声高に語られないのは、「しょうがないから、みんなして、知らんぷりをすることに決めた」からに過ぎません。「譲位の儀式はやんなくてもいいことにしよう、神器は作り直せばいいことにしよう」と、みんなで談合して決めたのです。オトナの解決策です。だからって、義経の失態がチャラになるわけではありません。

 もうちょっと、関東武士との関係の話を。つづきます。