「池禅尼が、死んだ息子に似ているといったから、頼朝は命が助かった」伝説は、本当か? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 「ドラマの平清盛では、義母である池禅尼(和久井映見)に清盛が「借り」を作ってばかりで、そのツケがあとに来る、という構成になってるに違いない」と、私は繰り返し書いてます。池禅尼の息子(家盛・大東駿介)が早死にしたため、それに「面影が似ている」と言い出した義母に押し切られて、頼朝を助命せざるを得なくなった。ひいては平家滅亡につながった、という筋書きです。
 これ、ドラマとしては、よくできた筋ですけど、さて、実のところはどうなんでしょう。えいいちのはなしANNEX えいいちのはなしANNEX

 「死んだ息子に似ているから」という池禅尼の懇願により頼朝の命が助かった、というのは「平治物語」に出てくるエピソードですが、これは「物語的に面白い」からそういうふうな話が出来ただけで、史実とはいえません。実際は、頼朝の母(ドラマでは由良御前、田中麗奈)が仕えていた上西門院や、実家の熱田大宮司家などの働きかけがあったらしく、さまざまな朝廷の人間関係が関係しています。
 そもそも、このエピソードは、清盛を「冷血の権力者」として描こうという物語作者の意図が入っており、「さすがの冷血漢も、母の懇願には逆らえなかった」というふうに持っていかないと、「いかにも平気で敵を皆殺しにしそうな清盛像」との整合性がつかないからです。

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 実際のところ、保元・平治の乱は、ながらく死刑がなかった平安時代に、久々に「負け組の親分は死罪」というのが復活した事件です。しかし、まだまだ朝廷社会の常識が残っています。「負けた一族は女子供まで皆殺し」という戦国時代みたいな風習にはなっていません。義朝本人と息子上から二人(義平、朝長)が捕らえれ殺されていますから、「まあ、このへんでいいだろう」という感じになっていたのではないかと思われます。頼朝が「嫡男」であると確定していたかも異説があります、単なる三男である、と判断してやる余地は充分にあります。

 なにより、清盛が「冷血漢」であるとする物語は、勝った源氏の視点で後から作られています。
 頼朝が「清盛本人のお情けで助命された」ということになっては、マズイのです。「そんな平家を皆殺しにした頼朝って、どうよ」ということになってしまうからです。そう言わせないために、「傲慢清盛が唯一頭が上がらなかった義理の母」というのをひっぱりだしてきた、という筋のほうが、あたりだと思います。

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 なお、今回のドラマの清盛は「傲慢な冷血漢」というふうには描かれないはずです。だから「平治物語」とは違うニュアンスのドラマになるでしょう。どういう経緯で、顔して頼朝を助けることになるのか、ちょっと注目です。

 最後についでのように言いますが。仮に万が一、ここで頼朝が消えても、何度も言うように、歴史の大きな流れは変わりません。関東武士団は、必ず別の誰かを旗印にして立ち上がります。「平家による武家政治の確立」は、ありえません。