先日の大河ドラマ「平清盛」では、悪左府・藤原頼長が「聖徳太子の世に戻す」みたいなことを言っていました(たしか)。
突然こんなとこで、と思いますが、頼長が聖徳太子の政治を理想としていたというのはホントらしいです。
しかし、客観的に言って、聖徳太子って、五百年後の頼長が憧れるほどのもん? 何がそんなにえらいの? という素朴な疑問もあるでしょう。中央集権的理想国家を目指したんだろうけど、その政策で太子の死後まで残ったことって、あんまりないみたいだし。結局は「みんなが偉いえらいというばかりで、実際どう偉いのか、よくわからない人」という感想を抱くムキがあっても当然と思います。
なにしろ聖徳太子は実在しない、という人も多い
くらいですし、日本書紀に書かれている「聖徳太子の業績」が文字通り史実だったと考えるのには、無理があるのは確かです。太子の存在自体がフィクションかどうかはさておき、太子の業績は多分にフィクションであることは間違いないところです。当時の複数の政治家の仕事を「厩戸皇子」という個人に代表させたのかも知れないし、あるいは当時の政治家たちを集合させた象徴として「厩戸皇子」という存在を創作したのかも知れません(これを「捏造」と呼ぶ人もいます)。
さらにいえば、当時の時代状況からして、こんな先進的な中央集権的な施策がほんとうに行われたのかどうかも、疑問が残ります。「やりかけたけど実を結ばなかった」のか、それとも「本当はそんな施策自体がなかった」のか、何ともいえません。
いずれにせよ、「聖徳太子」というのは、後世になって装飾が施され神格化されてはいますが、その存在自体が「多分にフィクション」であることは間違いありません(これを「捏造、捏造!」と叫ぶ人は跡を絶ちません)。
しかし、過大評価だ、架空だ、捏造だ、おしまい、では話が詰まりません。どうしてそういう「神格化されたフィクショナルな存在」が必要とされたのか、を考えるべきです。
日本書紀のスポンサーは天武天皇とその後継者である持統天皇、その子孫たちであり、実質的な編集長は藤原不比等です。彼らは「中央集権国家」という新しいシステムをこれから作り上げていこうとしています。しかし、それが「まったく新しい実験」だというのでは、人々に受け入れられません。中央集権国家は、過去にちゃんと、理想的なかたちで実現していたことがあったんだ、だから無理でも無茶でもない、ということをアピールすることが、「日本書紀」の最大の使命だった、と考えられます。
そのためには「聖徳太子」という理想化されたスーパーヒーローをあえて設定し、それを神格化し、民衆に崇拝させる、という手段がいちばん効果的だったのです。
しかし、聖徳太子の仕事というのは、所詮は架空のもので、後世に残っていません。だから不比等は、太子の業績よりは、理想と人柄を持ち上げます。「日本にはかつて、こんな素晴らしい理想を持った聖人がいた。しかし、あまりにいい人すぎたため、その仕事は挫折し、完成しなかった。だからわれわれは、太子の遺志を継がなければならないのだ」。見事な論理展開です。これを捏造というなら、もう「捏造,上等!」というしかないです。
藤原不比等というのは、深慮遠謀な人物です。自分が「パイオニア」として目だったりすることを嫌い、手柄を誇るような形跡をなるべく残さないようにして、黒子に徹して国家改造を進めた人物です。彼は、自分の直接のスポンサーである天武天皇を神格化するのは余りにミエミエで生臭い、それより、もっと以前に、人々が素直に崇拝できる程度の大昔に、誰もが尊敬できるスーパースターを設定したほうが効果が高い、と判断したのです。
だから、聖徳太子とは「日本の理想的な政治家像」なのです。たとえればキリストと同じです。実在か否か、本当か否か、ではなく、「そういう人がいたらいいな、いてくれたらうれしいな」という日本人の総意が「聖徳太子」という存在を成り立たせていると言っていい、と思います。
話を最初に戻すと、悪左府頼長も、「政治制度を飛鳥時代に巻き戻す」と言っているわけではないでしょう。聖徳太子という名は、生身の人間の名前というより、日本人にとっての「理想の政治家」という代名詞である、と考えたほうがいいと思います。頭のいい頼長ですから、聖徳太子がフィクションなのは百も承知、なのではないか、とも思えます(もしかしたら、藤原氏の長者にだけ一子相伝で「聖徳太子って、ホントはね・・・」という話が語り伝えられているかも知れません)。
頼長は、藤原氏で最後に実質的な政治のトップにいた人で、「不比等の最後の末裔」と言ってもいいです。頼長の死とともに「最高権力者としての藤原摂関家」は消滅したのですから。